eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2011-04

田窪恭治氏に震災記念堂をお願いしたい。

昨日、東京都現代美術館で田窪恭治を見て「閃いた」。今回の震災記念会堂を作るとすればこの方しかいない。と急に言っても分らぬゆえ説明を。代表的作品「林檎の礼拝堂」(フランス)。これは古い教会を地元の人と相談しながら再生させたものである。以前NHKの美術番組で見て、感ずるところがあり本も買ってみた。将来言ってみたいところの一つである(けっこう上位です)・
今、田窪氏は四国、金刀比羅宮(こんぴらさま)で「琴平山再生計画」を進めている。林檎の礼拝堂といい、いずれも宗教と深く結びついたものである。しかし宗教性を口にするよりも、礼拝堂の林檎の絵、金刀比羅宮椿書院の藪椿の絵、そのどちらも生命力があふれている、その生命力を震災記念堂に込めてほしいのだ。
何故か。田窪恭治展には製作中の椿書院の襖絵がある。その襖絵を見ると野放図に生い茂り咲き乱れる椿に圧倒される。で、展示用のアルミ枠にも絵が書いてある。聞いてみると、展示後に勢い余って田窪氏が書いたらしい。実物を見るとなんだか生命力があふれ出しているのが分ります。展示会場では畳のヘリに縁側がしつらえてあって、座って見られます。じっくり見ていると時間を忘れます。
さて、もし震災慰霊のための記念堂を作るとすれば、この椿の生命力、林檎の豊饒さをそこに込めたい。ある知人に震災記念堂の話をしたところ「再生の物語を紡ぎ出す、祈りの場であってほしい」と書いてくれた。この再生という意味で田窪氏はふさわしいと思う。

さて、この話は単なる思いつきでもあるが、いいアイデアでもあるように思う。どこに持っていけばよいものか
あと豆情報、5/3~8に田窪氏が公開制作を予定しています。連休中も仕事があるが、たぶん行く。

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新相馬市提言(4月初旬に書いたものです)

4月初旬に「新相馬市提言」というものを書いてみた。そのころ(も)いっこうに原発が収まるようすがないため、郷里の人々に考えてほしいという気持ちがあったからである。
現在、相馬市の放射線量は、飯館村、川俣町と比べると、それほど高くはない。よって、それほど火急ではなくなったとも思うのだが、こういうことを考える人もいるということでまとめなおしてみた。よろしければ、ご笑覧あれ。



新相馬市提言

基本的に押さえておくべきこととして放射能障害は遺伝子を破壊するため、細胞分裂の活発な子供に大きく影響する。チェルノブイリでは子供の甲状腺異常、また白血病等の症例も多いと聞く。つまり子供と母親はできるだけ遠くに避難させるべきである。これが大前提となる。またそれは行政の責任である。ただし地方レベルか国家レベルの責任か、これが大きな問題であろう。
また、交通の問題を考えてみる。双葉郡に原発がある限り、JR常磐線、常磐道、国道6号線も復旧できない。つまり太平洋岸にあった東京・仙台間の直通アクセスは断たれた。原発以南の中核都市・いわき市は生き残るかもしれないが、以北の相馬地方はこの点でも生き残りは難しく思える。たしかに相馬港は良港ではあるが、それだけでは難しいのではなかろうか。
次に産業の問題を考えてみる。おそらく観光業、漁業、農業は壊滅的だろう。津波により浜は壊滅し、漁業の復活はすぐには難しい。農地に関しては、海水の冠水問題、つまり塩害、そして原発事故による放射能汚染。その場合の生物濃縮による産物の高濃度汚染が予測される。されにいえば、そのような土地で観光が成立するだろうか?

ところで立谷相馬市長は籠城宣言(3/24)をしたhttp://p.tl/TCjb。基本的に応援したい。郷里を思えば当然である。しかし、籠城は壮年以上でやるべきである。市長曰く、出たいものは出ていき、帰ってくれば温かく迎える。そう言ってくれるのはありがたいことである。そこまではいい。しかし女子供を巻き込むべきではない。
その理由は、籠城すれば弱いものにしわ寄せが来る。女性と子供、老人である。しかし、老人は放射能障害が出にくい。よって子供と女性だけはすぐに避難させたい。そして子供の父親である若い男性も被害が届かぬ所に避難させる。これが新相馬市構想の核。カバーする対象は旧相馬中村藩あたり、つまり相馬、鹿島、原町、小高(南相馬市)でどうだろうか。
いまはちりじりの避難をしているようであるが、できれば一か所に集まりたい。その場所はどこか。つまり新相馬市として亡命政府の樹立が必要。避難先としては静岡はどうだろうか。http://p.tl/Vcgs 15000人受け入れOK。静岡は明治維新時に江戸の幕臣を大量に迎え入れた前例あり。あやかりたい。岡山県も助け船を出してくれているようだ(まちBBSに書き込みがあった)。

そして、籠城といえば、縁起でもないが「城を枕に討ち死に」という言葉もある。一方で「見切り千両」という言葉もある。
さて相馬市の籠城戦の相手はだれか。いま相馬市は、放射能と日本国による棄民という二方面作戦を強いられているのではないかとも思う。二方面作戦は戦術的に禁じ手である。
そして立谷相馬市長は、日本政府に対して避難させるなら正式に声明を出せと言いたげだ。国を相手に小兵が相撲、つまり意地を見せたい。これは関ヶ原のあとに相馬藩主が家康相手に粘った故事を思い出す。http://p.tl/mblC しかし今回、不誠実な政府は無視するのではないか。
であれば日本政府など待たず、自らの道を進むべき。それが新相馬市。相馬藩の国旗は白地ではなく黒字に日の丸である http://p.tl/p-QH(総大将大纏)。国歌は相馬流山http://p.tl/VcXW 。もし静岡に行くようになれば、朝霧高原で野馬追を復活させたい。そして盆踊りも。

何故こんなことを書いたのか。ここで書いたことは全て無駄になるのが望みである。原発事故の身体的被害は5~10年単位で遅れて発現する。しかし今後水蒸気爆発等がなければ、あたかも収束したかのように思うだろう。10年後に子供たちに放射能障害が出てからでは遅いと考えた。
以上、不快に思われたら謝りたい。



さて、4月上旬には以上のように考えたが、現実的に考えると、まだ放射能の拡散を抑えられず、累積量は増える一方であり、本質的には危機であることはあまり変わらないと思う。
とくに福島市、郡山市、須賀川市、飯館村、川俣町は危機的であると思う。場合によっては「子供新幹線」を走らせて、若い人を救ってほしい。とりあえず放射性物質の外部放出が収まるまで、どこかに疎開できないかと、いまでも考えている。

相馬市に帰郷

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明日から一泊の予定で相馬市の実家に行くことになった。どうなっているのだろうか。相馬にいる親戚と話したら、市民生活は戻りつつあるが、やはり原発のことが心配、相馬も警戒区域になるのではないかと思うと、復興の作業も気持ちが鈍るとのこと。

さて、相馬行きについて道中を占ったら、大吉が出た。モナー神社
【大吉】。願事 : 思いがけぬ人の助けありて叶う。旅立 : 利益あり 行きて吉。ありがたや。

20110420
9時すぎ、家を出発。カメラは(笑)、CANON T70+NFD50/1.4+TAMRON90/2.5。広角用にNIKON mini600、予備にROLLIE35。フィルムはフジのカラーネガ400。その他、着替えを少々。念のためカロリーメイトも。これは余震用。
1040、東京発東北新幹線やまびこ自由席にて乗車。

1230ごろ、JR福島駅着。福島市も線量が高いはずであるが、町の人たちはごく普通の様子。妊娠前の妙齢の婦女子も無防備に闊歩するように見えるが、心なしかマスクをする人が多いように見える。相馬行きバスまで3時間も待つため、タクシーで行くこととした。too expensive.

昼食後、駅前のタクシー乗り場で相馬まで行ってくれるか聞いたところ、1台めで快諾。運転手さんは、相馬に友人がいるそう。まずは出発。窓外を見れば、屋根の傷んだ家が多い。屋根職人が足りなくて、半年待ちの人もいるという。今年は花見山も寂しくて、満開でも地元の人しかこないらしい。

運転手さんによると、しばらくのあいだ、相馬、福島間は公共交通期間がなかったため、タクシーを使う人が多かったそう。なかには福島‐相馬往復という人もいたそうだ。最近は、NTTが工事のためによく使うとのこと、宿舎は福島市内らしい。ということは余震が怖いからなのか、原発が怖いからなのか。
相馬に向かう車は一般車両の他に、自衛隊やトラック等。また、海沿いは渋滞する時がある。中途半端な写真家が撮影に来るらしい。野次馬が多いということか。自分がそうならぬよう気を付けねば。玉野近辺、積雪のあとあり。この辺線量高いらし。20110420tamano.jpg


15時すぎ相馬着。16,000円くらいだったか。
ちょうど向かいのおばさんにあったのでご挨拶。「見たところ、普通に戻っているようですが」と言うと、「目に見えないものが怖いからね」と険しい顔。

我が家のうちそとの掃除開始。
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ブレーカーを切っていったので冷蔵庫内が悲惨だった。
まずは、落ちた瓦の片付けから。屋根屋さんが、既に瓦をふいてくれた。非常にラッキー。赤土の掃除に手間取る。その後、近所のスーパー・ヨークベニマルへ。一見豊富な品物。ただし鮮魚コーナーは哀れ。近海もの一切なし。北海道シシャモ、アラスカ鮭、解凍さんま程度、相馬は魚好きの人が多いのでつらかろう。

1700頃、旧友来宅。彼の奥様から頼まれていたマンガを渡す。奥様は公立病院看護婦として奮闘中なれど、このくらいのサポートしか出来ず。我が身恥ずかし。友の会社は南相馬市であるが、指定地域外で昨日より再開。地域指定について半径で線引きする無意味さを語る。
友の話によると、飯館村には屋内退避地区だが線量が低いところと、退避地区外だが線量が高いところがある。前者の飯館牛は販売できず、後者の牛肉はブランド牛として売れている。これは線量ではなく一律に距離で指定するから起こる。他も推して知るべし。福島県産の産物については風評被害とばかりは言い切れぬ。
もう少し話がしたいので、時間があるか聞いたところ、これからお子さんの迎えに行くとのこと。原発事故以来、学校への送り迎えをしているという。この手のことは、気にしない人はまったく無関心だが、ある程度考える人は自衛をする。
じわりと日常生活が変わってきた。

ガスを止めているので、夕食は外に出た。寿司きぶんは休み。近海ものがないのは津波で浜が壊滅したからだろう。和食まるきゅうに向かう。途中、カネボウ工場跡地に自衛隊仮設基地あり。おびただしきテント。頭が下がる。
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さて、まるきゅうは臨時メニューであった。うなぎとそばのセットをいただく。満腹なり、美味。
帰り道に、広島県警のパトカーを見る。また横須賀?の消防車もあり。全国からの支援頼もしい。実は、相馬に来てから口中に違和感あり。放射性物質は重金属の味がするというが、それとも違うようである。思うに屋根補修の土ぼこりの味か、そう思いたい。夜も掃除。冷蔵庫掃除辛い。

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早朝より屋根屋さん来る。有難し。父方の墓参へ向かう。小泉川べりの桜は満開。
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慶徳寺の山門壊れ、墓石も数多倒れ、見たことのない光景。幸いうちのお墓は、少しずれたが無事だった。気を取り直し、墓を清め、花を供え、線香を挙げる。
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地震(ない)のあと 墓石倒るる寺に立ち 去年(こぞ)とかわらぬ うぐいすを聞く

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墓参帰りに、喫茶サントップへ。いつもと同じメニュー、マスターもおばさんも、お変わりないようで嬉しい。常盤木の松の緑のめでたさよ、などと言ってみる。

税理士さんに電話し、今後の件を相談。確定申告の期限延長、原発収束後2ヵ月くらいまでか。
以下、取引のある原発下請け会社社長からの噂話とのこと。日当40万?でも人集まらず、外国人労働者を探しているらしい。また第二原発も楽観できない状況。信用すべき報道がないので困るそうだ。原発関係者から直接聞く情報と、報道が違いすぎる、収束への日程が信頼できない、放射性物質の流失が止まらず、相馬も避難地域になる可能性もあり、先が読めないので、イライラが募るばかりという。

昼食はヨークベニマルで弁当を。その後で相馬神社と中村神社へ向かう。父没後1年ぶり。満開の桜に涙がこぼれる思い。今、東京に避難中の母に見せたい。本殿はとくに被害もないようであったが、石灯籠が倒れていた。原発の収束と故郷の安泰を祈って帰宅。長友グランドにボランティアのパン屋さんが来ていた。
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海側の母方の墓参に向かう。タクシーで10分ほどのところ。墓地では隣の墓石が倒れていた。祖父祖母らの墓は少しずれていたか。降り積もった杉の葉を掃除し、強風のため線香に火は点さず墓参(一瞬だけ煙を出してすぐにバケツで消した)。帰りにおじ夫妻の家に寄る。先日まで娘夫婦宅に避難していたが、ちょっと前に戻ったそう。二人とも顔がやつれていた。時間もないので挨拶のみで早々に帰る。

中村までの帰りのタクシー運転手さんの話。いま忙しいのは不動産業、屋根屋、左官屋。運転手さんの自宅は磯部近くで床上浸水し、泥が30センチ堆積したという。臭いがきついとの事。また50センチ地盤沈下して家が傾いた。磯部でもだいぶ海から離れていたのだが、目の前の家まで津波で流されてしまい、遠くの海まで遮るものがなく、一番海際の家になった。波しぶきが飛んできそうで怖いとの事。
「浜の様子を見たか」と問われたので、「見るのが怖いからやめた」と答えた。「それで正解」とのこと。ある一線から先は地獄になっている。わざわざ見るもんじゃないという。浜の窃盗団被害はなはだしく、津波で残された箪笥で引き出しが開かれていないものはなかった。金庫も同様とのこと。警察も地元の人ではないので、金庫をいじっていても誰が持ち主か泥棒かわからぬという。

夕食は鳥久精肉店にてモツ煮込み定食。帰りにコロッケを買う。揚がるのを待っていると、隣のお客さんの話が聞こえた。声が大きい人なので、聞くともなく聞いていると不動産の話らしい。市営住宅は老人などを優先入居、ホテルは復興作業の人でいっぱいで大広間で雑魚寝している状態、とても泊まれるところはないという、しかし、電話の相手が飯館村の人と分り、結局市役所に問い合わせるという話となったようだった。

1830、福島交通のバスに乗り、相馬を離れる。バスは空いていた。福島まで1000円。福島駅からは新幹線、やまびこはほぼ満席だった。ビジネスマン風の客多し。
2230ごろ、東京駅着。やはり東京は暖かかった。

F&F掲示板 4月17日記事

No.23582 RE:東電劇場2 eeldog 04/17(日) 01:51

先日、新橋の東電本社を見にいきましたが、平日のせいかいたって静かなもので、警察の車両とTV局の中継車だけが目立ちました。初老のおじさんが一人だけ、胸に原発廃絶と書いて、反対側の歩道に座っていたくらいです。
東京の人の多くは、福島第一原発の事故についてけっこう騒いでいるようですが、結局は他人事だと思っているのではないでしょうか。

正しく怒るためには、(寺田寅彦ではありませんが)正しく恐れないといけないのですが、正しく恐れるためには、正しく知らなければならない。しかし、政府とマスコミからの情報は信用できないが、かといってインターネット情報の正否を判断するのは「自己責任」ですから荷が重い。だから、深く考えないので、深い怒りもわかないように思えます。
また何度も情報の訂正が度重なると、トレースするだけで疲れると同時に、最新の情報自体に信ぴょう性が薄くなり、やがて無関心になるとこともあるでしょう。まさかそれを狙ってやっているわけではないでしょうが。

以前、ヨード剤の配布およびそれがなされない場合のイソジンガーグル服用について、ある人が「もし間違っていたら、誰が責任取るの?」と言った件について再度考えると、「誰が責任とるの」の真意は、自分は責任を取る気はないということなのでしょう。地震から24時間もあったのに、なにも手を打てなかったということの根底には、地位ある人が自らの責任を放棄しがちである、という現在(だけか?)の社会の特質が表面化しているのだと思います。現場を持つ人は、必死に自らの持ち場を守っているというのに、政治家を含めて、指導する立場にある者が逃げ出したら、収まるものも上手くいかなくなる。

私の予想ですが、原発事故の件は、一進一退を繰り返すうちに(それでもまだましなのでしょうが)、日常の一部となって、意識されなくなるような気がします(現に放水の映像がマスコミで少なくなったので、もうやってないと思う人もいるようです)。しかし、5年後あたりから、福島県周辺で、「なんとなく」癌や、甲状腺異常や白血病が多いという話が出てきて、はじめてことの重大さに気付くのではないかと思います。そのときに例えば法医研の人たちは、どのような態度をとるのか。
この国のエリート層と呼ばれる人たちの劣化ぶりを見ると暗澹たる気持ちになり、もともと好きな文芸書の世界に引きこもりたくなります。それではいけないと思うのですが、気持ちが疲れてしまって、無感動無関心の状態になりそうでもあります。アノミー(anomie)結果、アパシー(apathy)になると言えばいいのか。




No.23588 RE:東電劇場2 eeldog 04/17(日) 14:04

> 平日の東電本店を外から眺めて、”東京の人の多くは結局は他人事だと思っている”というのは物凄い短絡思考ですね。

そうでしょうかね。

私は現在都内在住ですので、
> わざわざ東京まで見に来ようという発想や無意味な行動力
というようなことはしておりませんが、何を根拠にそう思われたのか、ちょっとわかりません。
もしかして「中」から眺めると違うのでしょうか。

今回の事故は私の地元近くで起こっているので、やはり身を切られるような思いがします。
断腸の思いという言葉がありますが、あまりに緊張状態が続くと確かにおなかのあたりがぎりぎりしますね。おかげで少し痩せました(笑。
ところで、東電本社を見に行った理由ですが、どんなかんじの人が勤めているのか見てみたくなっただけで、別に意味はない行動です。
デモなど期待はしておりませんし、あっても個人的なポリシーとして参加する気はないのですが、speakers cornerのようになにか言ってる人もいるのではないかと思ったりもしていました。
まあ、出入りしている人は、普通の社員の方でしょうから、やっぱりごく普通の人でした。当たり前ですな。
でもそうであれば、なぜああいうことになったのか。
一般社員と上層部に大きな断絶でもあるのでしょうか、それとも出世するうちにそうなったのか、やはり分からないところがあります。

というわけで、
> 東電本店前で原発反対の大規模デモとか繰り広げられていれば大いに満足されたのだと
> お察ししますが、
べつにデモがあったからといって満足することもないでしょう。デモで原発が鎮静化するわけではないので。また、デモで土地の浄化が出来るわけでもないし、コミュニティが復活するわけでもないし、後発性の罹患が減るわけでもない。でも、休日の東電前にデモが行っても、やってる方の自己満足だとも思いますね。

ところで阪神大震災の際、ニュース的には悲惨さを知ったつもりでしたが、やはり今回のように身に迫るものではありませんでした。
だから、今回の件でも土地の人以外には分からないものがあるでしょうし、それが当然なので責める気もありません。ただし、方丈記に次の一節があります。
「京のならひなに事につけても、みなもとは田舍をこそたのめるに、絶えてのぼるものなければ、さのみやはみさをも作りあへむ。
念じわびつゝ、さまざまの寳もの、かたはしより捨つるがごとくすれども、
さらに目みたつる人もなし。たまたま易ふるものは、金をかろくし、粟を重くす。」
こちら
こちら
結局、東京の電力を支えていたのは、僻地である福島県双葉郡であったわけで、
「みなもとは田舍をこそたのめる」状況は、昔も今も同じということです。
これを忘れてほしくない。だから「他人事だったんだな」という言葉も出るわけです。

> ボランティアって、足りてないはずですよ。
まったくそのとおりですね。浜通りから母と姉を引き取った我が家にボランティアを派遣してほしいです。
先日まで共倒れ寸前でした。いまは何とかなりましたが。

F&F掲示板 4月2日記事

No.23260 RE:東電劇場 eeldog 04/02(土) 01:00

>したがって、常磐線や道路はよけてひきなおすしかない。
>福島第一の半径30キロは立ち入り禁止となり、

福島第一原発から30キロ離れたところは、阿武隈山地となるので、おそらく常磐線は引き直しできないでしょう。道路も同じこと。もし走らせるとしたらシールド列車となるでしょう(走行後毎回除染)。
もともと常磐線は、いわき市以北複線化の予定はなく、むしろ上野-仙台間の特急スーパーひたちは、区間短縮が予定されていました。
交通が分断されたところが今後再興されるのは、残念ですが難しいと思います。南側のいわき市は、生き残るかもしれませんが。
ところで飯舘村の住民は、逃げる気はあまりないかもしれません。以前から若い人は町に下りて、年配者が多いように思います。
不自由な避難所生活をするくらいなら慣れ親しんだ土地で死ぬほうがマシだと思いそうです。行ったことのある人に聞くと、湧き水で米をとぐような生活も出来る、いいところだそうです。
きっと金額に換算すればいくらにもならない土地でしょうが、それを越えた価値と意味がある(あった)のだと思います。




No.23282 RE:イソジン8本目 eeldog 04/02(土) 22:13

エラい人たちはなにを考えているのか分からない。
先日、IAEAは飯舘村は避難する条件に適合する、つまり避難させよと政府に伝えたが、政府は原子力保安院のデータではまだそれほどではないと言う。
しかし失敗続きの保安院と世界的機関であるIAEAのどちらを信用すべきだろうか。
つまり飯舘村見殺しかと考えた。

また「頭が良い」という言葉がある。思うに内容は二つに分かれる。
ひとつは真に頭脳明晰であり、知的に誠実であること。
もうひとつは与えられた条件に上手に適応する力のこと。
しかし後者は自ら条件を設定して考えることは苦手のように見える。
また、与えられた条件設定の意味内容については考えない。
たとえばガス室を作れと言われれば、立派なものを作るが、その使用目的は考えないのと同じこと。
東大の有能な先生方や、東大卒のエリートが集うといわれている東電本社はさて、どちらか。

ちなみに汚染された水と空気を吸いながら生活させるというのは、ナチスも行わなかった蛮行であるといったら言い過ぎだろうか。
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