eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2010-11

六田知弘写真展「壁の記憶」

世界各地で撮影した壁の写真だそうです。面白いですよ。
http://www.muda-photo.com/topics/index.html#T101118-1
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渋谷-恵比寿

101120-1.jpg 外苑前(このときはまだ葉が付いていなかった)

101120-2.jpg 渋谷川

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101120-7.jpg 恵比寿駅前

101120-8.jpg 東京写真美術館の向かいの建物

経済学ではなく、経世済民学を。哲学ではなく希哲学を。

Economyの翻訳語としての「経済学」という言葉は、どうやら明治時代に定着したらしい。また、philosophyの訳語の「哲学」は西周が「希哲学」、つまり「哲」を「希求」学と翻訳したところを、長すぎるので「哲学」となったようだ。
既に定着した言葉であるし、それはそれでいいようなものの、なんだか大事なところをとり落としているようにも思える。

希哲学から、「希」がとれて「哲学」になると「哲人」に関する学問というようにも見えてくる。それで、むしろ「哲」を「希求」しない=sophy(知・智・哲)をphilo(愛)しないで、古今の哲学者についての学問=哲学史を学ぶような意味合いが強いようにも思える。でも、哲学史は大事だが、やはり知識でしかなくて、ソクラテスが対話していたときのような「知」への憧れとは、似て非なるものではないかと思う。

同様に(と、つないでいいのかわからんが)、経済学といってしまうと、世を治めるという「経世」と、民を済(救)う「済民」の意味がどこかに行ってしまうように思える。だから、バブルとかマネーとか(いずれも横文字)で、一般人が迷惑するんだな。

言葉は一人歩きするものらしいので、常に原義に戻る必要があるだろう。なんでかというと、深く考える時には言葉で考えるわけだが、その言葉の表わすところが正確ではないと、考えもきちんとしたものにはならんだろう、と少々自戒もしながら考えてみた。

G20参加国の総人口と中国国内人口

先日G20というのが開催されて、中国に対して貿易黒字と元の通貨安を何とかしろというような話が出たようだが、中国は基本的に聞く気はあんまりないだろうな。

というのは、参加国の人口を考えれば、どうしてもそうなる(とか、言いきってますがw)。

参加国は以下の20国・地域。
アメリカ合衆国、アルゼンチン、イギリス、イタリア、インド、インドネシア、オーストラリア、カナダ、韓国、サウジアラビア、トルコ、中国、ドイツ、日本、ブラジル、フランス、南アフリカ共和国、メキシコ、欧州連合、ロシア

この中で、最大人口を持つのはもちろん中国で13億5千万人。G20全体では、計算の仕方にもよるが31億ぐらいだったと思う。この31億から仲の悪いといわれるインド(12億ぐらい)と、自国の人口を引くと、5.5億人しかいない。インドのいうことは最初から聞く気がないとすると、やはり5.5億の他国民よりは、13.5億の自国民のことを考えるだろう。
外交とはそういうもんではない、という考えもありましょうが、しかし、正直なところ、こんな考えのほうが現実的に思える。

加藤智大=災厄神スサノオ

 以下、2008年6月8日に起きた秋葉原での加藤智大による大量殺傷事件について書いていきますが、決して彼を称賛したり称揚したりするものではないことを、最初に明記します。亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、療養中の方々の少しでも早いご快癒を祈念いたします。

 先日、この事件についての報道を見ていたら、以下のニュースの一文が目に付いた。
(被害者の父親は)「法廷での加藤被告について、「『分かりません』『覚えてません』という答えが多く、真実を明らかにしていない。本当のことを包み隠さず話すべきだ」と不満を述べた。

(全文は以下の通り。読売comから引用)
「ぜひ死刑に」秋葉原事件遺族、初めて陳述
 東京・秋葉原で2008年6月、17人が死傷した無差別殺傷事件で、殺人罪などに問われた元派遣社員・加藤智大(ともひろ)被告(28)の公判が9日、東京地裁(村山浩昭裁判長)であった。
 事件で大学生だった一人息子を殺害された父親(55)が、遺族として初めて意見陳述を行い、「多くの人に耐え難い恐怖を与えた被告は許せない。ぜひ死刑にして欲しい」と訴えた。
 父親は「嫌なことがあっても、みんな我慢して生きている。自分の不満を解消するために、なぜ関係のない人を殺傷したのか、私には理解できない」と語った。また、法廷での加藤被告について、「『分かりません』『覚えてません』という答えが多く、真実を明らかにしていない。本当のことを包み隠さず話すべきだ」と不満を述べた。
(2010年11月9日21時10分 読売新聞)
(引用終わり)


 私はこのニュースを見たとき、この父上には申し訳ないが、いくら求めても加藤被告はこの事件の真実、真相は説明できないだろう、と直感的に思った。
 どこで読んだか忘れたが、この事件についてふれた記事のなかに、「もし加藤被告は、自分がこの事件の現場に、犯人でない立場でいたならば、傷ついた人を助けるほうにまわったかもしれない(大意)」と書かれていたものがあって、不思議に記憶に残っている。裁判の様子を報道から見聞きしているが、とてもあのような大それたことができるような人間には思えない。彼が犯行前に携帯でつづった文章は、なんだか自由律俳句のようであった。
 私の感覚では、あるきっかけで加藤被告はある種の役回りを果たす立場になってしまったように思っている。それは、日本神話でいえば、スザノオ(素戔男、須佐之男)である。
 神話中のスサノオは天照大神の弟であるが、いわゆる災厄をもたらす神である。スサノオは天上界(高天原)で乱行を働いたため、天照大神は天の岩戸に隠れてしまうことになる。
 具体的には、
・田の畔を壊し、その溝を埋め、また、新穀を召し上がる御殿に屎を撒き散らした。
・神聖な機織場で神様の衣を織らしていた時、その機屋の屋根に穴を開け、天の斑馬の皮を逆さに剥ぎ取って落とし入れたので、天の機織女が見て驚き、梭で陰部を刺して死んだ。
http://page.freett.com/minakanusi/2.html そのためスサノオは高天原を追放されるが、地上では八岐大蛇を退治するなど、一転英雄的性格も見せる。

 スサノオは、矛盾をはらんだ多面的な性格をもつ神であるそうだが、この狂神が、あるとき一人の若い男に憑依してしまったように思えて仕方がない。
 というのは、派遣労働者問題および格差社会問題に注目を集めたという意味からか、加藤被告を「加藤大明神」という者もいるからである。ただし、この「大明神」という言い方には、江戸の庶民が地震を起こすナマズを「鯰大明神」として、ある意味、「世直し、救いの神としてナマズが感謝」(http://www.ten-f.com/namazu-daimyojin.htmlより引用)するような感覚と似かよったものを感じる。つまり生活が行き詰っているから、地震でみんな一緒にリセットされてほしいという願望があらわれたものである。
 いぜれにせよ、このような犯罪者が大明神という相反する名前を持つということは、なかなかあり得ないことである。このようなことは、通常の道理からは説明を導き出すことはできないように思う。
 加藤被告は自分の罪を背負って、それに見合う判決に服するしかない。しかし、裁判が進んだからといっても、皆が納得するような理由も出てこないのではないか。
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