eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2009-01

私的ライナーノート 突然段ボール「D」

というわけで、勝手にライナーノートを書くことにした。なんか、リーダーの人のblogを見ると派遣切りにあったらしいので、なんとか応援したいという気持ちがあってのこと。音楽一本でやってくのは大変だろうが、もっとレコードが売れてほしいし、ワンマンでのライブをやる機会も増えてほしいと思って、貧者の一灯のようなもんではあるが、及ばずながら助っ人したいわけ。とはいいながら、まぁ箇条書き程度のもんだが。
これを読んだら、レコード買え→ここでも可 ※アフィとか面倒なんでやらん。

以下、本文

今回のアルバム「D」は、ニューウェーブの香りを残しながら、切れ味のいいソリッドさを持った音楽である、とかいうと、ありきたりだな。

このバンドの音楽には「中景」と「遠景」がある。
「近景」とは、例えば「君と僕」の関係だったりするわけで、つまりは目の前のことだけ。「中景」とは、簡単に言えば「世の中」(社会といってもいい)。「遠景」とは、近景と中景を支える、自然をも含めた環境全体のことである。
「セカイ系」というのが流行ったが、これは近景の後にいきなり遠景が来るので、世の中が見えてこない。だからか、大人からは見るに耐えないものとなってしまう。
しかし、このバンドの音と言葉には、自分という近景をベースに、中景を生きながら、遠景までを視野に入れている。そこが大事だと思う。これは「開発の跡地」「丘の上から」あたりに明確に現れている。

サウンドについて言えば、ミックスに、ジム・オルークを迎えたためか、エレクトリックギターの音そのものが伝わってくる。また、ギター2本によるアンサンブルがよくとらえられている。このへん、ソニック・ユース「ムーレイ・ストリート」あたりの音の感触に通ずるものがある。2本のギターがリズムを刻む音。
ドラムはある種の軽さがあるが、このバンドの中ではタイトな音となっている。
ベースについては、ちょっと変わったベースラインだったりするのでよく分からん。でもギターがノイズになったときでも曲の骨格をしっかりと支えている。このバンドの曲は、不思議なメロディとコード進行の曲があるが、それが崩壊しないのはベースの役割のようです。
で、言いたいのは、ベースとドラムのマッチングがすごく良い。そしてライブで見たとき分かったのだが、あのへんてこギターなのに、一体感があるサウンドになっているのは、このリズム隊だからこそなんだろう。
それとコーラスの「おにんこ」がかわいい。Perfumeより、かわいいんじゃないか。
アートワークも秀逸であり、佐藤修悦氏による黒ガムテープによるレタリングは、段ボールという名称とマッチングがいいような気がする(笑。それとCD盤面のオレンジ色に、うっすらと浮き上がる「D」という文字が、なかなかしゃれている。

というわけで、曲の紹介
1.もう学校には行かない
俺が池袋のタワーレコードで視聴したときに、いっぱつでやられてしまった曲。イントロのギターがかっこいい。1弦と2弦の8フレットと3弦の7フレットを押さえたかんじの9連譜(かな?)と、ひずんだギターのリフのからみが、これから始まる音楽の良さを伝えてくる。
サビの「もう学校には行かない、会社なんか行かない」の部分は、覚えやすいのでつい口ずさんでしまうが、職場や学校では気をつけたほうがいい。
※この部分、CとEmでやってるような気がするが(いま手元にギターがないので、確かめられない)、ここの部分、はねた感じのベースを入れてディスコっぽくもなるような気がするね。それもかっこいいような気がするが、この3行は蛇足の文章なり。

この曲が20年ぶりに、突然段ボールとの再会であったわけ。名曲です。

2.不思議の国の住人
これは、歌詞も面白い。この「不思議の国の住人」とはどんな人が想定されているだろうか。
最初聴いたときには、アウトサイダー・アートの作者たちを思い浮かべたり、昔、町に必ず一人いたような、ちょっと頭があったかい、けど、みんなに愛されていたような人物とかを思い浮かべた。
とはいいながら、よく聴くと、「不思議の国の住人」としていちばんふさわしいのは、じつは突然段ボールなのではないかと思っている。

3.私は決して本気にならない
サウンド、歌詞ともになにやら脱力感のある曲。この曲では、途中で曲がさまざまに展開していくが、それが冗漫にも感ずる。他の曲の場合、冗漫になりすぎないところが、曲調の豊かさにつながっていると思うのだが。
なぜか聴くたびに蛭子能収を思い出すけど、それでいいのか?

4.解けない知恵の輪
イントロのギターのフレーズ、耳に残る。変なリズムの曲だが、不思議とドライブ感がある。これ、子供たちについての曲のようだけど、じつは最後に大人についても歌ってる。先日のレコード発売記念ライブでは、この曲をやった後で、「悔いのない人生を送ってください」っていってたな。

5.Bsus4の子守唄
これ、イントロに入ってる左チャンネルの生ギターと、最後のマウスハープが実はけっこういい。このへん、快調に曲が続いております。このバンド、けっこう子供に対する目配りがあるようなんだよね。これは4曲目の「解けない知恵の輪」にも言えることである。どうしてなのかはよくわからないけど。

ちょっととばして、8曲め。あいだの曲は、また今度書くか。

8.開発の跡地
このアルバムの肝の1曲。8から11まで怒涛の名曲ぞろいである。
日本全国に広がる、疲弊した地方都市を取り上げている曲。これこそが現実である。歌詞は言うことなし。郊外に巨大スーパーができると、これまでの町は死ぬ。そして町の中は「なにもない」状態になる。一方、新しいスーパーは、巨大な駐車場を必ず併設していて、なぜか独特の安普請。鉄骨にパネルを組み合わせた構造体に、多少化粧をした程度。いかにも、いつでも壊せるような建築である。そしてそのスーパーには、欲しいものは「なにもない」。
山を切り開き、川を崩し、旧市街を通らないバイパスによって、町の血液は吸い取られる一方。
歌詞の内容と、曲調が、一体になった名曲。

ところで、ECDのラップ。家人がこれを聴いて「般若心経か」と訊いてきた。当たらずとも遠からず。ある種の祈りと諦観がないまぜになっているということか。

まとめて言えば、この曲は、疲弊する日本という国の縮図であり、それに対する鎮魂の歌でもあるように思っている。
ただ、そこで「だから、もうおしまいだ」ではないところが、突然段ボールのよさではないか。音も力強いしね。

9.シベリアパン
そこで、続くのがこの曲。歌詞にはよく分からないところがあるけど、「暖炉に火をともし続ける意志」、「心のやさしい人のところに行きたい」というフレーズだけで十分。8では「なにもない」と歌うけれども、やっぱり「やさしい人」もいるわけで、世の中捨てたもんじゃないな。というか、そこのところから始めれば良いわけで。
このレコードのなかでは、割とメロディアスな曲でもある。

ところで、トルストイは分かるけどトルストルイ「ク」というのは、聞きなれぬ名前です。なんだろな。「アンドレイ トルストイク」「イワン・ミシュコフ」で検索すると、「犬に育てられた少年」という結果が出る。http://x51.org/x/04/08/0445.php。これを踏まえた歌詞なのかな。

10.丘の上から
これは、「開発の跡地」と一組になったような曲。イントロの2本のギターのからみがハードでかっこいい。
突然段ボールは、はっきりいって見た目も清らかでもなく、音楽もガチャガチャしているのだが、どうしたわけだか、なにか聖性を感ずるところがある。
「国見」という古語があって、意味は以下のとおり。
年頭、または一年の農事の開始に先立ち、その秋の豊穣(ほうじよう)にかかわる呪的景物を見て、豊穣を祝すること。また、その儀礼。花見はその一種。のちには天皇の即位儀礼の一環として、領有する国土の繁栄を予祝する儀礼にも分化した。(三省堂提供「大辞林 第二版」より)

この曲は、落魄した(多神教の)神が、それでも「国見」をしているようにも聴こえてくる、といったら言いすぎか。
間奏部、ベースとドラムがリズムを刻んで、ギターがノイズを出してる部分、それがまたイントロのリフにもどるところ、緊迫感がある。で、最後に2回転調して終わる。とてもいい。

11.オー・イェー
 ここまでくると、ギターはかっこいいし、もう特にいうことない。堂々の横綱相撲といったら言い過ぎか。
♪忘れたい思い出したり、思い出したり忘れたり~♪とか、♪あかりがふるえてー、コントラストが神秘♪とか、♪あとにもさきにも~♪とか、つい口ずさんでしまう。
 最後のファズギター、大団円という趣あり。ライブでは、湯浅学もニコニコしながら、一緒にギター弾いてたのがよかったです(w。

とりあえず今日はここまで。
また気が向いたら書きます。

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眼鏡を新調した。

もともと乱視が強いのだが、これまで使ってきた眼鏡のレンズにクラックが入ったりしたので、新しいのを作り直した。

そのとき、視力検査をしていた人が、おおよそこんな内容のことをつぶやいた。
「視力だけではなく、脳によって、目に入るものを再構成している。だから、(俺の場合)裸眼のままだと脳に良くない」。
これは以前から気になっていたことで、視神経は脳に直結しており、視野に入ったものを再構成してはじめて「見た」ということになるのであれば、乱視などのように常時視神経からの情報にノイズが入っていると考えた場合、脳にそれなりの負担がかかるだろう。その分だけ頭が悪くなるのではないか、と思っていたのだ。
それを裏付けるようなことを言っていたので、ちょっと聞き返したのだが、話をそらされてしまった。
この件、本当はどうなのだろう。

梅が咲きました。

090121
春遠からじ、と言いたいところですが、まわりではインフルエンザにかかった人がちらほらと。
気をつけたいものです。


さっき、雑司ヶ谷霊園の漱石の墓を見ようと思ったら、なんだかワーワーとにぎやかだったので、よく見てみたらアラーキーが取り巻きをつれて撮影中でありまして、結局、お墓には参りませんでした。

夕焼けがきれいだったので、

ちょっと写真を貼ってみました。
090119

ひょっとして森山大道?

昨日、江戸川橋の地蔵通り商店街を、浪花屋の鯛焼きを食べながら歩いていたら、なんとなく見覚えのある初老の男性と、一緒に歩く女性がいた。
よくよく見ると、森山大道氏に見えたんだけど、気のせいかな。
なぜか、女性的な印象を受けた。写真はあーゆーかんじなのにね。

15時ごろのことでした。



この日はリアラとフジ400カラーネガ、撮了。

ヘアカット テン・ハンドレッド

千円床屋に行きましたが、なんか変なカットになった。耳の上で髪の毛が盛り上がっている。
やっぱり、値段なり、なのかな。

へんなパーマネント~。

突然段ボール「D」発売ライブ

というわけで、昨日行って来ました。

前座が2つありまして、panicsmileと向井秀徳さんでした。
panicsmileは上手なバンドだが、あまり面白くはない。変拍子とノイズがやりたいだけというかんじ。作曲をもうちょっとがんばると花丸もらえるかも。
向井秀徳さんはZAZEN BOYSでも名があるのだが、どっちにしても聴いたことがないので、初めてだった。歌心はあるんじゃないでしょうか。でも、すでに自分自身が年寄りなので、自腹を切って見に行くことはないと思われ。

で、突然段ボールですが、曲はほぼアルバムどおり。いい演奏だったな。見に行ってよかった。もうちょっと、この路線でのライブが見たい。それも深谷とかじゃなくて、23区内希望。ワンマンでやってほしいものです。
新曲もありまして、アンコールは「へんなパーマネント」と「ホワイトマン」。「ホワイトマン」はかつてラジオで聞き流したことがあるくらいで、25年ぶりくらいで聴いたのじゃなかろか。
でも「D」の曲のほうが圧倒的にいい。時間とともに良くなっていく大器晩成型のバンドだったりして。

余談ですが、ドラムの人、キリッとしていて、私の中学時代のあこがれの女性に似た感じですたw。胸キュン(死語)でした。
それと、コーラスの「おにんこ」ですが、品の良さそうというかおっとりしているかんじの人たちで、ちょっとファンになりました。音楽性は、よく分からんけど。

さらに蛇足。
帰りの地下鉄でチラシを見ていたら、隣の席の若いサラリーマン風の男性(まじめ)が、同じチラシを見ていたのに気付いたのだが、そのときは立ちっぱなしで疲れていて反応できなかったな。ちっと話ししてみたかったという気持ちが、あとで出てきました。

とにかく「D」は名盤だから、買ってやってください。

1/15は突然段ボール

明日は、会社で代休とって、突然段ボールのライブに行くのだ。渋谷あたりに行くの久しぶりだな。
Zazenboysとかとやるようだが、どんなもんだろ。期待していいのか悪いのか、まだ分からん。

潮目が変わった?

これは内田樹さんのblogにあった言いまわしだが、あまり自分から使う言葉ではないな。
さて、ニュースを見ていると、いろいろと世の中の様子が変わってきたようにも見えます。
良い事か、悪いことか判断がつかぬような部分も多いが。

・知的障害者の犯罪について、本人の名前が明示されるようになった。
・イスラエル批判がおおっぴらになされるようになった。
・小泉元首相の一派が、あからさまに批判されるようになった(これはしばらく前から)。
とかね。
もっといろいろあるのだけれど、いまは思い出せないので、また書き次ぐつもりです。

時事関連 いくつか

1.新潮45を読んでいたら、徳川家広氏(だったと思う)が、田母神幕僚長の発言に関連して「戦後日本の仮想敵は日本軍だったのではないか」(大意)と書いていた。
それについての分析もいろいろ書いてあったように記憶しているが、そこは忘れた。でも、けっこう鋭い意見ではないかな。

ところで、この家広氏、やっぱり徳川家の血筋のようですな。ちょっと興味が出てきました。

2.イスラエルがガザを攻撃している。ユダヤ人がこれまで迫害されてきた歴史と、現在イスラエルとして他民族を圧迫することの折り合いはついているのかどうか、気になっていた。普通なら、自分がされたくないことは、他人になすべきではないからね。
でも、現実はその逆にように見える。しかし、いろいろな歴史的経緯やら事情やらがあるらしいので、気にはなるが部外者は口をつぐむしかない話題のように思っていた。
宮内勝典氏「海亀通信」記事から、ここにたどり着いた。
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2009/01/post-174/


以下、「イスラエルによるガザ戦争——3月2日からサラ・ロイ氏をUTCPに招聘」から、ちょっと長めの引用です。

(引用開始)
ユダヤ人知識人たちは、ほとんど世界中の人種差別・弾圧・不正義に反対しているが、イスラエルが迫害者であるばあいはそれらに反対することがいまだに受け入れられない。それどころか、背教行為だとさえ言う者もいる。こうしたダブルスタンダードはもう終わりにしなければならない。
 イスラエルの勝利は、払うべき犠牲の大きい割に合わない勝利だ。そして、イスラエルの力の限界とともに、ユダヤの民としての私たちの制約をも浮き彫りにしている。すなわち、私たちは[他者との]壁を設けることなしに生活することができないという制約だ。これらのことは、ホロコースト以後のユダヤ人の再生の限界を意味するのだろうか。
 ポスト・ホロコースト世界でユダヤ人国家に力づけられてきたユダヤ人として、私たちはいかにして、一つの民として虐殺や悲惨を切り抜け、そして力を得て人間らしくいられるだろうか。私たちはいかにして恐怖を乗り越え、たとえ不確かでもいまとは異なる別のものを思い描くことができるだろうか。
 それへの答えが、私たちが何者であり、結局どうなっていくのかを決めるだろう。
(引用終わり)

アメリカ合衆国の分裂とか、なんとか。

こちら(株式日記と経済展望 1月2日付記事)を見ると、近い将来、USAが分裂するという予測が語られております。

ただ、もう一度、国の名前を良く見ると、もともとが国(州or邦)の集合体だから、「分裂する」という言葉もちょっと当てはまらないのかもしれない、と思った。
・ソビエト「連邦」
・アメリカ「合衆」国(state:州=国の集まり)
そう考えれば、USA分裂というのも、現実性がないわけではないようなかんじです。

さて、ロバート・フランクに「アメリカ人」という有名写真集がある。超大国アメリカの実像は、じつはそれほどバラ色の社会ではなかった、というふうに受けとめられ、「反アメリカ的」とさえ言われたらしい。というよりも、当時の悪の帝国(笑であるソ連と、どれほど違うのか(=ほとんど同じじゃないの?)という受けとめ方もあったらしい。きっと、もともと似た国なんだね。

ところで、いま日本版のwikipediaを見たら、ロバート・フランク(Robert Frank)の項目がないようですな。Robert Capはあるけど。
これだからインターネッツというやつは…。

正月の話 破魔矢、他

昨年叔母が亡くなり、実家ではお正月は祝わないことになった。
ということで、年賀状も出さず、元旦のお参りもせず。よって、毎年買っていた破魔矢も買わずということになった。
破魔矢といえば、以前、母が言っていたことがある。
ある年のことだが、毎年買っていた破魔矢をたまたま買わなかった年があった。その年は、祖母(母の実母)が亡くなったりした年で、良いことがなかった。だから破魔矢は欠かさず買うようにしている、と。

今年は神社にお参りに行かない=破魔矢を買わない、ということになり、心中なにやら予感するものがあった。

正月2日未明、母に起こされる。午前3時ころか(記憶が曖昧)。父が玄関先で倒れているというので、すぐ様子を見に行く。
父の顔に触れる。頬はすでにひんやりとしている。息をしているかどうか確かめるため、口元に耳を寄せたが、吐息は感じられない。
正月早々、おおごとだなと思いながら、119番に電話を掛けた。訓練ではなく実際に119に電話をするのは初めてだった。まず、「火災」か「救急」かを逆に尋ねられ、こちらの住所などを伝える。まだ近所も寝ている時間なので、「サイレンを鳴らさないで来てもらえないか」と頼んだら、救急車両はサイレンを鳴らさないわけにはいかないとのこと。ただし、場所が分かれば、その時点でサイレンは停めるので、家の前に出ていてほしいと言われたので、そうした。

待つ事しばし。長いような短いような時間。

救急車を待つ間に、父が息をしはじめたと母が言った。玄関に戻ると、父はなにやら声を発している。母とのやり取りもそれなりにできているようす。そのようすは一見大丈夫そうにも見え、なぜだか救急隊員に申し訳ないような気もした。

やがて救急車が着き、母が一緒に乗り込んで病院に向かった。自分と姉も、その後、徒歩で病院に向かった。

病院の検査では、とりあえず重大な支障はないことが分かり、父はそのまま入院した。昨年もしばらく入院していたので、その続きというわけでもある。

夜が明けきってから、姉がさっそく神社で破魔矢を買ってきた。

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派遣関係3題

さて、年も明け、松もとれました。今年もやくたいもないことをてきとうに書きちらかします。

ということで、派遣関係3題のはじまり~。

第1話
仕事にあぶれている人(浪人)が都にいて、山里では、人手がなくて困っている。これって、黒澤の映画「七人の侍」に似ているな。

現代版「七人の侍」を撮るとしたら、こうなる。
・山里では人手不足。廃村寸前。
・年老いた村長は体が自由にならず、村の助役と孫娘が、人手が余ってると聞いて都に出て、厚生省辺りに行く。
・そこで、まじめに働いてきたが会社が倒産して食いつめた人に「衣食住は確保するから村(ソン)に来てくれ」と呼びかける。例えば科白は「コンビニ飯ではない食事と、あったかい部屋、洗濯したこざっぱりした服は保障するから」とか。
・必死の呼びかけ(とくに孫娘の)を聞いて、やさぐれていた男たちの中に、その気になる奴が現れる。
・で、父親の頼みに心動かされた助役の息子(東京で働いている。リストラ寸前)が、トラックを転がして現れ、みんなを乗せて村に向かう。
・山村に向かうが、そこは耕作放棄地が広がる荒れ果てた光景だった。そこで、7人の苦闘が始まる。そして孫娘をめぐる恋の鞘当も…、ナンツテ。

さて、キャスティングはどうしようか。
村長は加藤嘉、助役は殿山泰司、孫娘は誰がいいだろう、今風なら上戸アヤとか?最近のタレントさんはよく分からんので。どうしても古くなる。

第2話
派遣の人にかぎらず、お金がない人は食事をどうしているのだろうか。案外、コンビニやファストフードにお金を使っているんじゃないかな。
お金を使わず、しかも健康に暮らすには、自炊に如くはなし。コンビニ、ファストフードでぎりぎり削って1食200円使うとする(=1日の食費は600円)。しかしその200円で、納豆3パックは買えるはず。米さえあれば納豆3パックで一日は暮らすこともできる(飽きるけど)。のこり200円×2=400円があれば、野菜も買えるし、鳥肉(むりなら鳥皮)なんかも買えます。
俺は学生時代、こんなかんじだったな。
ポイントは、米を買って自分で炊くこと。釜なんか要らない。なべで十分おいしく炊ける。こんなふうにすれば、多少はなんとかなるんじゃないでしょうか。

第3話
坂本さんとかいう政務次官がなにやら口を滑らせたそうだが、正直な人なんでしょうな。それにつけても失言の多い政権です。
さて、坂本氏の「(日比谷公園の派遣村にいる人たちは)本当にまじめに働こうとしている人たちか(疑問だ)」という発言であるが、同じように思ってる人も少なからずいるだろう。さて、そこでどのように発言すべきか。後知恵で申し訳ないが、こんなふうに言ったら良かったんじゃなかろうか。
「派遣村に来ている人たちの中には、本当に困っている人もいれば、ある種の党派や団体から派遣されてきている人もいるだろう。しかし、そのような人がまぎれこんでいるとしても、半分はいないだろう。本当に困っている人を助けるためには、そのようにまぎれこんでいる人も救済の対象になってしまうのは覚悟の上だ。それよりもやはり良民(という言葉は使わないだろうが)を助けるほうが大切だ」とかね。

これは、勝海舟の逸話を踏まえたものです(ちょっと記憶違いもあるかも知れぬ)。
「氷川清話」のなかに、明治政府が、大政奉還前に諸藩が発行した紙幣を、諸外国から兌換せよと迫られる話がある。明治政府はこの時点で予算がなくて困窮していたそうだが、このとき海舟は思い切ってすべて兌換してみろ、案外少ないからとアドバイスした。そうしたら、やはりその金額は少なかったうえに、新政権は海外からの信用が得られた。
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