eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2008-10

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

廖亦武「中国低層訪談録」

廖亦武著「中国低層訪談録  インタビュー どん底の世界」(中国書店 劉燕子訳 竹内実監修)
いまのところ、今年いちばん衝撃を受けた本。心あると思う者は、とりあえず手にしろ。そしてどこかのページを開いて読んでみろ。金のある奴は、著者らを応援するという意味で、少々高い本だが買ってやってくれ。俺は金はないので、こうやって応援するだけ、申し訳なく思う。

さて、このなかに登場する人物には、一筋縄ではいかないような人が多い。しかし、著者の人柄だろうか、そのような人たちを相手にしているのに、必ずしも暗黒面ばかりが語られているのではない。ひょっとすると、登場人物たちはカッコつけているだけかもしれないが、俺には、著者に話を聞かれると、おのずとその人のなかの(なけなしの?)良い面が語られるのではないかと思った。

詩人の魂が紡いだドキュメンタリーである。


それにつけても、「アンダーグランド」における村上春樹の空疎さよ。登場人物は十分に意味に満ちているのに、それを引き出せぬ村上氏。※ここのやりとり、とても興味深い。

廖亦武とは好対照である。
スポンサーサイト

橋下知事、図書館で盗み撮りを命じる

はしした大阪府知事という人がいるが、何かとお騒がせするのがおスキなようである。
それはさておき、9月6日付のニュースで、この人が府立国際児童図書館の館内を図書館職員に内緒でビデオ撮影したというニュースがあった。
http://osaka.yomiuri.co.jp/tokusyu/h_osaka/ho80906d.htm

これ、いったいどのへんを撮影したのだろうか。とても気になる。職員の仕事ぶりだけを撮影したのだろうか。もしそうであれば、以下の話題は全く的外れになるので、読む必要はありません。
仕事ぶりを内緒で撮影したこと自体の問題もあるでしょうが、それは他の人に任せます。

さて、図書館でどんな本を読むのか、というのは守られるべき―というよりは侵さざるべきプライバシーのひとつである。思想信条の自由にかかわると言っていい。撮影させたビデオが、もし、誰がどんな本を借りたのかがわかるような映像だったとすれば、只事ではすまないし、そもそもそのようなことをする(させる)人は、人権を守るべき仕事である弁護士の資格はない。

日本図書館協会の「図書館の自由に関する宣言」(http://wwwsoc.nii.ac.jp/jla/ziyuu.ht)という文章があって、その中に以下のような一節がある。

第3 図書館は利用者の秘密を守る
1.読者が何を読むかはその人のプライバシーに属することであり、図書館は、利用者の読書事実を外部に漏らさない。ただし、憲法第35条にもとづく令状を確認した場合は例外とする。
2.図書館は、読書記録以外の図書館の利用事実に関しても、利用者のプライバシーを侵さない。
3.利用者の読書事実、利用事実は、図書館が業務上知り得た秘密であって、図書館活動に従事するすべての人びとは、この秘密を守らなければならない。


このように、図書館は閲覧者の閲覧履歴に対して、非常に注意を払っている(はずである)。それを、苟も(いやむしろ、卑しいからこそ、か?)ひとつの行政をあずかる者が、侵していいはずがない。また、児童図書館だからやっていいというわけにはいかないよ。

なぜ、こんなことを書くのか。
じつは、私の叔母が若かりしころのことである。当時はロシア文学が流行っており、文学少女はトルストイを読んだり、ドストエフスキーに挑戦したりしていたものだったそうだ。そのころ、そこの警察が叔母の実家にやって来ていうことには、「お宅のお嬢さんはソ連(当時)の文学ばかり読んでいるが、思想上問題ないか」と訊いてきたそうである。そもそも叔母は、それなりの商家、いうなればプチブル階層であり、後に銀行員と結婚したくらいで、古い言葉でいえば、むしろ体制側である。それに対して、田舎警察が、無自覚な図書館から閲覧記録を聞きだして、おろかな質問をしたのだろう。
誰が何を読もうと勝手ではないか。ほっといてくれ。この話を思い出すと、我が事のように腹が立って仕方がない。

私から見ると、はしした知事の行為は、この田舎警察のやっていたことと非常に似ているように見えて仕方がない。同じとはいわぬが、あやうい行為である。

しかし一体なんなんだろうね、この人は?

まずは、この方を見習え。
※国際児童図書評議会(IBBY)創立50周年記念大会 、平成14年9月29日(日)のスピーチより、好きなところを適当に引用しました。

「(前略)子どもが生まれ,育っていく日々,私は大きな喜びと共に,いいしれぬ不安を感じることがありました。自分の腕の中の小さな生命(いのち)は,誰かから預けられた大切な宝のように思われ,私はその頃,子どもの生命(いのち)に対する畏敬(おそれ)と,子どもの生命(いのち)を預かる責任に対する恐れとを,同時に抱いていたのだと思います。子どもたちが生きていく世界が,どうか平和なものであってほしいと心の底から祈りながら,世界の不穏な出来事のいずれもが,身近なものに感じられてなりませんでした。
(中略)
生まれて何も知らぬ 吾が子の頬に/母よ 絶望の涙を落とすな/その頬は赤く小さく/今はただ一つの巴旦杏(はたんきょう)にすぎなくとも/いつ 人類のための戦いに/ 
燃えて輝かないということがあろう…(後略)」

寒太郎のおっかさん

先日作曲家の福田和禾子さんが亡くなった。そのとき新聞に出ていた川柳、

 亡くなって知る寒太郎のおっかさん

本当は、もっと違う川柳だったような気がするのだが、新聞を見ても見つけられない。
で、自分の頭ではこういう川柳だったな。

 寒太郎の母さん 北に帰りけり(国に帰りけり)

ほんとはどんなんだったけっなー。

養老孟司氏が「情報は変わらない」ということを言っているが、

しばらく前から、養老孟司氏が「情報は変わらない」ということを言っている。ちょっと分かりにくい言葉なので、最近はいろいろと言い換えて説明したりしているようです。

昨日の帰り道、なんとなく「色即是空 空即是色」という言葉が浮かんだ。ある本で読んだが(書名失念)、これを言い換えて「現象(=色)は、手にとってつかめるようなものではない(=空)。しかし、つかめないもの(=空)だからといっても、確実に現実を動かすものである」というような説明をしていたのを思い出した。

さて、養老氏が「情報は変わらない」といっているのは、「現象」を固定化すると「情報」になる。情報は、固定された現象であるから「動かない」ということになる。
現象というのは、確実に起こっているのであるが、それを「物」にすることは難しい。それでも何とかしたい、という念が「情報」というものたいする固執になるのだろうか、などと考えた。

(10/29追記)
朝刊を見たら、東洋大学の広告で、養老氏はこんなことを言っていた。
「まずはニュースにこう付け加えてみましょう。『とはいえ、過ぎてしまったことだ』と。」
なるほどね。

漢学者・鎌田正先生の直筆か?

kamata1.jpg

kamata2.jpg

kamata3.jpg

↑クリックして拡大してください。

鎌田正先生の「大漢和辞典と我が90年」(大修館書店2001年)を図書館から借りて読んでいたら、誤植の訂正が鉛筆で書き込んであった。
この本は、本駒込図書館の蔵書である。そして、鎌田先生のご自宅は大塚であった。ご自宅から図書館までは、あんがい近いように思える。
もしかして、この校正は鎌田先生直筆だったりして。大漢和辞典を編纂された先生であれば、いかにもありそうな話ではある。

ただ、なにぶんにも鉛筆書きの際の筆跡が分からないので、妄想は妄想のままである。
人気ブログランキングへ

 | HOME | 

MONTHLY

CATEGORIES

     

RECENT ENTRIES

RECENT COMMENTS

RECENT TRACKBACKS

APPENDIX

鰻犬堂

鰻犬堂

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。