eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2008-09

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漱石「思ひ出すことなど」

いろいろあって、書棚から、またこの本を引っ張り出して読んでいるのだが、漱石は修善寺で血を吐いたとき、30分間死んでいた(意識がなかった)と書いている。だから、この著作の題名は、「思ひ出すことなど」となっているが、この中の焦点である漱石吐血による臨死体験は、鏡子夫人から聞いたことであって、じつは本人は思い出すことが出来ないことである。
この著作では、タイトルとは異なり、本人には思い出せないことが核になっているのが面白いといえば面白い。
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精神疾患と家系

は、関係があるのかどうだか知らないが、どうも父方の家はアレな人が多いようで、自分にもそのような気があることを改めて感じ入りました。

さかのぼれば、父方の祖母にその気があったらしく、晩年は家庭内離婚のような状態だったそうだ。その子供たちである私の父の兄弟だが、長男は鉄道事故で死亡(ほんとに事故かという話もあった)。長女は若くして亡くなったのでよく分からない。次男であるうちの父は飲めば酒乱であった(いつもは飲まない)。最近は老人性欝気味。次女である叔母は先日亡くなったが、晩年はいわゆる精神症状に関する疾患があり、病院に入ったきりであった。
我が家にうつれば、母はわりと普通の人であるので、血が薄まっているかと思う。長女は頭脳明晰であり、とりたてて言うことはない。次女は癲癇である。怠薬によって癲癇性統合失調症になり、閉鎖病棟にはいっていたこともある。現在は薬を飲んでいるので、しごくまとも。
また、叔母の子供たちであるが、長男はごく円満な人柄である。ただ長女が母親譲りだろうか、対人関係等に問題があり、結局離婚してしまったな。子供がいるのだが、最初は子供たちは離婚に反対していたらしいが、長ずるに及んでやはり普通ではない(らしい)母親を見ているうちに、離婚止むなしと判断したと聞いている。

さて、自分のことになるが、気違いが気違い水(酒)を飲めば激烈な反応を起こすわけで、あんまりすぎる内容なので、今はちょっと書けません。

アスファルトに 羽根光りたり 蝉むくろ

今日の一言 不機嫌な態度をとると、周りが気を使ってくれるが、自分の健康も損なう

不機嫌な態度というのは、周りの人に対し、もっと自分を尊重せよという表明なのだそうだ。仕事などでは、エライ人が不機嫌だと、なにか粗相があったのかと、周りの者が気遣ったりして。
しかし、不機嫌な態度をとるということは、不機嫌な精神状態になるということ。いわば一種のストレス。よって、こういう態度をとり続けると、めぐりめぐって自分の調子が悪くなる。
気をつけたいものです。ナンツテ

山岸涼子先生「アラベスク」

昨日、20年ぶりに山岸涼子先生の「アラベスク」(第1部)を読んだのだ。やっぱり感動した。勢いがついて第2部も読んだ。こっちは初めてだったので、時を忘れて読んでしまった。
お勧めです。というか、読め。

「911から1年たったが…」抄録2(2002/10/07~2002/10/10)

「911から1年たったが…」抄録1(2002/09/11~2002/02/26)に続いて、抄録の2をまとめてみた。

02/10/07
(略)9/11テロについてのシュットクハウゼンの発言を思い出しました。
彼は、あのテロについて「未曾有の芸術作品だ」と発言したとかで、物議をかもしました。
中沢新一の「緑の資本論」にある「シュトックハウゼン事件」を読むと、 シュットックハウゼン自体はテロを別に賛美しているわけではなく、悪意あるマスコミに発言を抜粋されて、わざと発言を捻じ曲げられたということです。

しかし、世の中のある一定数の人はシュトックハウゼンと同じように考えたと私は思うので、真相を知る前でも、彼はある意味で勇気のある発言をしたように思いこそすれ、彼を非難する資格を持つ人は非常に少ないのではないかと思いました。

続く

02/10/08
地味に続いておりますが。

私の卒論はロシアフォルマリズムに関連したことを書いたものでした。
簡単にいうと、日常生活はどんどん「自動化」するから、何かで生き返らせないといけない。たとえばそれは芸術である、という考え方です。(乱暴すぎ、かつ自分流の曲解もあるかもしれん)
これは詩的言語についての考察で、「異化」などと言う言葉もあります。

そこから考えると、ビルに激突する飛行機の映像は、まさしく日常生活にショックを与えたのは確かです。
そう考えれば、ショットックハウゼンの意見(誤報に近いのだが)は、いかにも誰かが言いそうではあるな、と思ったのでした。

まだ続く。

02/10/09
まだまだ続いております。

>>上記については、以下のURLがまとまっています。
http://faculty.web.waseda.ac.jp/kawasaki/kougi114.htm ※リンク切れ
とはいえ、私はロシア文学専攻ではありません。

以上について、かいつまんでいうと、芸術の目的は日常生活を生き返らせることなのですが、とはいえ、そのために、他の人を犠牲にしていいわけでない。

ここで写真の話にたちかえると、私にとって写真とは日常生活を改めて認識しなおすこと、日常生活にとりまぎれてしまった、ものそのものの姿を、カメラという機械の目によって改めて見ることだろうと思います。
普段は先入観を持ってものを見ているが、カメラ自身にはそれはない。
ただ何に注目するかという意味では、撮影者の意思とものに対する先入観はあるが、撮影された写真には撮影者の思惑以外のものが写りこんでいる。
撮影する自分と、出来た写真を見る自分には微妙なずれがあり、そのずれから、自分の日常に対して新たな見方が出来る=日常を認識しなおす、ことが日常を生き返らせることにつながると私は考えております。

読む人もいないようですが、行きがかり上、どんどん続けていきます。


02/10/09
つまり、そのずれが異化につながっているのではないかと考えております。
しかし異化だけを追及すると、日常にはないものを追求したくなる。
それを追いかけていくと戦場に行くことになるかもしれません。
また、日常にはないことを見たいという欲望・ニーズは世の中に確実にある。
それと同時多発テロの映像を何度も映すのは、似たようなものではないかと思います。

ところで、港千尋氏が、テロをテーマにした彫刻「落ちる女」の展示が撤去されるなら、ビルに飛行機が激突する映像のほうがもっと問題ではないかと言っていたようです。
これには同意出来るところと、出来ないところがあります。
ニュース自体は以下URL
http://www.japandesign.ne.jp/EXPRESS/020925/w03.php ※リンク切れ


ビルと飛行機の激突映像を繰り返し流すことは、私も書いたとおり、一種の道義的な退廃だと思います。
しかし、写真を見る限り、「落ちる女」は生々しすぎて、やはり許容しがたい人は多いと思います。 時間が経ち、テロ事件が歴史の一部にならない限り、ごく普通の人が見れば苦痛でしょう。 作者はその苦痛を狙ったのかもしれませんが、だれもがそれに耐えられるわけではないと思います。
苦痛が強すぎて作品を見てもらえないならば、作者が伝えたかったこと(があれば)も伝わらないわけで、そのへんは、作者も考えようがあったようにも思うのです。
だから、展示を撤去したロックフェラーセンターを責めることは出来ないと思います。

「歴史の一部になる」「苦痛が薄れる」ということは、記憶が薄れ当事者ではなくなるということでもあり、事件の風化に他ならないのは分かっているのですが。

この件については情報が少ないので、ここで止めます。



02/10/10
ところで、以下の文章は、なかなかうまく言い表すことができないので、補足します。
> 自分の日常に対して新たな見方が出来る=日常を認識しなおすことが
> 日常を生き返らせることにつながる
これについては、撮影しようとするものを探すこと自体が、日常を見直すことにもなっていることを付け加えるべきでした。
私の場合は、面白いな、美しいな、なんか分からないけど心が惹かれるな、というものを撮影することが多いです(もちろん記録的な意味合いの写真を撮ることもあるのですが) 。

別の言い方をすると、写真を撮影することと、幸せを追求することはつながっているのではないかと言いたいわけです。
ちょっと飛躍があるか?
幸福の定義は出来ませんが、自分が自分らしくあることや、日々をいきいきと過ごしていけるということも幸福のひとつではないかと思います。
大分前に「小さな物語」と書きましたが、それが充実していることも幸福のひとつではないでしょうか。
となると、アラーキーの「幸福論」をどうしても思い出してきます。(植田正治の「小さい伝記」もうかんできますが、詳しく見ていません。)
9/11のテロ事件が、なぜかアラーキーに辿り着いてしまいました。

が、私なりの結論は一応出たかな、と思います。

さらに補足すると、幼い子どもというものは日々変わっていきます。
すると日常も日々驚きがおこり、生き返ります。
(昨日と同じ今日がまたやって来たとは思わない)
子どもが生まれてから、しみじみそう感じるようになりました。
それが、これまで書いたことの裏打ちになっています。

なんだか全体に飛躍が多いような気がしますが、ひとまずここで終わります。

今日の一言

昔、Haircut100というバンドがあったが、これっていわゆる「1000円床屋」ということではないか。

といって、別に検証する気もなし。

名盤 坂田明「おむすび」

これは名盤。
とくにテーマ曲「おむすび」は後世に残る曲かもしれない。なんとなく、コルトレーンカルテット中期後半~後期にかけての、いちばんいい時期(と思っている)に、似たかんじがする。
他のスタンダード曲もよい。ボーカル入りの曲は、まだちょっと慣れないかんじがのこる。
というか、坂田の音楽に言葉はいらないと思う。それくらいの高みに達している。
この演奏、ライブで見たかったな。半年早く買っておればよかった。

ところで、ドラムの「坂田学」、息子さんらしい。

さて、最近、86年頃の坂田明のライブテープをデジタル化して聴いている。新宿ピットインでカセットで録音したもの。メンツは渡辺香津美、ポンタ・村上秀一、ベースは藤井裕?のカルテット。曲は「新内恐れ節」とカリプソ風の曲、それとアイラーの「ゴースト」。かなりすばらしい演奏ですが、公開したらまずいんだろうな。
ちなみに、この日は前半と後半のセットに分かれていて、前半はいまあげた3曲でかなり緊張感のある演奏。後半はちょっとダレて、坂田の例の謎のボーカルなんぞが入っている。そういえば、「おむすび」にも「My Funny Valentine」が入っているが、このときのライブでもやってたな。もっともガナリたおしていたわけだが。

今頃気づいたのだが、ひょっとして、山下トリオも含めて、坂田明が好きだったのかもしれない。ちょっと本腰入れて聴いてみようか。

9/11追記 ボーカルが入る件について
ひとつには「星めぐりの歌」の黒田京子さんの声がかわゆすぎるのが、困る(なんで?)。もうひとつは、「死んだ男の残したものは」での坂田のサックスがもっと聴きたいから、ボーカルが少なくても良かった。というか間奏のサックスがもっと長ければそれでも良かったな。

今日の一言

何をするにしても、自分の後の人をことを考えて行動しませう。

玄関のサンダルを脱ぐときは、その先が出口のほうをむいているほうが、後の人も履きやすい。
後の人とは、自分でもあるし、他の人でもある、ナンツテ。

第二次竹の子生活

というわけで、しばらく使っていないものを切り売りして、暮らしております。
最近の実績
・荒木経惟の写真集
・朝日ソノラマ 現代カメラ新書
・牛腸茂雄の写真集 等

でも、未練がないとはいえないわけで…。

自爆テロ辞任

先日の福田さんの辞任会見を見たけど、なんか本音は別にあることを、わざと濃厚に匂わせていたように見えた。
後日、新聞とか見ると、「声もふるえ」とか「逆上し」とか、やたら書きなぐっているが、それほど冷静さを失ってはいなかったように見えた。
辞める真相はすぐには分からないのだろうが、本当は何かへのあてつけで辞めるといったように見えた。それがなにかは分からないが。
つまり、総理辞任という自爆テロのように思えるのだが。

ベス単フード外し風パーレット改造

7月の松坂屋のカメラ市にて、なにやら急に心が揺らめきて、六桜社のパーレットを5000円にて購いたり。ついでに、EF24/2.8のフードも買ったのだった。

実は以前からベス単フード外しによるソフトフォーカス撮影を試したかったのだ。これは植田正治先生のソフトフォーカス作品を見て、憧れていたのだった。
しかし、ベスト判コダックの良い出物がなかなかない。そんな折にたまたま手ごろな価格で、それなりの状態のパーレットを見たので、つい買ってしまった。きれいな状態だとレンズを取り外すのがむごいかんじがするし、あんまり汚いとレンズまで曇っていたりすることがあるが、このパーレットは、動きはちょっと渋いがレンズはわりときれいで、シャッター、絞りとも作動していた。

手元においてみると、なかなかに質感が良く、分解する気にならない。また、よくよく見ると、絞りが8以下に開かず、開放に出来ない機種であった(後期型か?)。
そんなこともあり、フィルムも入れずに蛇腹を伸ばしたり、シャッターを切ったりしていたのだが、先日、思い切って、レンズをボディから取り外し、シャッターまわりも分解して、開放~絞り8まで出来るようにしてみた。
フォーカシングには、M42ヘリコイドを使うことにして、そのレンズをペンタックスのM42ボディキャップに穴を開けて、パーレットのレンズを装着した。それをいまはEOS650につけている。

ファインダーからのぞくと、確かに紗がかかっている。なんだか不思議なかんじだが、ピントを合わせるのは難儀だな。

これからしばらく使ってみようと思う。

高田馬場 高野屋

先日、久しぶりに高田馬場の高野屋へ行って、かき氷を食べてきた。食べたのはミルク金時。

ところで、この時、お店にいたのはおばあさん一人であった。しばらく前は、おばあさん二人でやっていて、その前はおじいさんもいたのだが。
また、3人でやっていたころは、お餅類もウィンドウにならべられていたような気がする。

もうずいぶん前に西早稲田の「おかめ」がなくなって以来(20年近くになるか?)、かき氷は高野屋に決めている。末永く続いてほしい。

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