eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2007-04

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DNPは偉い

コニカにフィルムを復活させてくれて、ありがとう。
ASA200、ひいきにするよ。
目測カメラを使うときにちょうどいい。
シャッタースピードが1/300だったりすると、ASA400のフィルムは使いにくい場面があるのだ。
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壇ふみと野村正育アナウンサー

どうでもいい話題を一つ。
新日曜美術館の司会が変わってしまった。
昨年度は壇ふみと野村アナウンサーが司会していたが、二人並ぶと、なかなか絵的にいい感じ。和気藹々としているようであった。

そこで思ったのだが、NHKは連想ゲームで壇ふみを引っ張り出した責任?として、野村アナウンサーとくっつけたらどうだろうか。
なんか、二人とも幸せになれそうに見えるのだが。

まぁ、余計なお世話でした。

のっぽさんの手

NHKを見ていたら、「のっぽさん」こと高見のっぽさん(同じだな)が出ていた。
「できるかな」の初回、ゴン太君が生まれるところを見ていた記憶があるくらい(たしか、たらいとかを組み合わせて生み出していたような記憶がある)見ていたので、もちろんファンである。

で、そのなかで、のっぽさん曰く「手がきれいなうちは、できるかなを続けたかったがNHKの都合で終わりにさせられた」とのこと。
たしかに最終回のときののっぽさんの手は、お年を度外視してもきれいであった。

ちなみに自分も最初の会社の社員旅行で行った箱根の芸者さんに、きれいな手だと褒められた?ことがある(って、だから、なに?)
ついでに言うと、家人曰く、NHKでものっぽさんのファンの世代(40代くらいからか)が偉くなってきたので、改めて注目されているのではないかとのこと。THE WHO "MY GENERATION"が聞きたくなったな。

【08/11/07追記】
ふと思ったのだが、のっぽさんの良さとは、リズム(感の良さ)ではないだろうか。「できるかな」のときは、一言もしゃべらず、リズムにのって工作していたな。
そのへんが、老いてもおとろえぬ、あの軽やかさになっていたのだと思う。

IKD晶子という方について

※この方の名前を書いたら、やたらと参照されるようになったので表記を変えます。

IKD晶子という方がしばらく前に亡くなった。
この人の価値というのは自分にはあまり分からなかったが、いまだに読まれていると、以下に書いてある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E6%99%B6%E5%AD%90
ちなみに、この書き込み履歴を最初から見ていくと、いろいろな意味で笑ってしまう。ご照覧あれ。
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%B1%A0%E7%94%B0%E6%99%B6%E5%AD%90&action=history

ところで、この人の文章は週刊誌での連載しか知らないのだが(正確に言えば、それ以上に読む気がしなかったというべきか)、そこで記憶に残っているのをいくつか。
一つには、養老孟司氏について、批判がましいことを書いていたこと。これについては、いろいろ意見があっていいと思う(ので、特にいう事はないが、印象には残った)。もう一つは、若くして病魔に冒された方が「自分の生きた証を残したい」と言って、いろいろなことをやったことについて、かなり厳しいことを書いていたことだ。後者については、他人のやることだもの、しかも誰に迷惑かけるじゃなし、厳しいことを言うほうがどうかしているとも思ったが、今にして思えば、ご自分の残された生命のことを思って、思わず取り乱したのだろうか(それも人間らしくて、悪いことではないと思うが)。

改めてみると、この方はどうも頭でっかちだったな、と思う。そして普通の人であればいやおうなしに厳しい現実に直面するので(=考えたようにはならない現実)、頭でっかちのまま生きることは難しい。しかし、たまたま恵まれた環境にあったので、そのまま生きることができたんだろう。うらやましくもあるような、ないような。

体験的にいえば「頭で考えること」は、体が疲れないので、無限とはいわぬが相当長い時間考え続けることが可能だ。もちろん考え続けて疲労するとはいうが、かといって例えば重い荷物を運び続けるような場合の肉体疲労とは違う。
肉体疲労は、ある時点でそれをし続けることが継続不可能となるが、考え続けることは不可能ではない(堂々巡りになっても、それは考えていることの続きである)。

(ここから余談)
というのは、身近に精神的に不安定な人がいた時期があり、そのときに気付いたのだが、ある種の人たちの症例として、「とにかく寝ないで考え続ける」というのがあるようだ。これができるのは、考えることは体力をそれほど消費しないからである。寝ないで重い荷物を運び続けることはできないよ。こういう人は、考え続ける→不安増大→ますます考える→最後は妄想レベルに達する。そして寝ると落ち着く。だからこういう人は体を動かしたほうがいいのかもしれないが、専門家ではないから分からない。
(余談終わり)

池田氏は理性を重視していたようで、また、ソクラテスについて語ったりしているようだが、彼は実は理性だけでなく肉体も頑強であった。戦争に参加し武勲を揚げたことは知られている。そういえば、孔丘もがっちりした体格であった。ついでであるが、基督はどうだっただろうか、市場で暴れたりしているからひ弱ではなかったろう。お釈迦様は王族の出だから、やせっぽちではないのではないかと思う。

話がずれたが、池田氏には肉体性についてどう「配慮」していたのだろうか。「魂への配慮」とはいうが、魂を支えるのは肉体である。肉体に魂が引きずり回されてはならない、ということもあるだろうが、肉体を無視することはできない。このへん、脳について語っていながら、脳だけになってはいけないと語る養老氏とは折り合いが悪かったのかもしれない。
例えば、池田氏がもし子供を出産していたらどうだっただろうか。理性ではとらえきれない、しかし愛しい存在を前にして、その後の思考がどのように展開したか、見たかったような気もする。
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