eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2007-02

団塊の世代とはいうけれど

世代論というのは難しい。
とはいえ、まったく無効であるとも思えない。というのも、例えば、ある学校の登下校の様子を見ていると、馬鹿が集団であつまると、馬鹿のオーラを発していることが分かる。

さて、団塊世代というけれど、その実質はどうなんだろう。
いわゆる「団塊の世代」と呼ばれている人たちは、実は大学に入学できた者のことを中心に言っているのにすぎないのではないか?
 マスコミ(に限らず、だが)の癖として、自分のことをつい中心に考えてしまうというのがある。例えば、先日、山手線のトラブルが全国ニュースでやっていたが、あんなもん、東北の片田舎(例えば私の実家)にいる人にとって、ほとんど意味ないね。でも、東京にいる人にとっては大きな事柄。そして、マスコミの本拠は東京。だから、全体的視野を失って、あんなニュースを流してしまう。

同様に、団塊の時代として取り上げられがちなのは、大学に入り、それなりの地位にいて発言力のある人のことなのではないか。その例として、マスコミに属する人々が自分の周りにいる人たちを指してそういっている部分も多いのではないか。
だから、団塊の世代が何十万人かいたとしても、いわゆる「団塊の世代らしい人々」というのは、実際には50%もいないのかもしれない。

というのは、先日、ある送別会で話をした方がいたのだが、その方は戦後すぐに生まれた、まさしくその世代であった。しかし、いわゆる団塊の世代的な臭みや偏った、身勝手な考え方はみじんもなかった。
それを見ていて気付いたのだ。声高に叫ぶ団塊世代とは別の、物言わぬ戦後世代の人々がいるのを。

でも、バブルで踊っていたのはまさしく団塊の世代だったな。
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インターネットは通信販売のカタログか?

結局のところ、インターネットというのは通信販売のカタログでしかないのか?

アメリカにおいては、昔から通信販売が発達していたそうな。国が広いため、なかなかお店にいけない人が、シアーズ(sears)のカタログを見て買い物をするわけ。もちろん、カタログに偽りがあれば売れ行きに直結してくるから、かなりの程度信用できるものだったらしい。

それを、インターネット上で展開しているのがamazonやらなんやら。

それをさらに展開させたのがgoogleというのが今日の見立て。
思い起こせば、googleが出てきたとき、どうやって金を稼ぐのだろうか、ということが話題になった記憶がある。というのも、googleのページには検索窓しかない。しかし、yahooにしろMSNにしろ、必ず、ニュースやら話題やらのインデックスがリンクされて列挙されている(つまりそこに広告を入れればお金がとれる)。

で、やがてgoogleは「検索連動型広告」というのを始めた。これは従来のやりかたが「オンラインカタログ販売」に過ぎないのに対し、これは一種の「提案型営業」の手法を導入したわけ。つまり、「検索したもの=それが欲しいんでしょ、なら、こんなのあるよ」という話である。確かに、これは発明だ。
でも、ネットユーザーを単なる購買者としてしか見ていないようで、そこが悲しく思う。

談合の需要

「需要」と書いているのは、「必要性」とまではいえないわけで。

仕事で、GoogleのAdWordsとYahooのOvertureなんぞにかかずらわっているのだが、こちらがkey wordの単価を1円上げると、翌日必ずもう1円上げてくる会社(A社とする)がある。
こういうことをやっていても、結局、keyword単価がジリジリ高くなっていくだけで、得するのは広告会社だけという感じがする。

本音としては、A社の担当者に連絡を取り、単価吊り上げは馬鹿馬鹿しいから、もっと安い単価のところで手打ちしないか、と言いたいわけだが、もちろん言えない。
どうせアメリカの会社に日本の金が吸い上げられるだけであるだろうから、こんなことやめたいのだが。

以上のことは、つまり談合というやつの原初形態なのかもね。

自閉症とヒッピーくずれ

昨日、ウィンドウズアップデートの作業におわれながら考えた。

ビル・ゲイツは自閉症だという説がある(真偽は知らず)。
一方、スティーブ・ジョブスは確かヒッピー(くずれ)であった。

もし、そうなのであれば、もはやコンピュータなしでは成立しない(と思われる)現代の文明社会は、自閉症児とヒッピーくずれが作った世の中である。
つまり、コミュニケーション不全であり(であるがゆえに、さらにコミュニケーションを求める)、世の中の大多数(凡庸で愚かでもあるが、かといって奇矯でもない、つまり私のような人物)とは、足元が異なっているのではないかと思われる。
そんな世の中、(大多数にとって)ろくなものではないというのは簡単だが、さてこれをどう評すべきか。

折梱について

等と書いているが、つまりはオリコン・烏賀陽裁判のこと。

金にものをいわせて発言を封じるということは、下の下である。
データの信頼性で勝負するのではなく、金で勝負しようということか?

ところで、ランキング・人気投票は公平性が命である。しかし、ランキング等は金の力で容易にコントロールされてしまう可能性が常にある。小さい例では、菊池寛が、カフェのひいきの女給を人気投票で1位にしたいため、以下のようなことをした(以下引用 http://hugo-sb.way-nifty.com/hugo_sb/2005/01/post_49.html より)。
「そんな、「カフェ・ライオン」の常連に作家の菊池寛がいた。ある時、女給の人気投票が行われた(当時からそういうことをやっていたのだ)。ビール一本につき投票券が一枚付いており、客はビールを注文して、その投票券に自分のお気に入りの女給の名を書いて投票する。菊池寛は自分のお気に入りの女給の為にビール150本を注文し、150枚の投票券全てに彼女の名前を書いて投票した。当然、150本のビールは飲みきれる訳はなく、残りは次の日に自動車で取りに行く羽目になった。」(引用終わり)
※googleで「菊池寛 カフェ 女給 人気投票」とやるたくさん出てくる。もとは嵐山光三郎の本で読んだ。
まぁ、ほほえましい話ともいえる。

人気投票と金の関係は常に微妙な関係だとも言える。つまり、人気投票にかかわるところは、金銭に対して距離を置いたほうが、信頼性が増すように思う。
しかるに、発言を封じるために5000万の損害賠償をいきなり持ち出すのは、常人の感覚ではない。もしくは、痛くもないというよりは痛い腹を探られて逆上したのか? とにかく拙策であろう。
もし可能であれば、オリコンは、損害賠償は「1円」という象徴的な金額として、しかし内容においては真剣で誠実な裁判をすればよい。そうすれば、かえって評判も上がるだろう。

これまでオリコンについてはとりたてて思うところはなかったが、今回のことで、非常に悪い印象を持った。

例えば、以上に書いたことは私個人の主観であるが、こういう書き込みにもオリコンは文句を言うのではないか、と思うようになってしまった。オリコンが5000万の裁判で勝つことの得失を考えると、賠償金と1人の発言者の意見を封じることは得であるが、それによって、オリコンに対する評判・印象にある一定のバイアス(いきなり高額の訴訟を起こして発言を封じるような組織、とか)がかかるだろうということは、長い目で見れば失点かもしれない。
こちらも参考まで。

ところで、IMEでは「じょきゅう」を漢字変換すると「ジョ給」となるね。相変わらず白雉的である(「はくち」を変換しても「白痴」とはならない)。

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