eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2007-01

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木村伊兵衛展

銀座でやっている木村伊兵衛展に行ってきた。
カラーはエルメスギャラリー。慣れぬ場所なので入りにくかったが、まぁ良かったです。田沼武能さんがおられた。なるほど。

モノクロはライカギャラリー。
名作写真も何点か。ところで、あの耳のとがった少々悪魔風の男は、若き日のアンリ・カルティエ・ブレッソンだろうか。

ところで、銀座ニコンサロンで今月やっていた江成常夫展を見逃したのは痛かった。といっても、今回の写真集の良さに気付いたのは昨日なのだけれど。
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ネット情報の真贋力をつけるためには

ネット情報というのは玉石混交、「嘘を嘘と見抜けないでは楽しめない、云々」と言われている(ひろゆき?)。

では、その真贋を見分ける力はどこでつけるか?
自分の場合、これまでの経験(ある程度の教育、またこれまでの仕事も含む)とそれなりの読書、その他により、それなりに力は持っている(と思いたい)。

ところで、偽物を見分ける力をつける最も良い方法は、本物を見ることであるそうな。骨董商が、真贋を見分ける力をつけるために、上野の博物館に行くという話を読んだことがある(作品社の随筆集「嘘」のなかの誰かの文章だった)。本物ばかり(もしくは非常にできの良い偽物)を見ているうちに、贋物を見ると、なんか違和感を感じるようになるらしい。これも嘘かもしれんがなんとなく説得力のある話。

では、ネット情報にばかりに接している人はどうなるだろうか。一つの玉と十の石が混じっているところで、骨董商の場合のような力をつけることは可能だろうか。ちぃーとばかり難しいように思う。そう思うので、子供が小さいうちは、家庭にパソコンを持ち込まないようし続けようと思っている。

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「中の人」問題 googleについて

とか思っていたらNHKでgoogleを取り上げました。
一応、光と影の両面に触れているが、俗に「けなし三分に、褒め七分」というらしく、ある程度のけなしは、かえってその内容に信頼性を高め、褒めの部分をさらに強調するらしい。昨日のはどうであったか。

ところで、googleの気に入らない点はいくつかあるが、一つは世の中をすべて「言葉」でとらえようとしている点。
「はじめにロゴス(言葉)あり」というキリスト教的、西欧文明的であるね。
でも、世の中の多くの部分は言語化不能だと思っているが。特に日本文化では言語化できない部分の良さを伝統的に追求しているように思う。
そのへんどうなんだろね。
日本が検索エンジンで名を上げるとしたら、「言葉」ではなく、違うもので検索するまったく別種の物を作るしかないかも。例えば、デジカメである物を写真に撮り、それをuploadして検索するとか。
それと、googleが最初に出てきたとき、バナー広告も何もなくて、いったいどうやって儲けるのだろう、という話題があったことを思い出した。実は当初から検索連動型の広告を狙っていたのだろうな。それと、彼らにとっては「人=消費者」というのが人間観なのだろうか。
彼らのやっていることは、非常にアメリカ(USA)的に見える。つまり通信販売のカタログの拡張版ということ。それはそれでいいのだが、その分をわきまえて、あまり大それたことをしないで欲しい。
google八部をしでかす人々(=中の人)に、自分の行動、嗜好まで公開するのは考えものだ。

まぁ、googleの上手を行く使い方をすれば良いわけではあるが(それが一個人で可能か?)

全自動・全自由>全自動・半自由>0自動・全自由>全自動・0自由

みょうなタイトルですが、こりもせずカメラの話です。

「全自動・全自由」というのは、AE、AFだけど(全自動)、露出・ピントともにマニュアル可能な(自由)カメラのこと。
例えて言えばニコンF4、F5あたりだろうか(使ったことがないので分からないが)。フルオートもフルマニュアルもどちらでも充分な機能を持つカメラで、おそらくフラッグシップ機がそれにあたるのだろう。
機能的にはなにも問題がないが、しかし、全自動・全自由を満たすために、オーバースペックだったり、高価格だったりする」のではなかろうか。

「全自動・半自由」とは、AE、AFでマニュアル「も」可というカメラ。「半自由」なのは、全自動から切り替えるときに多少の手続き的操作が必要だから。
例えていえばEOSの中級機系列とか。ピントはマニュアルで、シャッター優先AEもしくは絞り優先AEのカメラなどかな。価格もそれほどではなく、案外これが一番使いやすいと思われる。
※「半自動・全自由」というのもあるはずだが、うまい例が思いつかないので割愛。なんとなくであるが、案外使いにくそうである。

「0自動・全自由」とは、いわゆるクラシックカメラですな。ニコンFとか、古いライカとか。これは慣れれば使いやすく、自由度も高い。悪くないよね。趣味的に言えば、これが最高かもしれない。

「全自動・0自由」とは、いわゆるコンパクトカメラの類。使いやすいけど、ちょっと規定から外れて、何かしようとすると、とたんに困難になるか、もしくはそもそもできなかったりする。

これをPCに当てはめてみたりすると、また面白いのだが、それはまた別の機会に。というか、これはもともとPCの移り変わりについて考えていたときに思いついた。



ところで、※「RE: 電車の速度をGPSで制御」が関連するようで、興味深い。

渋さ知らズ

先日、レコード屋へ行ったら、渋さ知らズがavex-ioと契約したとあった。
かつてはけっこう見ていたけど、子供が出来たりして、ここしばらく言ってないのだが、こういうことになっていたのか。
渋さとavexというのは、なんとなく不思議な組み合わせに思えたので。

まぁ、それはいいのだが、新宿のピットインで、1月18日、川下直広トリオとして出演するという。メンバーは、川下直広(Ts)不破大輔(B)岡村 太(Ds)。メンツだけ見ると、ドラムだけ替わったフェダインというかんじである。音はどうなんだろうね。
私は、大沼さんのドラムが好きだったので、そんなんだったら、また昔の3人でやってくれたらいいのに、とも思うが。

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Petri=青春期のカメラ

などと書いてみた。

その意味は、青春=未完成、不完全だけど、勢いがあって魅力的という意味。なんか意欲だけはあるけど完成度は低かったりして、でもそこが憎めないような。

先日手元にやってきたペトリES AUTOは、現在ためし撮り中だが、なかなか質感がいい。でも、ファインダーの距離計をのぞくと、二重像が薄くて(これは経年劣化だからしかたない、でもミノルタハイマチックFは二重像が薄くなってない)、しかもゴーストが3つくらい発生して、本当の二重像がどこか、一瞬迷うくらいである。

でも、なんか魅力的なんだよね。

というわけで、栗林(ペトリ)は、古参カメラメーカーではあるのだけれど、なんか「青春」という言葉が似合うような気がするのだ。

「中の人」問題

という名称の哲学的問題があるような気がしたが、もちろん冗談である。
「郵便的」とか、なんかよく分からん用語があるもんね。

とりあえず、それだけ。

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絵葉書写真

正月に帰省した折、一昨年末廃業した写真屋さんに連絡を取り、お邪魔させてもらった。
この店は、以前書いたヤシカFR様(持病はカウンター不調)を買った店です。

おじさんの話を聞かせてもらったのだが、「最近の写真は難しくて自分にはよく分からない。自分の写真はしょせん『絵葉書写真』だから。今の流行歌を聴いても分からないのと同じようなものだ」と話されていた。
しかし、改めて考えてみると、「絵葉書写真」とは含蓄のある言葉でもある。
絵葉書のように美しく撮って何が悪い。
特に、私の郷里のように昔の面影がすっかり薄らいだ町では、美しく撮られた昔の町の写真は、大変貴重に思える。

日常をさり気なく撮った、「ありのまま」風の写真もいい。しかし、写真館で記念写真を撮ってもらうような、改まったかんじの写真も撮っておくべきだろうか、と考え始めている。

どちらが正気か?

遅ればせながら、野村進著「緊急精神病棟」(講談社)を読んだ。
読むべき価値のある本だと思う。

ところで、この冒頭で、911の直後、精神錯乱状態になった男性が出てくる。(以下この部分の概略)
彼は、仕事のトラブル解決のためニューヨークに行き、精神をすり減らした後、つい最近まで自分も出入りしていた貿易センタービルが崩壊するところをテレビで見てしまう。それ以来、第3次世界大戦、この世の終末が来るという妄想(真面目に考えれば決してそうはいえないと思うが)に駆られ、通勤電車のホームで、「戦争が来るから早く逃げろ」と呼びかけてしまい、この病院に運び込まれる。

しかし、冷静に考えると、彼の行動は異常だとは決して言い切れない。むしろ、あるべき反応かもしれない。

911テロを見て、この世の終わり、もしくは第3次世界大戦と感ずるのは、正常である。実際、イラク戦争はすでに世界を巻き込んでいるではないか。
また、彼は、戦争の危機を直感した際、自分だけ逃げて助かろうとしたのではなく、周りの人を助けようという利他的行動をとっている。それも通勤電車に乗り合わせるというだけの、縁の薄い人たちに対してだ。

静かに考えると、この男性はなかなかの人物ではないだろうか。とった行動のあり方は奇矯ではあったろうが、しかし行動の本質においては、狂っているとは言い切れないように思う。

そう考えると、何食わぬ顔で生きている人々と、精神状態が不安定になってしまった人、どちらが正気だろうか。

上海、民工学校閉鎖

今朝、新聞を見ていたら、上海の民工の学校が行政側によって閉鎖されたというニュースがあった。

このことだけ見たら、中国ではよくあることかもしれないが、このようなことが続けば、社会不安が増大するかもしれない。

民工学校とは、農民戸籍のため、本来ならば都市で働くことができない人々が、仕事を求めて都市部にやってきたのであるが、戸籍が子供を学校に通わせられないため、自分たちの賃金を出し合い作った学校のことである。
出稼ぎで苦労する親が、せめて子供には教育を受けさせたいと作った学校である。
だから、学校に寄せる思いは、昨今の日本で想像するような生半可なものではないだろう。
そういえば、増山たづ子さんの写真で、村の最後の小学校の運動会の様子を写したものがあったな。村中の人が和気藹々と集っていた。そのような大事な場所としての学校だったのではないだろうか。
(これは以前、民工の学校をテレビで見た記憶も踏まえて書いている)。

ある人曰く(というか、どこで読んだか忘れたが)、中国経済発展の根本原理とは、国内に農村という植民地を持っているからだとあった。
そこからの人的、経済的搾取はし放題ということか。

子を持って分かったが、子供とは親にとって、命の延長であり、未来そのものである。子供の教育とは、その未来に託す夢である。(ついでに言っておくが、ここでいう教育とは、別に高学歴がどうしたというはなしではなく、素朴な職業教育までを含む意味である)
その夢をむざむざ壊されるようなことがあれば、底知れぬ怒りが発するだろう。

中国社会の将来は、日本同様、危ういかもしれないね。
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