eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2006-05

古典について

先日、若い方と話していて、つくづく思ったのだが、古典を読むのには体力が要るね。彼は、いわゆる理系なのだが、プラトンをギリシャ語で読んだりしている(辞書を片手にだけど)。
原語とはいわなくても、それなりのボリュームの本を読むのは、時間・体力・気力が必要だ。

そこで、格言めいたことを思いついた。
古典を読むには体力がいるが、古典の価値に気づくのは、年をとって、その体力がなくなったとき。

ドストエフスキーを読まねばならぬと思って、もう10年以上たったが未だに「悪霊」を読破できない。
なんとかしないとな。
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こども詞花集(さ~)

面倒なので、あと全部まとめてアップロードしてしまおう。

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さみだれを 集めてはやし 最上川     芭蕉

囀りを こぼさじと抱く 大樹かな     星野立子(虚子次女)

匙なめて 童たのしも 夏氷        山口誓子

閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声      芭蕉

雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る   小林一茶

咳をしても一人              尾崎放哉

空遠く 声あわせ行く 小鳥かな      炭太祗

旅人と わが名呼ばれん 初時雨      芭蕉

ちはやぶる神代もきかず龍田川 韓紅に水くくるとは 在原業平

月見ればちぢに物こそかなしけれ わが身ひとつの秋にはあらねど 大江千里

外にも出よ 触るるばかりに 春の月    中村汀女

菜の花や 月は東に 日は西に       与謝蕪村

熟田津に舟乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな 額田王

ぬばたまの夜のふけぬれば久木生ふる 清き流れに千鳥しば鳴く 山部赤人

年年歳歳花相似 
歳歳年年人不同               宋之問

春の海 終日のたり のたりかな       与謝蕪村

昼寝子の ほのかにひらく 掌        中森葦村

古郷や 餅につき込む 春の雪        小林一茶

時鳥なくや五月のあやめぐさ 
 あやめも知らぬ恋もするかな       古今集 読み人知らず

ままごと事の 飯もおさいも 土筆かな    星野立子

道のべの 木槿は馬に 食はれけり      芭蕉

むめがかに のっと日の出る 山路かな    芭蕉

名月を 取ってくれろと なく子哉      一茶

桃ありて ますます白し 雛の顔       炭太祗

もらい来る 茶わんの中の 金魚かな     内藤鳴雪

やせ蛙 負けるな一茶 ここにあり      一茶

雪とけて 村一ぱいの 子どもかな      一茶

世の中に 絶えて 桜のなかりせば 春の心はのどけからまし 在原業平

ルノアルの 女に毛糸 編ませたし      阿波野青畝

連名の 賀状は楽し 子沢山         山崎弥生

六月を 綺麗な風の 吹くことよ       正岡子規

我と来て あそべや 親のない雀       一茶

こども詞花集(か~こ)

柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺            正岡子規

清水へ祗園をよぎる桜月夜 こよひ逢う人みなうつくしき 与謝野晶子

くもること わすれし空の ひばりかな         久保田万太郎

鶏頭の 十四五本も ありぬべし            正岡子規

此道や 行く人なしに 秋の暮             芭蕉

こども詞花集(あ~お)

うちの子のために、名詩・名句カルタを作ったのだ。
DTPして、本にして渡したが一回読んで、しまいっぱなし。父としては暗誦してほしいのだが。
せっかく作ったのにもったいないので公開しました。

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荒海や 佐渡に横たふ 天の川               芭蕉

いくたびも 雪の深さを 尋ねけり             正岡子規

梅一輪 一輪ほどのあたたかさ               服部嵐雪

海に出て 木枯らし 帰るところなし            山口誓子

遠足や 出羽の童に 出羽の山               石田波郷

遠足の小学生徒有頂天に 大手ふりふり往来とほる      木下利玄

大海の磯もとどろによする波 われてくだけてさけて散るかも 源実朝


※ちょっと大人っぽいのも入ったかな。山口誓子の句とか。でも子供でもある種の孤独感は感得可能だろうと思うので入れてみた。

北山修の「共視論」から

北山修の「共視論」のなかの、 田中優子(法政大教授)の文章を読んでいたら あることを思いついた。
江戸時代の芝居絵(浮絵)、浮世絵では、絵を見る人と、絵の中の人が地続きの感覚があったということだ。だから、絵のなかの人物が枠外に出て行こうとしたりする。
たとえば、安藤(歌川)広重「はねたのわたし弁天の杜」では、画中の視線の持ち主と、絵を見る人の視線は重なり合っている。
(説明下手だな)。
見ようによっては、28ミリくらいでスナップしているかんじでもある。

また、木村伊兵衛「板塀 秋田にて」
これはまさしく、木村氏の視点によって馬が通り過ぎていくのを、共に見ているような印象を受ける。

まぁ、グダグダ書いても仕方ないので、飛躍があるけど大事と思うところだけ書いていく。

写真論で「窓派」「鏡派」とかがあるが、どちらも、撮影する主体が前提されている。
その主体は、当たり前だが基本的には撮影者であり、
それが対象とどう対峙のするかという点での違いに過ぎない。
つまり「窓派」の場合は、「我」「撮る」「外部世界」。
「鏡派」は、「我」「我を表象する対象」「撮る」。(ちょっと違うかな)
http://www.syabi.com/topics/t_10anniversary.html

でも木村氏なんかは違うんじゃないか。
というのは、「我」のところに「写真を見る人」を代入可能な余地が大きいように思える。
例えば、子規の「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」という俳句には主語がない。
読み人は子規だが、そこに読者が入り込んでも一向に構わない。
また、放哉の「咳をしても一人」も同様だ。

木村氏の写真では、木村氏という主体が、どう対象を見たか、ということもあるが、木村氏という主体の位置に、写真を見る者が立てる写真のように思える。
つまり「共視」という立場だ。
思えば、隅田川の花火大会の写真では、物干し台に立って見物する人が写しこまれているが、あれは二重に共視の構造を持っているのではないか。
つまり、物干し台の人と共に見る木村氏、さらにそれを見ている今の時代の人。これは、小林清親「両国花火之図」と非常に似た構造である。


だから、共視だけが写真の見方・考え方ではないのだが、自分にとっては非常に大事だと思える。

そこで、かなり昔の話だが、2chのスレッドで
> マグナムの9/11の写真展(「マグナムが撮ったNY 9.11」)をやっていたが、
> なぜか見に行かなかったな。
> 何故だか自分でもわからない。
> マグナムがらみの写真展はたいてい行くのに。
と自分で書いていたことに帰っていく。

やはり、俺の立場では、マグナムの写真家の視点と、自らを共にすることはできなかったのだな。
その理由は、合衆国が世界史の中でどのようなことをしてきたのかを知っていたため、911で亡くなった人はまことに気の毒であるとは思うけれど、かといって、それを無垢のものが受けた悲劇というふうには考えられなかったからだと思う。
共視できないものを感じていたので、見に行かなかったのだと、今では思う。

さて、2chのスレでは02/09/11以来、ずいぶん長い間、ぽちぽちと書きつづってきたが、一応の答えが出てきたようだ。

例えば、桑原甲子雄氏の写真は、自分にはまさしく共視すべき写真である。
それは憂鬱を抱えながら、町を散歩するときだけは自由人である一人の人間という、今の自分とほぼ変わりがない立場の撮影者の写真でだからである。

この項の結論としては、自分でも、他者にとって共視できうるような写真を撮りたく思う。

そしてもう一言、複製が前提されている写真というもの自体が、そもそも共視的な意味合いを持っていたのではないか、とも思う。

最後のほうは、もう少し掘り下げるかもしれない。
とりあえず、こんなところまで。

「最澄と天台の国宝」展

上野の国立博物館で開催中の「最澄と天台の国宝」に行ってきた。
見たかったのは「山家学生式」だったのだが、会期前半のみだったのだ。残念なリ。

見ごたえのあるもの(ものといっていいのかな)ばかりであったが、その中で源信(恵信)僧都の肖像が、なぜか心に残った。その眼差しが何とも言えぬ憂いにも見えるような、悟ったようにも見えるような、どうともいえないものであったからだ。仏像および若干の神像が多かったが、源信僧都の肖像には、なぜか「人間」を強く感じてしまったといえば、言い過ぎ、もしくは誤りだろうか。
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