eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2006-04

mamiyaよ、おまいもか。

ぎっくり腰になって、床に伏せっていたらこのニュース。
Mamiyaよ。うそだといってくれ。

今日は欝です。
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エンケン最高

昨日、渋谷のクアトロで遠藤賢司(エンケン)の新譜発売記念ライブを見た。
やっぱり、いつ見ても、かっこよい。美しく、力強く、繊細である。
ちなみに2chのスレで、昨日のセットリストを教えてもらった。

4/18 渋谷 クラブクアトロ
1 ド・素人はスッコンデロォ!(遠藤賢司[Vo・EG・Harp・Ds])
2 風の噂(遠藤賢司[Vo・G])
3・4 満足できるかな ~ 踊ろよベイビー(遠藤賢司[Vo・G・Harp])
5 死んじゃったお母さんの夢(遠藤賢司[Vo・Piano])
6 裸の王様(湯川潮音[Vo・G])
7 やっと君が僕のことを(遠藤賢司[Vo・G・Harp]、湯川潮音[Cho])
8 雨あがりのビル街(遠藤賢司[Vo・G]、湯川トーベン[B・Cho]、鈴木茂[EG]、上原ユカリ[Ds])
9 やっぱりあなたの歌じゃなきゃ(遠藤賢司[Vo・G・Harp]、湯川トーベン[B]、鈴木茂[EG]、上原ユカリ[Ds])
10 夜汽車のブルース(遠藤賢司[Vo・G・Harp]、湯川トーベン[B]、鈴木茂[EG]、上原ユカリ[Ds])
11 宇宙を叩け(遠藤賢司[Vo・G・Harp]、湯川トーベン[B・Cho]、石塚俊明[Ds])
12 どうにかなっちまう(遠藤賢司[Vo・EG]、湯川トーベン[B・Cho]、石塚俊明[Ds])
13 黄色い猿(遠藤賢司[Vo・EG]、石塚俊明[Ds])
14 裸の大宇宙(遠藤賢司[Vo・EG・Harp]、湯川トーベン[B・Cho]、石塚俊明[Ds])
15 荒野の狼(遠藤賢司[Vo・EG・Harp]、湯川トーベン[B]、石塚俊明[Ds])
16 不滅の男(遠藤賢司[Vo・EG・Harp]、湯川トーベン[B・Cho]、石塚俊明[Ds])
17 東京ワッショイ(遠藤賢司[Vo・EG]、湯川トーベン[B・Cho]、石塚俊明[Ds]、上原ユカリ[Ds]、鈴木茂[EG]、湯川潮音[Cho・Tambourine])
(アンコール)
18 ビートルズをぶっとばせ!(遠藤賢司[Vo・EG・Harp]、湯川トーベン[B・Cho]、石塚俊明[Ds])
19 夢よ叫べ(遠藤賢司[Vo・G])

なんだか、涙がこぼれそうになったところがいくつもあったよ。

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岡野先生にお会いした。

先日機会があって、歌人の岡野弘彦先生にお会いする幸運に恵まれた。
岡野先生は、いろいろと有名な方であるが、私自身はこの歌一首で歴史に残ると思っている。

 またひとり顔なき男あらはれて 暗き踊りの輪をひろげゆく

※この歌は、太平洋戦争、その傷跡、日本文化の深層など、さまざまな面に広がりをもつ歌だと思っています。

さて、お話の中で、記憶に残ることがあったので、それをいくつか。
文春で立花隆が東大物語を書いていたが、それに登場していた平泉澄教授の関連から、先生が聞いたことのある講演の話があった。
岡野先生は、皇學館中学の学生だった頃に、平泉博士(と先生は言っておられた)の講演を聞いたことがあったそうだ。そのとき、平泉氏は別に国粋主義的な話はすることなく、明恵上人の

 あかあかや あかあかあか や あかあかや あかあかあかや あかあかや月

という歌についてずっと語ったそうだ。それにしてもすごい歌だな。
※平泉氏については、戦時中のその影響を思うと、敬語を使うべきか私自身に迷いがある。

さて、皇學館中学は伊勢神宮に関連が深いだけあって、そこの校長はやはり国粋主義であったという。その校長先生の話は、ひじょうに熱く語ってはいたのだが、しかし内容よりはその熱意が記憶に残る話だったそうである。

その後、國學院大に進まれ、折口信夫の最後の弟子になるわけだが、折口氏は、平泉氏や皇學館の先生とは違い、民俗学の立場から日本文化の話をされたそうだ。そこで、岡野先生は、まったく違うものの見方を教えられた、というようにお話された。

とりたてて結論とか発見のある話ではないが、自分のために書いておいた。

日本人12歳説

ベルント・ローゼ写真館「希望の光」~ドイツ人特派員が撮った昭和26年の日本~
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2006/02/h0217-1a.html

この写真展の案内の文章に、何か気になるものをかんじた。
※以下引用
敗戦国という同じ立場にあったドイツ人の目に、当時の日本は、日本人はどのように写ったのでしょうか。来日前、広島の取材を思い立った彼が想像したのは、悲観的になり無気力の中に沈んでいる人々の姿でした。しかし、彼が配信した記事には「これほど明るい笑顔を、……再建、再興において、これほど市民が活発に努力している町を、わたしは他に知らない」と記されています。(引用終わり)

何故、ドイツ人としては「悲観的になり無気力の中に沈」んでいるだろうと思ったのに、日本人は広島であってさえ「これほど明るい笑顔を、……再建、再興において、これほど市民が活発に努力している」というほど違ったのだろうか?
確かに、ドイツは国内が戦場になり筆舌に尽くしがたい惨禍があったと聞く。しかし、比較すべきものではないだろうが、広島の惨禍も周知のとおりである。にもかかわらず広島でさえそうなのだから、それ以外の日本国内はなおさらだったのだろう。

以下は、ちょっと思いつきレベルなのでまだ書くべきではないかもしれないが、よかったら読んでみてください。

マッカーサーの有名な言葉に「日本人12歳説」というのがある。曰く「日本人は、近代文明の尺度で測れば、12歳の少年といったところ(like a boy of twelve)でしょう」。
Wikipedeiaによれば、「民主主義の成熟度について「アメリカがもう40代なのに対して日本は12歳の少年、日本ならば理想を実現する余地はまだある」と述べた。「科学、美術、宗教、文化などの発展の上からみて、アングロ・サクソン民族が 45 歳の壮年に達しているとすれば、ドイツ人もそれとほぼ同年齢である。ドイツ人が現代の道徳や国際道義を守るのを怠けたのは、それを意識してやったのであり、国際情勢に関する無知のためではない。ドイツが犯した失敗は、日本人の失敗とは趣を異にするのである」。どちらかといえば日本を擁護したような文脈であった。
wikipedeiaの「ダグラス・マッカーサー」の項より引用。

最近、殿山泰司の「三文役者あなあきい伝」を再読しているのだが、「次の戦争の時には責任者を決めてからやってくれ」(大意)というセリフがあった。敗戦時、日本の最終的な戦争責任者はうやむやになったことを踏まえている。
ここで考えたのは、ドイツ人は戦争と敗戦を自分の問題としてとらえたのだろう。ヒトラーに政権を許したのも、戦争に参加したのも、結局は自分たちの問題として考えたのだろう。だから「悲観的になり無気力の中に沈」む。つまり大人の態度だろうね。
一方、日本人は「天皇の赤子」であり、大人として戦争を始めたわけではない。また戦争を始めた政府は戦争をやめたくなっても止め方が分からない。赤子の親である昭和天皇が止める(ポツダム宣言受諾)と言ってくれなければ、本当は止めたかったのに止められなかった(このへんは安吾の堕落論から引いている)。それを考えれば「精神年齢12歳」、つまり、まだ親がいなければ判断できない精神状態なのだという意味であれば、それほど変な話ではない。

ここからもう少し話を進めたいのだが、まだ煮詰まらないので、今日はここまで。
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