eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2006-03

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写真更新

冬の写真

fuyu.jpg

kisibojinmae.jpg

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桜が咲きました。

神田川沿いに桜が咲きました。
昼休みのたびに、近辺を散歩して芭蕉庵の甘酒を飲んでいます。甘露也。
ちなみに「甘露酒」という種類の酒もあるそうです。

桜を見ながら、散歩していると多幸感におそわれ、頭の芯の部分がなんとなくとけてきますな。
個人的には、満開、八分咲きよりも、五分咲きくらいが好きです。
このくらいだと、まだ散る花がほとんどない。
満開になったときは、かなり散りはじめているときでもあります。
それが寂しく見えるのか、きたなく見えるのか、どうも五分咲きのほうがいいように思えます。

それにしても、神田川の新宿区の部分に、愚にもつかぬ川柳や俳句が飾ってあるのだが、実に俗っぽい。まったく興ざめだな。やめてほしいもんだ。
同じ場所に、小学生がかわいい俳句を書いているが、同じ愚であっても、これは許せる。

いまが見頃と思います。

竹の子生活

というほどではないが、不要なものを処分しはじめました。
まずは、S社のマクロレンズをヤフオクで売りました。
買ってくれた方どうもありがとう。
そのお金は、月々の小遣いの不足分に消えました…。
次は、なに売ろう(泣。

135ミリ

NHK教育テレビで、木村伊兵衛の特集をやっていました。
コンタクトプリントをじっくり見せてくれたのはありがたかった。

ところで、撮影中の写真で、M3?にエルマーかヘクトールの135ミリをつけている様子でした。
木村氏というと、なんとなく50ミリという思い込みがあったのですが、そんなこともないんだね。考えてみると、135ミリを使ったような写真(隅田川の白鷺とか)もいくつかあったし、タンバールは中望遠だった。

実は、135ミリのレンズを何本か持っているのだが、いまひとつ使いこなせていなかった。NFD135/2.8、ヘキサノン135/3.2、135/2.8ゾナーとかね。
なにしろ、135ミリは市場にあふれていて安価なので、つい買ってしまったわけ。
あの番組を見て、なんとなくヒントを得たような気持ちです。

故増山たづ子さんのこと (旧タイトル「多忙につき」)

しばらく更新できておりません。
故増山たづ子さんのことなど書きたいこともあるのですが。

もう少ししたら書けそうかな。



暇は相変わらず出来ないが、あせっても仕方がないので、以下、2chのカメラスレッドから適当に抜粋したのを掲載する。みんないいこと書いてるね。

【訃報】カメラばあちゃん増山さん死去【徳山村】
1 :名無しさん脚:2006/03/09(木) 10:37:10 ID:eBANUrQK
故郷~私の徳山村写真日記~


全てのカメラマンに捧ぐ
このおばあちゃんの写真は好きだった。

13 :名無しさん脚:2006/03/09(木) 18:26:33 ID:Qo70CLaN
>いい写真を撮ろうと思って撮ったことはいっぺんもないの。
>ぼやけたのまで、みんな好き。

ピンボケのコマまで全てすき....ただただ凄いな。

14 :名無しさん脚:2006/03/09(木) 19:02:40 ID:MJWbfbMb
哀悼の意をこめて自分のピッカリコニカで天に向かってピッカリしてみた

15 :名無しさん脚:2006/03/09(木) 20:41:09 ID:P2NKe9uP
このばあちゃんは昔テレビで見たな。
そこころの俺は写真なんかやってなかった。
今、写真はやってるけど、このばあちゃんと違って撮るものへの愛情がまるで欠けていたことに気が付いたよ。
綺麗さとか技術とか関係なく、俺も見る人を幸せにするような写真を撮りたいと今ちょと本気で思った。
合掌。

16 :名無しさん脚:2006/03/09(木) 21:49:24 ID:IdnG53ZR
木村伊兵衛賞を上げるべきだったと思う。
好きだったし、憧れだった・・・・
お悔やみ申し上げます。

18 :名無しさん脚:2006/03/10(金) 00:18:10 ID:Acywxl7I
写真集持ってる
どの人を撮っても増山さん自身の人柄が写りこんでる。
写真家として、というよりそれ以前にいい人だったんだろうな。
謹んでご冥福をお祈りします。

21 :名無しさん脚:2006/03/10(金) 04:52:11 ID:LoujF67d
写真って、あの世にも持っていけるものだったんだな。

俺、もっと撮らなきゃ。

35 :名無しさん脚:2006/03/11(土) 01:44:33 ID:swGDhQUp
カメラが写真を撮るのではなく、人が写真を撮ることを忘れてはいけないと思う。

55 :名無しさん脚:2006/03/12(日) 16:51:15 ID:LjySywO8
増山さんのお名前を耳にしたのは大学を卒業してしばらく経ったころでした。
そのころは、生意気にも、写真家になれたらと思っていました。
しかし、ダムに沈む村を何とか残そうと、小さなカメラを手に走り回り、
子供たちからお年寄り、道端の小さな花まで一所懸命撮っておられる姿を
テレビで見たとき自分がいかに甘いかを思い知らされました。
写真を撮る本質を見せられた思いがしました。

こころよりご冥福をお祈り申し上げます。合掌。

67 :名無しさん脚:2006/03/15(水) 00:30:22 ID:qeon80TS
アラーキーの「写真ノ話」って本に、写真の撮り方とか写真とは何かということについて、母親が
死んだときと、父親が死んだときに撮った写真を引き合いに出して語ってる部分があってさ、
一部分だけ抜粋すると、

(前略)
アタシが見たくない、彼も見せたくない、残したくない顔は、切っちゃうわけ。長患いで情けない顔に
なっちゃってるからさ。こういうときの顔撮ってると、ずっと残っちゃうから。忘れたければね、顔を
撮らなきゃいいんだよ。写真撮るとね、どうしても思い出しちゃうから。
で、顔をトリミングする。切っちゃう。フレームアウトする。
(以下略)

さっきの番組で増山さんが同じようなこと言ってるのな。
「悲しいところや悪いところは一つも撮っとらん。」「写真は残るから」(以下略)

上手く撮ろうとか考えてないとも言ってるけど、それでいて心構えみたいなもんがアラーキーと同じような
境地に到達してるのな。凄い写真が出来るわけだわ。

72 :名無しさん脚:2006/03/15(水) 10:42:47 ID:D/9RMPmK
>>67
というか、ある意味アラーキーより写真の真髄に到達した人だったと思う。

74 :名無しさん脚:2006/03/15(水) 18:09:59 ID:qeon80TS
アラーキーは、生と死って事言ってるけど、増山さんの撮った写真にも
生と死が写ってるな。村の死や故郷の死、生まれ故郷で死にたいという老人の
気持ち。そういった死に関する色んな物事が写ってる。でも写ってる村人の
姿は生き生きとしてる。

76 :名無しさん脚:2006/03/15(水) 23:12:43 ID:2gONeglY
>>74
まったく同意。

婆さんの写真を見るたび、
何故写真を撮るのか、何のために撮るのか、いつも自問させられる。
そして、誰かに巧いって言ってもらいたいからとか、とりあえず絵になりそうだから
って理由でシャッターを切っている自分を見つけるんだな。

写真を撮るということの本当の意味を教えてくれたように思うよ。

77 :名無しさん脚:2006/03/16(木) 17:51:01 ID:iPAa/szQ
>>73
>やっぱり、写ってる本人に喜んでもらえるような写真がイイよね。

撮る趣旨が多様である以上、良くも悪くも色々な写真があるけど
自分が撮った写真で、ほんの一瞬でも人を幸せな気持ちにさせる
ことができたら、激しくいいなと思う。

79 名前:名無しさん脚 投稿日:2006/03/26(日) 10:06:59 9RWwPhlp
婆さんの写真は決して技術的に巧い物ではなかった。
でも、そんな事はどうでも良い。
この婆さんの写真群を並べると「村」が出来るんだぜ。
こんな事出来る人、どれだけ居るだろうか?
少なくとも「大御所」竹内敏信や「脱がせ屋」篠山紀信には逆立ちしても出来ない事だろう。
人として生まれてきて、その生きた証を残せる人って凄いと思ったよ。
もとより婆さんより「もっと」凄い物を残してる人がいるのも承知している。
だからと言って婆さんの所行を卑下する事は出来ない。
少なくとも俺には婆さんほどの物を残す事は出来ない。出来そうにない。
改めてご冥福をお祈りすると共に、(会った事無いけど)お別れの言葉。
「やったね婆ちゃん」

81 名前:名無しさん脚 投稿日:2006/03/26(日) 23:31:05 z2GpYwxK
>>79
>この婆さんの写真群を並べると「村」が出来るんだぜ。
なんか感動した


82 名前:名無しさん脚 投稿日:2006/03/26(日) 23:31:26 9LlIOIOJ
大御所の写真にはちっとも憧れない。ただ、これでもかって言うほど念入りにやっているであろう自分の
足を使ったロケハンの積み重ねは、一生見習わなくてはいけないと思う。

脱がせ屋さんの写真は、ブツ撮りのフィギアみたいだ。何が悲しゅうて生きた人間をフィギアみたいに
写さなきゃならんのかが俺にはわからん。果てしなく痛々しくてもトレカメやもえたそのヌードのほうが、
生きている人間が感じられるぶんだけずっとオモシレエ。

アマチュア写真倶楽部の作品展とかをたまにみると、変に上手く撮ろうとしてる写真ばっかで凄く寂しい。
それと、フォルテアやベルビアで撮ったと思われるキモイ発色の写真が目立つ。あんな癖のあるフィルムを
脊髄反射で使ったら良くなる筈の写真までダメになる。

そういうのと比べると、増山さんの写真は被写体への愛と被写体が持つ命が伝わってきてしかも作風が上品
で好きだ。写真には、撮影者自身が投影されると知らされる。ヘボ写真を性懲りも無く雑誌に送り続ける以上、
自分も心して撮らないといけないといけないと思う。


83 名前:名無しさん脚 投稿日:2006/03/26(日) 23:32:55 9LlIOIOJ
>>81
村の様子を写真で残せと、天命が下りたんだろうとおもう。


84 名前:名無しさん脚 投稿日:2006/03/27(月) 12:56:23 z/UczL9B
天命なんて霊感的なものではないだろう
婆ちゃんの写真は消える故郷と出征したまま帰ってこなかった旦那への想いが結晶化したもんだよ ・゚・(ノД`)・゚・

87 名前:名無しさん脚 投稿日:2006/03/28(火) 03:41:13 sAeUYgtE
>この婆さんの写真群を並べると「村」が出来るんだぜ。

たづ婆ちゃんが何をなし遂げたのか正確に表現しやがったなこのやろう。
写真やってる人間に対して最高の賛辞だと思うぜ。




【売れっ子】コニカC35 2台目【じゃ~に~】
1 : ◆C35/R9EEg2 :2005/05/10(火) 11:26:50 ID:fSNbcd3n
主にコニカのコンパクトカメラの傑作であるC35シリーズについて
語り合うスレの2スレ目です。

463 :名無しさん脚:2006/03/09(木) 01:31:43 ID:dFTkH9uh
コニカは社葬にすべきだな
っていくらなんでも無理か
冥福をお祈りします

474 :名無しさん脚:2006/03/09(木) 10:34:36 ID:WNkxg2Oc
ばあちゃん、今頃はずっと待ち続けた父ちゃんと会えてる頃だろうか。

475 :名無しさん脚:2006/03/09(木) 11:55:52 ID:Kur1H9zg
それじゃ写真集も一緒に入れてやらないといけないね

476 :名無しさん脚:2006/03/10(金) 20:34:56 ID:LoujF67d
そうなると父ちゃん、今ごろ写真責めだな。
まずは7万枚見させられるわけだ。

477 :名無しさん脚:2006/03/10(金) 21:28:28 ID:qYMzexGc
7万枚語りつづけるばーちゃん

478 :名無しさん脚:2006/03/10(金) 21:58:31 ID:SREn6Etn
>>477
いいじゃないか。二人にとって時間はたっぷりある

479 :名無しさん脚:2006/03/11(土) 02:51:35 ID:RPFTQiI4
コニカがあぼんしたのは、ばあちゃんと一緒にあの世に行くためだったのかもね。
天国の人たちの写真を撮りたくなったとき、ピッカリコニカとフィルムがないと困るだろう?

480 :名無しさん脚:2006/03/11(土) 08:06:45 ID:IZsjuanb
あっちの世界には徳山村があるのだろうか

481 :名無しさん脚:2006/03/11(土) 11:48:02 ID:7SbZjjiv
ばあちゃんの写真を元に再現されるんだよ。
写ってる思い出といっしょに。

482 :名無しさん脚:2006/03/11(土) 13:53:17 ID:rhEXOnhI
お前ら泣かせるなよ・・・・・

デジカメは魂、以下(r 2 もしくはデジタル御真影について

まだ、このテーマを考えております。
まとめなおすと
1.銀塩写真
(1)錬金術の流れ
(2)似姿に魂が分与される
よって魂が吸い取られるかも。
2.デジカメの画像
(1)人間の作ったテクノロジーの範囲内のもの
※錬金術は、自然に隠された力を人間の手に入れようとした。そこから自然科学が発達し、その流れからデジカメが出てきた。
(2)デジカメの画像はデータである
つまり、画像として現象的には似姿が現れているが、本質は「01」の世界である。また、データ化すること自体が「01」への置き換えを行っている。この置き換えの際に、「なにか」が失われる。
一方、銀塩の場合、その像は本質的に、潜像→現像のプロセスの中でも「像」は残っており、データとしての置き換えはなされていない。

この最後のへんが、どうもミソのような気がしてきたな。

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歴史学とインターネット

若い友人から聞いた話です。
彼の知人が今現代史を専攻していて、アメリカでnational archivesとかにある書簡集を見たりしているそうです。
時代ごとに、書類・書簡等がまとめられているのですが、1980年代以降になると、その書簡類が、ぱったりとなくなっているそうです。これは内容によってそうなのではなく、絶対量がないということ。
考えてみると、どうやらこの頃からメールでのやり取りが多くなり、プリントアウトされた「実物」としての書類が残っていないということらしい、ということでした。
また、現在あるデータをプリントアウトしたら膨大な量になって、物として保管しきれない可能性もあります。

このままいくとデータをずっとバックアップして行き続けるという事になりそうだが、しかしHDは必ず壊れるしな。100年経ってみたら、いったいどのような時代に見えるのだろうか。何も残っていないかもしれない。



以下追記。

この話は、上記の若い友人が古今名墨蹟展を見に行ってきたという話からはじまった。墨と和紙の組み合わせであれば、千年保存されることが実証されている。
ところで、原子力発電所の廃棄物は千年~万年のオーダーでの管理が必要だが、そのマニュアルはそのような形態で記載されるのであろうかという話になった。文字を紙にプリントアウトするか?膨大な冊数となるだろう。データで管理か?バックアップをとっていても、必ずしも万全ではないだろう。
(過去も含め)原発推進派の人たちは、一体どうするつもりであろうか?
俺のアイデアは、廃棄施設の鉛の遮蔽版にタガネで、一文字ずつ打ち込むというのだけれど、文字量が多くいので無理だろうと言われてしまった。

「サイボーグ化する私とネットワーク化する世界」

amazonに書評を書いてみたが、不採用のようなので、こっちに転載した。と思ったら、掲載されておりました。気づかなかったなー(追記:20060602)
(以下本文となります)

おそらく、読む価値があるのは、第12章とエピローグのみ。それ以外の部分については、すでにタイトル「サイボーグ化する私とネットワーク化する世界」(NTT出版)が物語っている。
つまり、牙もなく、暖かい毛皮もなく、腕力も脚力もない人間という動物が世に現れたとき既に、生き延びるために身体機能の拡張(extension)を実行していた。衣服、家屋、武器、車、その他。身体機能の延長は、人間の本性の一部ともいえる。これが「サイボーグ化する私」ということ。
ところで、人間の活動のうち、非常に大きな部分をしているのがコミュニケーションである。さまざまな身体機能の延長のうち、コミュニケーションに関するものが、昨今飛躍的に拡張・拡大してきた。その現時点での到達点が、「ネットワーク化する(した)世界」。
要約するとこういうことになると思う。
第12章では、ネットワーク化された社会の問題点を取り上げている。
エピローグでは、ネットワークによって、イラク戦争反対のデモが発生したことについてふれているが、しかし電子ネットワークがリアルワールドに影響を与えたと言いながら、現実には戦争を止めることが出来なかったことについてはふれていない。
エピローグ全体の印象は、いわば、電子社会版古代ギリシャのポリス・市民の再現に近いが、古代ギリシャが奴隷によって支えられていたように、現代のポリス(都市国家)が誰の犠牲によってなりたつのか、という視点が欠如している。

それともう一つ。ここでいうネットワークはあくまで「言葉」によって成立するもの。つまりインターネット技術(とその応用)は、とどのつまりは言語によって成立している。もしくは言語化可能なものを重要視しているといっても良い。しかしネットワークは言語によるものだけだろうか。音楽、儀礼、食物、その他によるネットワークもある。しかし、ここでは、それはすべて排除されている。それで本当にいいのか?
これがこの本から読み取れるもう一つのテーマだと言える。

ところで、立花隆がNHKで取り上げていた、
http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051104_cyborg/
これをどうとらえるべきか考えていたのだが、やはり身体機能の延長がインターネット技術と結びつく場合を想定すれば、不思議ではない(しかし違和感はある)。
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