eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2005-10

ものと情報

別になんでもない、単なる思い付きですが。

ネットで音楽を買うようになってきましたが、あれってどんなもんでしょうね。
自分は古い人間なので、LPもしくはCDという「もの」を買っていたつもりですが、データをダウンロードするというのは、すくなくとも「もの」を買っているわけではないような気がする。
だって、手にとることが出来ないからね。

ということは情報を買っているということなのだろうか。
でも、俺は「情報」はほしくないな。
やっぱりミュージシャンが作った「もの」がほしい。
CD、LPにはジャケットがあって、何かが印刷されているし、凝っている人だと、紙自体が特殊なものだったりする。その手触りも、俺にとっては音楽のうちだな。
ものというのは実体があるし、聴いているうちに傷がついたり磨り減ったりする。でも、それ自体が、自分とものとの係わり合いだからそれでいい。

「もの」の意味には、霊的なものをさすことがある。「もののけ」とかね。
関係ないけど「もののけ姫」と「もものけひめ」って似てないかな。そうか違うか。
なんか、ね、そんなことを考えてました。
この件、掘り下げるかもしれないし、このままほったらかしかもしれない。
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最近テキストばかりだったので、昔の写真を載せてみました。

「坊ちゃん」再読

今日、なぜかいまさらながら「坊ちゃん」を再読した。
じつは「草枕」を未読なので、遅ればせながら読もうと思ったのに、併載されている坊ちゃんを読んでしまったというわけ。

大人になってから読むと、前半、なんだか泣けてしょうがない。
宿直の夜に生徒が悪ふざけをする部分で、
「正直だから、どうしていいかわからないんだ。世の中で正直が勝たないで、ほかに勝つものがあるか、考えてみろ」と悔しがるわけところがある。
これは大人になると、さらによくわかる科白だよ。なかなかそうはならないし、できないから、なおさらそうありたいと思うのだ。
それと「清」とのかかわり。清から届いた手紙を読む場面だが、
「部屋のなかは少し暗くなって、まえの時より見にくくなったから、とうとう縁鼻へ出て、腰をかけながらていねいに拝見した。すると初秋の風が芭蕉の葉を動かして、素肌に吹き付けた帰りに、読みかけた手紙を庭のほうへなびかしたから、しまいぎわには四尺あまりの半切れがさらりさらりと鳴って、手を放すと、向こうの生垣まで飛んでゆきそうだ」。
美しい情景だ。風になびく巻紙の手紙(適切な名称がわからん)が目に見えるようだ。清の手紙は四尺だから120センチもあったわけだろう。字を書くのが苦手という老婆が、これだけなかなか書けるものではないよ。

後半は筆が走りすぎたようなきらいもあるが、結末はあれで良かったのだろう。もっと別の解決法もあったかもしれないが、念のいったやり方は策略好きの赤シャツと同じレベルに堕することになるからな。

また、山嵐は会津出身、坊ちゃんは旗本のなれの果てで、両方とも佐幕派であるところがなんともやるせない。

ところで、漱石は子供のころ里子に出された。私の周りに何人か、仕事等の都合で、親ではなく祖父母に育てられた人がいるが、どの人も独特のかげりを持つように感じた。
作品中の坊ちゃんの母は、彼と分かり合えぬまま亡くなったような気配である。
漱石の母は「硝子戸の内」を読むと、当時としては高齢であったであったようだ。
これをあわせて考えると、幼いころに漱石を里親に出した親に対するある種の拒絶感、もしくは寂しさが、坊ちゃんの実の母親に象徴され、一方やはり実の母親を慕う気持ちが、高齢である清と重なり合わさっているように思えた。
つまり母に対する感情の二面性が二つの人物になったように思えた。

しかし、坊ちゃんは誰に向かって語っているのだろうか。
それはわからないが、照れもあり、言って仕方がないこともありで、おそらく馬鹿のふりをして語っているんだろうな。

参考文献も多々あるようだが、多すぎて分からんな。しばらくは自分なりの読み方で行こう。


【2008年11月5日追記】
島内景二「教科書の文学を読みなおす」(ちくまプリマー新書)を読んでみたら、「坊ちゃん」を貴種流離譚と読み解いていた。なるほど、坊ちゃんは、やせて小柄なスサノオであったか。清とのくだりなど納得する部分もあり。

【2017年3月5日追記】
岩波文庫版「坊ちゃん」の平岡敏夫による解説が、いろいろな疑問を解いてくれた。
まずは、主人公は誰に相手にしゃべっているのか。
また、なぜタイトルが「坊ちゃん」なのか。
これは清がそう呼ぶからであるが、つまり作品自体が清に向けて書かれている、などなど秀逸な解説であった。
よく「痛快」とか「ユーモア小説」とかいわれ、かなり的外れだと思っていたが、やはりそれだけの小説ではなかった。

過去文 うpしました。

昨年文を少しずつ復旧しております。
2004年ころを見てください。

NEETと富の再配分

以下、戯文です。一愚人のたわごととしてお読みください。

先日NHKでNEETについて取り上げていた。
NEETとはNot in Employment, Education or Training とのことで、「職に就いておらず、学校等の教育機関に所属せず、就労に向けた活動をしていない15~34歳の未婚の者」とのこと(Wikipediaより)。
高学歴の者も多いとあり、例として、大学院卒の人も出ていたが、高学歴であること自体、すでに一種の職業訓練と言えなくもないはずである。というか、そもそも学ぶことと仕事を結びつけないこと自体が異常である。
まあ、それはそれとして、TVで見る限り、NEETを抱える家庭はどこもそれなりに裕福そうに見えた。
裕福であるからこそ、NEETであることが許されるのかもしれない。
ここで考えたのだが、NEETこそは、格差が大きくなりつつある社会で、富の再分配を行うかもしれないということ。
NEETが働くことなく親の資産を食いつぶすことによって、社会に富が還流されるのであれば、社会的意義はある(?)等と考えてしまった。
だから、そういう意味から言えば、あまり同情はしないな。

一方で、TVでは、「人を信用しない」という気持ちが仄見えるような目つきの人も散見された(思い込みだが)。人として基本的な人間関係で痛めつけられているのだとしたら、その点では同情する。

結論から言えば、若いときは親・周囲の責任だろうが、30超えたら、本人の問題だろうが、これは、昔も今も変わらぬこと。
結論は蛇足であったな。

もっと気の毒なのは、そもそも基本的な教育を受けられずにそうなっている人たちで、そんな人はTVに出ていなかったような気がする。
むしろ、TV企画自体から抜け落ちているという印象だった。

さらに蛇足を承知で言えば、人付き合いの苦手な人は山林の仕事をするのが良い。
共同作業も多々あるが、人と顔を合わせないですむ時間も、また多いと聞いたことがある。

なんてね。

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以前やっていたblogの…

以前別のところで、blogをやっていたのですが、しばらく更新できなかったらデータごと削除されてしまっていました。
身から出た錆とはこのことですが、自分の文章・写真は駄文・駄写真であっても、一種の分身のようなもので、それなりにさびしくなりました。
その時点で、googleのキャッシュを見ましたが、ほとんど何も残っていませんでした。
ところが、昨日何気なくgoogleで検索してみたら、なかったはずのキャッシュが見つかりました。
もちろん、たいしたことは書いていないのですが、リライトして再掲載してみたい文章もいくつかありました。
googleの中の人、ありがとう。そういえば、前はググッてもヒットしなかったけど、いまは「鰻犬堂」でヒットするようになりました。

PEN EFで撮影しました。

最近、写真をuploadしていなかったので、PEN EFで撮影した写真を載せてみます。
もちろん良いカメラなのだけれど、なんとなく物足りない気もする。
レンズは、PEN-S 3.5と同じレンズらしいので、思ったよりも高級仕様なのですが、ピント固定で、AEなのが、不満の理由かな。
それとも安く入手したので、ありがたみがわかないのか。
そんなんでは、カメラの神様のばちがあたるかも。

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やっぱり縦位置が多くなるね。最近、安易なほうに流れつつある自分。

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