eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2005-07

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

オリンパスPEN EF  3

オリンパスPEN EF、試写があがりました。
想像以上によく写っていますが、同時プリントの際、レーザーで焼いているようなので、かなり補正されているかもしれません。
でも、ピントは出荷時の基準である(らしい)2.7mあたりに来ていました。
ASA100で撮影したのですが、被写界深度もけっこう深い感じ。ASA400のフィルムを入れたら、日常のほとんどのシーンでは事足りそうです。

いま考えているのは、最短撮影距離が長いため、34.5mm径のクローズアップレンズをつけて、最短を50センチくらいにしたいということです。こうすると、日中屋外でだったら、多少の接写もできるかな、と考えております。
スポンサーサイト

目の人、耳の人

宮内勝典氏の「海亀通信」の海亀日記 July 19, 2005(http://pws.prserv.net/umigame/diary.htm)を読んで、表題のことを思い出した。
これは私なりの人の分け方で、視覚情報を重視する人を「目の人」、聴覚情報を重視する人を「耳の人」と、個人的にはタイプを分けて考えている。
ちなみに、自分についていえば、音楽に夢中だったころは「耳の人」、今は写真が好きだから「目の人」の傾向が出てきたけれど、本質的には「耳の人」だと思っている。やはり「目の人」の撮る写真にはかなわないと思うことが多い。大体、写真を始めたきっかけのひとつは、仲間とバンドをやることができなくなって、一人でできるものを考えているうちに写真に行き着いたわけだった。

さて、この両者、優劣はないのだが、ある種の傾向はあるかもしれない。いい加減な思いつきだが、
【目の人】
・直感的
・どちらかというと対話的ではない
・粘着的
・時間性よりも永遠性

【耳の人】
・論理的(というかコンテキスト重視)
・どちらかというと対話的
・しつこくない(淡白)
・時間性重視

適当に並べてみたが、写真家でたとえれば、「目の人」が土門拳、「耳の人」が木村伊兵衛か。
もっとも写真家というのは本質的に「目の人」であろうが、木村伊兵衛の最後の写真(自室の時計)を見ると、時間性に対する意識を強く感じてしまうので、「耳の人」と考えてみた。

ちなみに、日記に出てくる『アーサーはなぜ自殺したのか』(エドウィン・S・シュナイドマン著 高橋詳友訳 誠信書房)を私も読んだが、アーサーは目の人のようだ。
私のこれまでの経験による印象では、「目の人」は思い込みが強いが、自分を第3者的に見る(自らを客観性のもとに見る)のが苦手のように思える。そこがものすごいパワーを生み出すことにもつながっているが「作用あれば反作用あり」(私の口癖です)、自分を自ら追い詰めることもありえるとも思っている。

オリンパスPEN EF  2

昨日書いた続きです。

あれから家に帰ってから多少手を入れました。
・電池蓋の錆おとし
・モルトくずの掃除
・レンズ前玉と後玉の掃除
パイロットランプも光るようになりました。しかし、モルトの貼りなおしは未了。レンズを再セットしましたが、ピント確認未了です。

でも、我慢できなくなって、フィルムを入れてしまった。
今日からとりあえずテスト撮影をはじめました。

オリンパスPEN EF  1

忙しくて、なんだか浮き足立ってまいりました。


ところで、本日池袋のBカメラに行き、ジャンクカメラコーナーを見ると、オリンパスPEN EFが転がっておりました。チェックすると「赤べろ」も出るし、露出とシャッターはOKのようです。レンズは汚れあり。かびてるかもしれない。電池蓋をあけると予想通り緑青でさび付いていました。これがジャンク扱いの原因らしい。
さっそく購入しました。525円也。
接点を磨いたところ予想通りフラッシュ発光。しかしパイロットランプは光らない。モルトくずあり、掃除が必要。

でも、いい買い物したな。

責任について

戦争責任という言葉があるが、それは「誰」に対する責任だろうか。
いろいろ考えはあるのだろうが、自分としては、自国民に対する責任について少し書きたい。というのは、他国民に対する責任は、決着はついたのかどうか定かではないが、すでにさまざまな形で問われている。

しかし、先の大戦では、戦争指導者の無策による戦死、民間人を巻き添えにした戦闘の進め方など、あまりに自国民をないがしろにしていたのではないだろうか。
例えば、南方への輸送船はずいぶん攻撃されて沈没しているそうであるが、その死者に対する責任は誰がとったのだろうか。
「戦犯」という言葉がある。彼らの中にその責任を取った人もいるだろうが、国政に復帰した人もいる。「敗軍の将、兵を語らず」というが「死人に口なし」ともいう。また仮に敗戦でなかったとしても「一将功成万骨枯」となる。

レヴィ・ストロース曰く、日本の中心は「空虚」だそうだが、同じように責任の所在を求めて、組織の上部へとさかのぼるうちに、いつしかその所在が分からなくなることがあるようだ(何故「組織」とかといえば、一人では戦争できないから)。当時主権と統帥権を持つとされていた昭和天皇に戦争責任があるかどうかは、意見が分かれるところのようだが(これについては身近に両極端の反応を見ているので自分では何ともいえない)、南方への兵員輸送についてはその直接の責任者がいるであろう。個々の作戦の進め方については昭和天皇にさかのぼらなくても、具体的に検討できるのではないかと思う。それとも、それもできないのか?

ところで現在、政治に携わる人々は、誰に対する責任を感じてその仕事をしているのだろうか。疑問だ。まさか、目の前の自分の一番身内のサークルのことだけを考えているわけではないと思いたい。

民間警備会社

ニュースでは紛争地で「民間警備会社」というのが活動しているとのことだが、これはつまりは傭兵なのではないだろうか。「金で雇われ」「武器を持ち」「敵とみなされて攻撃される」というところをみると、そう思える。「民間警備会社」とは「民間軍事会社」とも言うようで、wikipediaを見ると、たしかに傭兵についての記述があった。

西ローマ帝国は傭兵隊長が起こした反乱が滅亡のきっかけだったように思うが、「Pax Americana」という言葉があるくらいで、アメリカ合衆国とローマ帝国はイメージが重なることが多い。傭兵を使うアメリカ帝国の行き先はどこだろうか。

カメラの話、写真の話

1.ローライ35Bに汎用品のゴム製24ミリ径のフードをつけた。でもなんかかっこ悪い。純正品が欲しくなるが、けっこう高いし。
なんというか、正面から見ると豚の鼻のようにみえる。でも、いいカメラです。

2.コニカFC-1が修理から帰ってきた。しかし軽いカメラです。これに40/1.8レンズをつけると通勤カバンに入れておくのにちょうどよい。
FS-1もいいカメラだが、電気系統のトラブルが多いようだ。とくに作動にモーターを2つ使うのだが、そのひとつがトラブルを引き起こすことがあるらしい。
それで、モーターの数が少ないFC-1を選んだのだが、それはこれから使っていかないと答えが出ないだろうな。

今欲しいのは、57/1.2というレンズだが、かなり重いらしく、この軽快さがなくなると思って、我慢しています。

3.東京写真美術館で開催中の[写真はものの見方をどのように変えてきたか 第2部 創造]を見てきた。
やはり、日本の戦前のアバンギャルド的写真も多かったが、やはり、スティーグリッツのようなストレートな写真がいいと再確認した。
ところで、スティーグリッツは当時としては作品制作用ではないと思われていたハンドカメラで撮影したそうだ。これはその後ライカを使うような流れの端緒と考えてもいいと思っている。
この流れの最先端がデジタルカメラなのだろうが、いまだに自分では買う気がしない。テクノロジーと自分の感覚に齟齬があるようだ。
このことはまた項を改めて考えてみるつもり。

続きを読む »

ロンドンで

ロンドンでテロがあった。
地下鉄というところで、どうしてもオームを思い出してしまう。
彼らも地獄の釜の蓋を開けた人々の1人だろう。

戦場に行かなくても戦争写真が撮れる時代であり、戦場と日常が区別できなくなった時代になってしまった。不幸であるが事実だろう。
自分の子供がこれからこういう世界を生きることを考えるとなんとかしないといけない。
とはいえどこから手をつけるべきか。
0708.jpg

外的記憶喪失?

以前やっていたblogのデータがすべて消えてしまった。引越ししようと思いながら、遅々として進まなかったのだが、データが削除されてしまっていた。
軽い喪失感があったが、自業自得。仕方がないね。
写真はともかく、テキストは(駄文であるが)取っときたかったな。
tpms.jpg



この写真展は行くべきだろう。http://octacore.egoism.jp/
自分とってはずっと考えながらも、荷が重過ぎて投げ出しそうになっているテーマについて、彼なりの表現でこたえていると思う。
このテーマについては、続けて考えていくべきであったが、近親者のゴタゴタで思考が途切れてしまった。
世界も悲惨だが、自分のまわりも十分に悲惨だったりする(今は個人的には落ち着いたけどね)。
ものごとに真摯に向き合うのは大変だけど、やらなきゃならないことだしな。
応援しています。

岡本太郎の写真

岡本太郎の写真には独特の魅力がある。一般に思われている油絵や立体での彼の作風とは意外にも異なり、その魅力はむしろ写真本来のストレートな魅力に通じている。
不思議と思っていたら、なんと、パリ時代に、マンレイとブラッサイに手ほどきを受けていたそうだ。
画家としての天性の資質とあいまって、不思議な魅力がある。
内藤正敏も魅入られるわけだ。
また、縄文土器の撮影のスタイルも岡本太郎が最初に編み出したという。

ところで、大阪万博の「太陽の塔」。あの像は「NO」といっているのだそうな。知らなかった。

岡本敏子著「岡本太郎の遊ぶ心」、面白かったです

amenohis.jpg

やっと梅雨らしくなってきたけど、うちが雨漏りした…。
人気ブログランキングへ

 | HOME | 

MONTHLY

CATEGORIES

     

RECENT ENTRIES

RECENT COMMENTS

RECENT TRACKBACKS

APPENDIX

鰻犬堂

鰻犬堂

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。