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eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2018-10

二種類の「氷川清話」

勝海舟の座談をまとめた「氷川清話」という本がある。
坂口安吾の堕落論あたりに、父の勝小吉「夢酔独言」とともに書名が出ていて、最初に読んだのは角川文庫版だった。のちに講談社学術文庫版を読み、このなかで江藤淳やら松浦玲やらが、先行本(角川版のようだ)を不正確だとかなり攻撃していた。
俺もその通りだと思っていたが、最近古本でまた角川版を手に入れて読んでいたら、ある考えに至った。
勝は人気(じんき)、呼吸、気合を重んずる。となると、正確さを重視した講談社版よりも、(おそらくは勝自身も調子こいて語ったと思われるものの名残がある)角川版のほうが、間違いが多くても勢いが感じられて、なにやら本人の気分が伝わってくるようで面白い気がしてきた。
もともと、勝は福沢に攻撃されたりするくらいで、いろんな方面からいい加減な奴だと揶揄されてきたわけで、その勝の言葉に正確さを求めても、あんまり意味がない。
たしかに、角川本は編著者の意図による改編もあって問題は多いのだが、そもそも勝自身がほらふき気味だったことは、当時の読者も心得ていたところもあったのではないか。
となると、正確さよりも、勝の息遣いが感じられるような、より生々しさのある角川本も捨てがたい。というか、角川本では勝部真長(かつべ みたけ)のわりと感情的な評伝がなかなかの読み物だったりする。
ということで、また角川本を読み飛ばしている。
困ったことがあると手に取りたくなる本です。
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自分がバカで嫌になった。

池袋のジュンク堂で中井久夫先生の著作を集めて特集をしていた。
全集を刊行中だから、それに関連しているのだろう。
壁面に中井氏のいろいろなスケッチが展示してあるのだが、そのなかの1枚を見て、ああ、頭がいいというのは、こういうことなんだと感じいった。
2018022705.jpg

自分でも、仕事などでアイデアをまとめたり、頭を整理したりするのにマトリクス的な図を描く。
それはたいてい2次元的で、矢印が付いている程度の動きしか表現していない。
しかし、中井氏のそれは、3次元で考察され、ダイナミックに動き、しかもそれが関連しあっている。
なんだか、2次元的にしか考えられなかった自分が悲しくなった。
でも、いいものが見られたとも思う。

といいいながら、中井先生の全集はなかなか高いので、まだ2巻しか買ってません。
そのうち、ジュンク堂でも精進します。

なかなかの奇(稀)書、『明治の御代の「坊っちやん」』(古山和夫)

著者は、リコーダー奏者でバロック音楽などを演奏しているらしい。
その著者が、『坊っちやん』を楽譜に見立て、著者なりに演奏したらこうなった、という本である。

『坊っちやん』という作品は不思議なところであって、そもそも発話者である主人公らしき男(=坊っちやん)が、いったい誰に向かって話しているのか、というところからはっきりしない。
話の内容自体の内容と、語り口によって、なんとなく面白がって読まれているわけだが、よく考えると分からないところがある。
その疑問に対して、かなり強引だが、ひょっとしてそうかもと思わされる解釈(字口、駄洒落による読み替え)がされていて、かなり面白く読んだが、まじめな漱石ファンや学者は怒るかもしれない。

なるほどと思う点をいくつか。
・能楽との結びつきについては、熊倉千之先生の考えと重なるところがあって興味深い。
・日露戦争については『草枕』や『三四郎』で、漱石はさらっと触れているが、やはり当時は国の存亡がかかるとともに、一般人にとっても出征、戦病死等身近な問題だったはずで、その重大さに気付かぬ漱石ではなかったろう。それについてなるほどと思うところがあった。
・坊ちゃんは、四国(死国、じつは日露戦争の舞台であった清国/満州)から引き揚げてから、街鉄(路面電車)の技師になったとあるが、なんだか唐突な終わり方だと思っていた。街鉄(がいてつ・まちてつ)を地口で「がいてつ=外鉄(外国鉄道)」もしくは「みちてつ=満鉄」と読むと、たしかに日露戦争で得た南満州鉄道につながってくるところがあり、漱石の意図が感じられる。

この本がどういう評価を得てるのかよく分からないが、いとうせいこう氏がtwitterで取り上げているようだった。なかなかの内容を持った本だと思います。

昭和天皇は「瘠我慢の説」を読んだだろうか。

福沢諭吉に「瘠我慢の説」という文章がある。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000296/files/46826_24771.html
http://d.hatena.ne.jp/elkoravolo/20111201/1322665564

これについては以前文章を書いたことがあった。http://eeldog.blog12.fc2.com/blog-entry-863.html
福沢は勝海舟と榎本武揚の功績を認めながらも、負けると分かっていても戦をすべき時があるし、旧幕臣が明治政府の高官になったりするのはほめられたものではない。瘠我慢して、新政府には奉職すべきではなかったというような話である。
これについて、勝、榎本それぞれに反応(儀礼的な返答をした=ほぼ無視)したというところで、この話は終わっている。

勝海舟に言わせれば、徹底抗戦せずに江戸を無血開城したからこそ、西欧列強につけ込む隙を与えずに政体を変革することができたわけで、国内が決定的に分裂するよりはましだったと言いたかったのではなかろうか。
その後の田舎侍(薩長)のおぼつかない政治を見捨てておけず、徳川家の名誉回復のため、また旧幕臣の軽挙妄動を防ぐ意味もあり、乗り掛かった舟ということで新政府に出仕したようである。
また、この文章が公開されたとき、すでに彼らは高齢であり、当事者同士での本格的な議論も起こらぬまま、それぞれ世を去っていった。

ところで、福沢の以下の文章を読むと、いろいろと言いたくなる。
「左れば当時積弱(せきじゃく)の幕府に勝算なきは我輩も勝氏とともにこれを知るといえども、士風維持の一方より論ずるときは、国家存亡の危急に迫りて勝算の有無は言うべき限りにあらず。いわんや必勝を算して敗し、必敗を期して勝つの事例も少なからざるにおいてをや。然るを勝氏は予め必敗を期し、その未だ実際に敗れざるに先んじて自から自家の大権を投棄し、ひたすら平和を買わんとて勉めたる者なれば、兵乱のために人を殺し財を散ずるの禍をば軽くしたりといえども、立国の要素たる瘠我慢の士風を傷うたるの責は免かるべからず。殺人散財は一時の禍にして、士風の維持は万世の要なり。これを典して彼を買う、その功罪相償うや否や、容易に断定すべき問題にあらざるなり。」
(大意:当時、幕府に勝ち目がないのは、勝氏も自分(福沢)もよく理解していた。しかし侍の気風を守るためには、勝敗は度外視すべきである。しかし勝氏は幕府が負けるのを見越していたから、無用の犠牲を少なくするため戦う前に降伏した。死人が出たり、町が破壊されたりするのは一時のことに過ぎないのであるから、むしろ士風の維持の方が大事ではなかったか。)

文中「瘠我慢の士風」とある。
その「士風」=侍の気風を守るために江戸の町が焼ければ、侍以外の庶民が苦しむわけだが、それでいいのだろうか。これこそ「容易に断定すべき問題にあらざるなり」と言いたくなる。
また「殺人散財は一時の禍」とあるが、当事者にとっては死んでしまったらそれが全てなので「一時の禍」とはとても言えないだろう。
福沢はたしかに武士としては立派であろうが、それを他の人に押し付けたり巻き込んだりするのは承服しにくいことだと思っている。

ところで、仮定の話であるが、昭和天皇は福沢の痩せ我慢の説を読んだとしたら、どうだったろうか。
スケールの違いはあるが、江戸城無血開城と日中~太平洋戦争の無条件降伏は重なる部分があるようにも思う。
昭和天皇は、福沢のように「必敗を期して勝つの事例も少なからざる」と、本土決戦を考えただろうか(軍部はヤケクソ気味にそう考えたかもしれないが)。そうではないだろう。
ポツダム宣言、原爆投下後にも戦争継続すれば、犠牲者の増大は避けられない。
例えばその後の歴史を見れば、ベトナム戦争の北ベトナムのように本土決戦→ゲリラ戦に持ち込めば、国内の被害は甚大だろうが米軍は苦しむだろう。
しかし、昭和天皇はそれを避けたということのようだ。
つまり、士風ではないが「大和魂」のために人が死ぬことについて「殺人散財は一時の禍」とは考えなかったのではないか。

ありえないことではあるが、福沢が昭和20年に生きていたとしたら(そうならば105歳)、昭和天皇に「立国の要素たる瘠我慢の士風」を守るため、本土決戦を進めることになるはずである。
もしそうなっていたら、今の日本(というか日本国家自体)は存在していなかったのではなかろうか。

「痩我慢の説」は、いまだに論争を呼ぶ文章であり、さすがに福沢の文章はいまだに生命力を保っているのは素晴らしいことだと思う。
しかし昭和天皇と「痩我慢の説」を関係づけて考察したような文章は、なかなか見つけられなかったので、つたないながらも自分なりにまとめてみた。

諸星大二郎とBurning Man

「Burning Man – Art On Fire」(玄光社)という本(写真集)を見ていたら、なんだか強烈に諸星大二郎のことが思い浮かんできた。

この本の内容を以下に引用する。
https://www.genkosha.co.jp/gmook/?p=11600
「毎年8月の1週間、芸術的表現を賛美するために、何万人もの参加者がネバダ州の荒涼としたブラックロック砂漠に集まる。“プラヤ”と呼ばれるこの広大な荒地が、バーニングマンの会場である。世界じゅうから訪れる7万人を越す熱狂的な参加者が、そこにかりそめの街を創り出す。アートとコミュニティに捧げられた街を。参加者の多くは、自然の猛威をものともせず、人々を喜ばせ、刺激し、魅了し、驚かせるために、想像力溢れるアート作品を生み出す。1週間の終わりに、作品の多くは燃やされ、街は解体されて、圧倒的なイメージと忘れがたい記憶以外、痕跡はまったく残らない。『BURNING MAN ART ON FIRE バーニングマンアート・オン・ファイヤー』は、バーニングマンの素晴らしい作品を集めた公式アート集です。」(後略)

※1.バーニングマンについて
https://ja.wikipedia.org/wiki/バーニングマン
※2.諸星大二郎については、これが簡潔にまとまっている。
http://festy.jp/web/posts/6719

以前、テレビでこのアートイベントをとりあげていて、最後に巨大な人形が燃えるシーンが強烈であったので、この本を手にとってみた。
芸術としてみた場合、作品のレベル・内容は玉石混交だろうが、砂漠という舞台とそこにおかれた作品を見ていると、なんだか幻のように思えてくる(実際に、ほとんどの作品はそこで燃やされ、ごみも残さずに撤去されるそうだ)。

このなかで、砂嵐にかすむバーニングマン(巨大な人形)は、「カオカオ様」に見えてこないだろうか(本書27-28ページ)。

また、砂漠の中に立つ奇妙な建物や乗り物、インスタレーション等は、やはり諸星の漫画の中の風景が実体化したようにも見える。

諸星大二郎に、このイベントに参加してほしいなあ。
それとは別に、いつかぜひここに行ってみたい。あまりこういうことは思わない方なのだが。

認知症と読書

中野の早稲田通り沿いに、しばらく前に古書店できた。https://twitter.com/annaidocoro
中野といえば、ブロードウェー内にまんだらけをはじめとして、何軒か古書店があるが、そこではあまり買わずに、ここで買うことが多いような気がする。

先日入ってみたら作品社の日本の名随筆シリーズが大量に入っていた。ほぼ全冊あっただろうか(全200冊とのこと)。
さっそく手にとり値段を見たら、なんと300円だった。安すぎるように思うが。
いくつかほしいのがあって、結局6冊選んだ。あまり買い占めると他の人が楽しめなくなるから、このくらいにした。
会計のときにお店の人に、ずいぶん安いですねと聞いたら、
以前は500円が相場で、800円くらいの値付けをするものもあったのだが、最近は人気がないので、この値段だそうだ。
なにかさびしい話になったので、なぜ、今日この本を買ったのか、つい話してしまった。

母は認知症なので、短期記憶はほとんどない。しかし昔から読書は好きだったので、何か読むものを探したい、と子は思う。
いろいろ探した結果、日本の名随筆シリーズは認知症の人に向いているように思った。
理由は、一篇が短いので、忘れないうちに読み終えられる。また、ちょっと古い筆者が多いので、年寄りにはなじみがある。内容も渋めだからちょうどよい。
そもそも随筆だから、あまり重い内容ではない(そうであっても軽く書かれている)。若い人でも重い内容のものを読むには体力が必要だが、年寄りには難しい。
こんなふうに思うが、本人ではないので、どう思っているかはわからない。でも楽しんで読んでくれているようだ。

店を出てから思った。
認知症者向けの叢書をどこか出してくれないだろうか。
これからだいぶ需要があるように思うのだが。
必要な条件は上に述べてあるので、ぜひどこかでお願いしたい。

薬草まじないなしでは治らない風邪

先日、仕事中に「急激な眠気」「だるさ」「寒気」がおそってきた。さっそくネットで調べると、なんと「妊娠の兆候かもしれない」とある。もう若くはない男が妊娠することなどありえようか。
しかし、その前日、『やし酒飲み』のエイモス・チュツオーラ『薬草まじない』(岩波文庫)を読んでいたので、自分のなかで不思議な一致を感ずるところがあった。
よって俺はすぐに、挫けがちな「第一の心」(感情?)、意思的な「第二の心」(理性?)、それらを支える「記憶力」に問いかけたところ、「然り。関連はある」という答えを得た。
『薬草まじない』では、若い男が、不妊の妻のために遠くの地にいる女薬草まじない師のところまで冒険旅行をし、子供を授かる特製スープを授かって帰ってくる。しかし、帰途、絶対食べるなといわれていたのに、空腹のあまりその特製スープを口にしてしまう。帰郷後、妻は無事妊娠するが、あろうことか男もおなかがせり出してくる。つまり特製スープを食べてしまったので妊娠したのだった。
男はこの状態を打開するために、また別の行動をとるのだが、あまりネタばらししても仕方がないので、このくらいにする。

アフリカ文学の珠玉ともいわれる著者の作品を読んだ以上、何らかの影響を受けること必定ではあるが、さすがに本を読んだだけでは妊娠はしなかった。
のではあるが、それに似た症状が出たのだろう。ということはたんなる風邪ではないのかもしれない。そうであれば、俺も「さい果ての町」まで旅をして女薬草まじない師に会わなければならないのだが、なかなかそうもいかないので、夢のほうでショートカットして、薬をもらいたいと思っている。
なかなかそういう夢を見られないせいか、まだ風邪が治らない。

三四郎とはどういう話か

twitterでずいぶん書いてきたが、いずれまとめる予定。
日付はだいぶさかのぼって4月1日付とする。

福沢諭吉「瘠我慢の説」について

福沢諭吉に「瘠我慢の説」という文章があって、いまだに物議を醸したりしている。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000296/files/46826_24771.html

内容は、勝海舟と榎本武揚の功績を認めながらも、旧幕臣が明治政府に使え、高官になったりするのはほめられたものではない。
瘠我慢して、新政府には奉職すべきではなかったというような話である。

これについて、勝、榎本それぞれに反応(儀礼的な返答をした=ほぼ無視)したというところで、この話は終わっている。

以前からこの文章を読んで釈然としないところがあったのだが、最近はこう思っている。
そもそも瘦我慢というのは本人がするものであって、他人に言われてするものではない。
他人が言うのであれば「我慢しろ」であって、人を評して「瘦我慢してるな」ということはあっても、「瘦我慢しろ」とはなかなか言わない。
もともと「武士は食わねど高楊枝」というが、これは本人がプライドを守るためにやっているのであって、人に言われたからしているのではないだろう(人の視線は気にしているだろうが)。

勝にしても榎本にしても、むしろよちよち歩きの新政府の手助けをすることのほうが、我慢ではなかったのかとも思う。
とくに勝などは内憂外患のなか、無理やり新体制を作るように導いて、それが一本立ちしなかったら、何のために幕府をつぶしたのか、無意味になる。

どうも勝と福沢は咸臨丸以来、そりが合わなかったようだが、この文章は福沢の空回りというか、よけいなお世話のようにも思う。
勝は時局にあわせて軽口をたたいたりしたそうなので(氷川清話等)、それをたしなめるためならば意味はあったのかもしれないが、どうも内容的にはそうではなさそうだ。

まあ、福沢も瘦我慢して、この文章を発表しなかったほうが良かったのかもしれない。

漱石「三四郎」を熊倉千之先生風に読む。

朝日新聞で漱石の「三四郎」が連載されているのにあわせて、自分なりに精読してtwitterに書いております。
https://twitter.com/mankendoshujin

熊倉千之先生風とは銘打ってみたが、先生ならばもっと緻密且つ大胆に読むであろう。
勝手にお名前を借りて不遜ではあるが、やはり先生のまねもしてみたいので、こう名付けた。

たいして反応もないので、ほぼ自己満足のためにやってるようなもんですな。
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