eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2017-09

つれづれ

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最近見に行ったもの

1.コスモスとは良いものである。
東京ステーションギャラリーの「没後40年 幻の画家 不染鉄展」に行ってきた。
lNHK日曜美術館で紹介していたような記憶があって、なんだか印象に残るものがあり、新宿で安売りチケットを見つけたのもあって見たのだが、予想以上に良いものだった。
印象に残るものが多かったが、そのなかからいくつか挙げると、
・秋色山村
山のふもとの集落を描いたものだが、中心にある銀杏?の巨木に自然と目が向くようになっている。というかこれは曼荼羅ではないか。
中央の銀杏は世界の中心であり、その木は寺の境内にあり、その前景には家々、その間を通って、画面手前から道が伸びている。その道をたどると銀杏の木のある寺に行きつく。その道を左側に進むと山に入っていく。遠景には山並みがあり、全体として円形の構図になっている。木々、家々、山々がそれぞれ仏のようであり、その中心に世界樹である銀杏がある。この銀杏は、あとで出てくる、幹のところにお地蔵さんがある銀杏と同じものではなかろうか。大きな複製画がほしい。
「奈良秋景」にも印象が似ているようにも思う。
・山海図絵
代表作にして今回の目玉だろうか。かなり大きな作品(186×210)で、真ん中に富士山が鎮座し、手前には静岡県の海と町、山野が広がり、富士山の後ろには雪景色があって、どうやらそれは日本海のようである。
これも一種の曼陀羅のようであり、中心の仏の周りに宇宙が広がっている。というか富士山を中心とした宇宙が描かれているという実感がある。
展覧会の副題に「世界(コスモス)を描いた。」とあるが、これはその代表ではなかろうか。
コスモスとはカオスと対になった言葉で、大雑把に説明すると、人が暮らしていくことができる親和的な世界のこと。その反対がカオスで、だから日本語では混沌などと言うのだろう。
人が暮らしていけるということは、ある種の調和があり、人を受け入れる環境があり、そして、そこにいると心地よいだろう。だからコスモスとは単に宇宙、世界などと言うだけでは足りなくて、基本的に人にとって良いものである。それがこの絵にはある。
なにしろ大きい絵なので、1度見ただけでは足りない。
・廃船
不染鉄の作品には、家並みがよく出てくるが、ほとんどの場合、あたたかさや人の営みが感じられる。しかし、この絵の場合は、荒廃した家並みが前景にあり、後ろには巨大は廃船がある。
昭和44年(9174)の作品であり、非常に暗い画面なのは世相を反映したものなのだろう。それ以上に思うのは「廃船=敗戦」という意味ではなかろうか。では何に負けたのか。この巨大な船を見ると、なぜか遠藤賢司の「プンプンプン」を思い出した。この歌は田中角栄が列島改造論で日本を開発しつくそうしているのを歌っていて、詩に出てくる「鉄仮面」とは角栄に代表される金儲けと自分の都合しか考えない亡者たちをさしている。
https://mojim.com/twy113358x1x10.htm
不染の他の作品では調和的世界(コスモス)が描かれているが、この作品では、そのコスモスが破壊されようとしている(鉄仮面たちへの敗戦)ことを嘆いているように思えた。

ほかにたくさん良いものがあるのだが、俺の手ではとても書ききれないので、ここまでとする。夏休み中にもう一度行って来よう。

2.荒木経惟写真展2つ
・恵比寿・東京写真美術館「荒木経惟 センチメンタルな 旅 1971– 2017–」
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これは良い。
「センチメンタルな旅」は、最近のプリントだろうか。復刻版「センチメンタルな旅」では、よく見えなかったところまで、きちんと見えて、そうすると陽子夫人の将来に思いがいってしまい、さらにものがなしい気持ちになってくる。
たかが組み写真で、しかも他人の新婚旅行なのに、なぜか一緒にセンチメンタルな旅をしていることに気付く。
「東京は秋」「センチメンタルな旅・冬の旅」「 空景/近景」「愛しのチロ」等繰り返し見た作品が多くて、作品数は多くはないが、とにかくこれは見たほうが良い。

・ 東京オペラシティ「写狂老人A」
これは好きな人だけ行けばいいんじゃないか。その割に高い。
近作中心なのは、アラーキーが元気なのが分かって、それは良いのだが、なんとなくとりとめがない。
見ものは電通時代に作った「八百屋のおじさん」のスクラップブック(複製)を手にとってみられること。
ちょっと思い出したが、大昔にここでヴォルフガング・ティルマンス展を見て微妙な気持ちになった。このときは写真自体は良いのだが、変な違和感があって、ひょっとして、ここって学芸員が勘違いしているんじゃないかという気もする。
まあ、門外漢の戯言ということで。
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暑いですな。

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あちらこちらを

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平塚あちこち

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不思議な一日(後編) 六田知弘写真展「宇宙のかけら」@御所市

大阪会場は19日までか。もう一度行きたいが、明日は仕事があるし、週に2回も大阪に行くのは俺の財布には荷が重い。
18日には六田さんによるギャラリートークもある。是非行くべし。
https://www.facebook.com/events/164472997402794/


さて、話を戻して、当日の御所市・赤塚邸でのギャラリートークのあと、六田さんはこの日、東京に戻るというので、一緒に帰ることになった。
六田さんの車に乗せてもらったのだが、「今回は時間がなくて葛城山や金剛山に行けなかったので、機会があれば次は是非行きたいものだ」などと言ったら、六田さんが「時間があるので寄っていこう」と言ってくれて、急遽、葛城山に向かうことになった。
車で葛城山方面に走っていくと、山頂に縦の虹が出ているのに六田さんが気付いた。
R0018229.jpg ※中央右側です。
思えば、赤塚邸の「高天」と題された写真にも、虹が写っていたが、なにか不思議な符号を感じた。これから向かうのは、その高天である。
車はどんどん山道に分け入るように走って、高天彦神社に着いた。高天の写真は、この神社の参道の並木を撮ったものだという。
神社の前に出ると、手水鉢があり、蛇口から水が滔々と流れ出ていた。手を清め、口を漱ぎ、ちょっと飲んだが冷たく、うまい。これは山の清水だろうか。
さっそくお参りをしたのだが、なにか気圧されるような雰囲気があり、冷気というか霊気というか、身震いするような空気を感じた。
わりとこういったことには鈍いほうなので、どこへ行っても何も感じなことが多いのだが、どうもここは違うらしい。
有難くもあり、畏れ多くもあり、すぐに社の前から立ち去ってしまったが、あの水の旨さからすると、人に対して親和的なのではないかという気もする。
六田さんに、感じたことを言うと、ここはそもそもそういう場所なのだという話であった。
そのあとに、高鴨神社へ向かった。ここは高天彦神社と違い、なんだか親しみやすい空気を感じた。京都の賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)のルーツだという。
ここもさっそくお参りする。見ていると、六田さんは深々と頭を下げていた。
ここは、親密感のある神社ですね、などと言っていたら、この神社でも絶対にカメラを向けないところがあるそうで、でも、それがどこ(何)かは聞かなかった。怖いからね。
大阪会場、御所会場に写真があった、高鴨神社の池のほとりを歩くと、写真と同じ枝ぶりの木があった。
末社というのか摂社というのか分からないが、小さな社が池のほとりに並んでいて、どれも小さいながらも立派な茅葺屋根で、こういうのは初めて見た。
亡き父たち(義理と実父)はどちらも酒が好きだったので、お神酒を買ってみた。

帰り道、葛城山のふもとから奈良盆地を見ると、低い山々(大和三山)が、ぽこぽこと町に食い込むようにあり、これも不思議な風景であった。
そこから、六田さんのご実家のある方面へ向かったのだが、進行方向に赤く大きな月がのぼっていて、それがずっと視界から外れなかった。なんなのだろうか。こういう経験はあまりない。
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※28ミリの広角レンズなのであまり大きな感じはしないが。


六田さんの御所市の写真を見ていると、どうも地霊?のご加護があるように感じられ、それは高天の神、つまり日本神話の神なのかもしれず、はたまたその土地に根差した山としての神(葛城山、金剛山は修験道の始まりの地でもある。御所市は役小角の生地)なのかもしれず、よそから来たものにはっさっぱりわからないのであるが、なにか只ならぬもの、ただし人間とは峻厳たる断絶があるわけではない、そのようなものがあることだけは感じられる。
水木しげるが出雲の神々に守られていたという話に似ていると思ったりもしている。

もっとも不思議というかラッキーであったのは、帰りの新幹線で、六田さんの生い立ちやら、写真を撮りはじめたきっかけやらを聞けたことだろうか。
日帰りではあるが、濃密な体験だった。

不思議な一日(中編) 六田知弘写真展「宇宙のかけら」@御所市

(前編より続く)

近鉄に乗って御所市へ向かう。
昼過ぎに着いて、碁盤目状の古い街並みを会場である赤塚邸目指して歩いてみた。しかし、行くに径(こみち)に由るhttp://eeldog.blog12.fc2.com/blog-entry-890.html 俺としては、まっすぐ向かわずにふらふらとわき道にそれたのであった。
すると、前方から手を振っている人が近づいてきて、よく見ると六田さんであった。いずれ会場ではお会いできるかとは思っていたが、路上で会うとは思いもよらなかった。ちょっと不思議なかんじがしてきた。
六田さんは食事に行くところだというので、そちらには付き合わずに、まずは会場の赤塚邸へ向かった。
15時30分からギャラリートークをするというので、町歩きもするつもりだが、その時間には会場にいますと答えた。
赤塚邸は、ずいぶんと風格のある建物で、見るからに歴史を感じる。

靴を脱いで、まず最初の座敷に入ると、正面に衝立があって、これは大阪会場にもあった高鴨神社の池の写真である。見ると右手のふすまには、大阪会場の最初にあったような木立のカラー写真(後で聞いたら大阪会場にもあった高天の写真で、よく見ると木立の上に虹が出ている)。左のふすまはもともとのふすま絵かと思ったら、モノクロの靄のなかの木立の写真であった。
※反対側のふすまにも写真がある。
この部屋には座卓があって、まずはそこに座って、しばし呆然と衝立とふすまを眺めた。どうもここは、こういうふうにちょっと座って膝を崩して見るのが良いようだ。
天井には明かりとりの窓があって、それもなんだか好ましく思える。
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呆然としていてもきりがないので、次の間に移る。

次の間には床の間があって、小さな中庭に面している。
くだくだ書いても、けっきょくは実物を見るに如かずと思うので、思いつくものだけを書いていくことにする。
床の間には、大阪会場にあった櫛羅の滝の一番下の写真で、蝶が写りこんでいるものが掛け軸にされていた。よく見ると、軸の装飾(写真の枠の部分)にも蝶らしきものがあしらってあったが、これは一種の洒落であろうか。
庭が見える窓にトンボの写真があった。
あとで六田さんのギャラリートークを聞くと、思い入れのある写真であることが分かった。さらに自分なりに調べると、御所市の土地柄に根差していることが分かってきた。
写真のトンボはちょうど交尾を終え、産卵の直前だということで、独特の尾を丸めた姿勢で飛んでいる。
トンボは別名「秋津」ともいう。その理由は、wikipedeiaによれば、
『日本書紀』によれば、山頂から国見をした神武天皇が感嘆をもって「あきつの臀呫(となめ)の如し」(トンボの交尾のよう(な形)だ)と述べたといい、そこから「秋津洲」の名を得たとしている
とある。
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ちなみに御所市には神武天皇社があり、国見をしたのは、御所のあたりだったのかもしれない。トンボと御所というのは昔からの組み合わせなのだろうか。
※一般には橿原神宮が神武天皇の墓所といわれているが、別の話もある。
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/0f15ecfc3677f0a0d3dd26c73f89b4b1

この部屋では、反対側の椿の写真を見ながら、横になりたかったな。
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隣の部屋に進むと、その奥に仏壇があるのが分かり、ちょっとしんとした心になる。
が、障壁画である白象(象を見たことがない人が描いた象の絵)と虎(猫的)の絵を見て、その気持ちも薄らぐ。この部屋は写真と、もともとの表具類が混然一体となって、なんとも面白い状態になっていた。
左の廊下に進むとそこにも写真があるが、左の部屋に入ると炬燵があって、つい入ってしまう。こたつに入ってぼんやりと雪景色の写真を眺める。
さらに隣の部屋に入ると、山腹と靄の巨大な写真がある。なんだか禅寺の障壁画のようである。この写真の右手には、大阪会場にあった蝶と蜘蛛の巣にかかった葉っぱの写真があった。六田さんの説明では、撮影していたらたまたま揚羽蝶が飛んできて、たまたま正面を向いた時の様子が撮影できたということだった。
つまり蝶は蜘蛛の巣にかかっていなかったわけで、なんだかほっとした。

さて、一通り見たが、ギャラリートークまでまだ時間があるので、少し足をのばして、役小角誕生の地とされる吉祥草寺に向かった。
吉祥草寺は六田さんが子供のころに遊んでいた場所という。
小一時間、散歩がてらに行き来して、六田さんのギャラリートークを聞いた。その内容は、これまでの文章に組み込んでいる。
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ちなみに、吉祥草寺では不思議なことはありませんでした。役小角が産湯をつかった井戸があったな。

不思議な一日(前編) 六田知弘写真展「宇宙のかけら」@御所市

大阪と御所市で六田知弘さんの故郷、御所市をテーマにした写真展があるので、先の日曜日に思い切って行ってみた。
http://gose-muda.jp/
けっこう交通費もかかるので、数週間迷っていたのだが、図録(があったとしても)で見ても、展示会場で見る写真にはかなわないし、御所市というのは特徴のある町だという話も聞いていたので、日帰りで行ってみることにした。

早朝、といっても7時の新幹線にこけつまろびつ飛び乗って、着いて来るは新大阪。中心地なる中之島に地下鉄で乗り付け、即ち大阪会場に這入った。
http://gose-muda.jp/osaka/
会場は地下鉄の駅の一部で、コンクリート打ちっぱなしのモダンな空間であった。

いくつか印象に残ったものを。
・杉?木立のうえに不思議な雲というかフレアがかかっている。撮影地は「高天」とある(その意味はあとで分かった)。
・蜘蛛の巣にかかった葉っぱと、蝶(パンフレットに使われている)。この蝶は蜘蛛の巣に捕らえられたか、それとも自由に舞っているのか、そこのところで解釈が大きく違うように思った(これはたまたま飛んできた揚羽蝶で、蜘蛛の巣にひっかかっていたわけではないとのこと)。
・金剛山と葛城山のパノラマ(5枚)。これは会場で見なくては意味がない。鳥が何羽か映りこんでいる。中央の峠らしきところの上に夕日が浮かんでいる。ある意味、宇宙的でもある。
・櫛羅(くじら)の滝。滝の全景を3枚の写真で構成している。一番下の写真は滝壺らしいものが写っていて、ここにも蝶が写りこんでいる。
・夜の葛城山頂。ススキの原のうえに、ぼんやりと浮かぶ雲。なんということもないが気になるところがある。
・風、水、空、地、火の縦位置5枚の組写真。大きいのでこれも会場で見ないと意味ない。
・高鴨神社の池。瑞々しい緑と水面。これもパンフレットに使われている(御所会場にもある―後述)。
・伏見 菩提寺の法起菩薩像。五眼の菩薩で、役の行者(役小角)に関係がある。ファインダーを通して、五つ目に対峙するのは俺はできないだろうな。
・櫛羅の滝。これも瑞々しさがあっていいかんじである。
詳述するときりがないので、あとは省略するが、御所の街並みを組み合わせた写真は、なんだかかわいいかんじであった。

全体の印象は、モダンな空間に、非常に風土性の強い写真群が展示されていて、とくに自然を写したものは、六田さんの他の写真(水ノ貌等)とくらべて、人との親和性が高いように思えた。やはり故郷だからだろうか。
虫や鳥が、いくつか写真に写りこんでいるが、あれは六田氏自身ではあるまいか、とも思った。

とりあえず交通費分の元はとれたという感もあり、御所市の資料をもらって、まずは退出。

向かいの大阪市立東洋陶磁美術館で「台北 國立故宮博物院―北宋汝窯青磁水仙盆」展も見る。この「人類史上最高のやきもの」といわれる北宋の汝窯を代表する青磁水仙盆の写真を六田さんが撮影しているので、これも見逃せない。ただし、ここの話を書くと収まらなくなるのでふれないが、この独特の青は「雨後天青」というらしく、雨の後の、雲の切れ間からこぼれるような青を目指したという。
ちなみに六田さんは、物撮りをするとき必ず触って、触感を確かめてから撮影するそうだが、まさかこの青磁水仙盆にも触ったのであろうか。
http://www.moco.or.jp/exhibition/current/?e=366

昼前に一通り見たので、大阪から御所市に向かうことにした。
※まだ不思議な話にはなりません。

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