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eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2018-10

世田谷美術館 東京スケイプ展

10月21日までの会期で、世田谷美術館で、写真の収蔵作品展として「東京スケイプ Into the City」を開催している。
https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/collection/detail.php?id=col00101

じつは開催しているのを、全く知らなくて、先日慌てていってきた。
作家は、濱谷浩、桑原甲子雄、師岡宏次、高梨豊、荒木経惟、平嶋彰彦、宮本隆司と大好物の人ばかりである。
忘備録を兼ねて、ちょっと書いてみる。
まずは、濱谷浩。好きな作家である。残像潜像なんかも良かったな。今回は、町の職業図鑑という趣であるが、発想的にはアッジェやザンダーにつながるところがあるかもしれない。

桑原甲子雄はサインを持っているのが、ひそかな自慢。写真はおなじみのものであるが、改めて見ると、いろいろ気付く。
226事件の写真は、大きく引き伸ばしても十分耐えられるものであった。画面中央左側の「〇」は、やはり雪か水滴だろうか。
http://digitalmuseum.rekibun.or.jp/app/collection/detail?id=0210009659&sr=%8D%8D%92%AC&sk=%8C%4B%8C%B4+%8D%62%8E%71%97%59

世田谷ボロ市の写真も何度も見ていたのだが、無意識に、自分がかなり真似をして写真を撮っていたのに気づいた。このblogでもボロ市の写真は公開している。

「下谷区上野公園山下」という写真があって、幼い姉妹が都電の停留所で道を渡ろうかと迷っている風情であるが、右背景には日の丸行列がある(盧溝橋事件関係?)が、それよりは姉妹を優先している。なんとなく、桑原の心根が透けるように思えた。
http://digitalmuseum.rekibun.or.jp/app/collection/detail?id=0210009672&sr=%89%BA%92%4A

「渋谷駅前」という写真では、ハチ公像の周りで人待ち顔の人たちが映っている。今みると帽子率が高い。
http://digitalmuseum.rekibun.or.jp/app/collection/detail?id=0210009714&sr=%8F%61%92%4A&sk=%8C%4B%8C%B4+%8D%62%8E%71%97%59

師岡宏次の銀座空襲後のパノラマ写真は初めて見たように思う。銀座のしゃれた写真を撮っていた人だから、さぞつらかったろうと思う。

アラーキーは「さっちんとマー坊」のスクラップブックが展示されていた。大きさはA2くらいか? そこに見開きでA1くらいの写真が貼ってあるわけだが、内容、質、量ともに素晴らしく、天才は最初から天才だったことが分かる。
また、80年代以降の陽子夫人を亡くす前後は、異常なクオリティーを持っていて、見厭きることがない。
チラシにも使われている新宿西口公園の写真、車いすの老夫婦、ベビーカーの若夫婦、少女がたまたま通り過ぎた瞬間らしいが、その瞬間に生老病死を含む人生のすべての面が焼き付けられているように思う。
https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/collection/detail.php?id=col00101
ロバート・フランクのバスの写真(The Americansの表紙)をなんとなく思い出す。
https://www.amazon.co.jp/Americans-Robert-Frank/dp/386521584X

宮本隆司、高梨豊は今回は飛ばすことにして、平嶋彰彦のことを書きたい。
平嶋は、西井一夫との共著「昭和20年東京地図」で見て、初めて知った。いい写真だと思い、この本は正続を買ったが、いかんせん紙質がざらついているため、写真がクリア―ではない。
今回の展示では、モノクロ写真がしっかりしたプリントで見ることができたのは、大きな収穫だった。他に「神田を歩く」という本も入手したが、この人は、あまり本格的な写真集がないよう。個人展もやっているのか、どうか。だから、今回の図録がほしかったのだが、図録は作成しなかったようで、残念だ。
ちなみに、ちょっと調べいたら、早稲田大学写真部のページを見つけた。
https://tomonphoto.com/intro_about/history-2/
ここで早稲田界隈の写真を掲載しているのだが、俺がよく知っていて、写真を何度の撮影したところが多くて、うれしくなった。同じようなところに興味をもっているのかもしれない。
入場料200円というのは、安すぎると思う。

帰りに写真を撮りながら帰ってきたが、なんとなくストリートフォトグラフィー風になってしまった。
我ながら影響受けやすいのう。
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instaはクソ写真でOKときいて

仕事でインスタグラムを使うことになって、とりあえず自分のアカウントも作って練習がてら、いろいろと試してみた。
スマホ版とPC版では、どうもできることが違うようで、困ったものです。
PC版だと「開発者ツール」モードにしたりするのだが、一度の投稿で複数写真をアップロードすることができないようだ(というか、よく分からない)。
しかしスマホ版だと簡単だったりする。
インターフェースは統一してほしいものです。

それはそれとして、インスタグラムの写真加工の選択肢を見ると、簡易版フォトショップ風の部分と、フィルターと呼ばれる部分がある。
このフィルターというものだが、年寄りから見ると、いわゆる「失敗した写真」風にわざわざ加工するように見える。
露出不足、露出オーバー、青被り、赤被り、退色等、普通はわざわざ、そんな加工する必要はないと思うのだが、これがノスタルジック(というかフィルムカメラ風)でいいらしい。
一方で、デジカメの隅々までクリアな画像というのも、なんだかくどくて疲れる。きれいに撮れていて良いんだけどね。

ということで?どうやら失敗した写真であっても、フィルターで加工したていで公開すれば、それはそれで通ると考えて、有り余るクソ写真をどんどん公開している。
当然ながらフォロワーは少ない(そりゃそうだろ)。
しかし、行き場のなかった写真の供養にもなると思って、個人的には満足している。

それにしても、フォロワーがついたと思ったら、パーマ屋さんだったり、アパレル関係が多い。なんかそういう営業の仕方があるらしい。
ちょっと迷惑なかんじもする。

天と地のあいだのくそ 内藤正敏「異界出現」展

東京写真美術館で、内藤正敏の「異界出現」展を見てきた。
新宿の安売りチケット屋で早めに入手しておいたが、やけに安かったな。
内藤正敏は、「デジャブ」誌で、富士山頂からの夜間長時間露光の写真などを見て、どうも「婆バクハツ」だけの人ではないと思って、注目してきた。
そういえば「修験道の精神宇宙」もいつの間にか持っていた。

大昔、あるカメラマンと仕事をしたが(照明関係を撮るのがうまいひとだったが、おれが頼んだのは工業機械だった)、その人が写真家の吉田元さんのことを知っていることから、いろいろと話をした。
そのなかで、内藤正敏の話がでて、そのカメラマンは一度手紙を書いたことがあったが、非常に丁寧で真面目な長文の手紙が届いて恐縮したといっていた。またお金とは全然縁がない人だとも。そうだろうと思って聞いていた。

初期作品から通して見ていくのは初めてだったが、かなりの内容を持っている写真展だった。今日はNHK教育の日曜日美術館で紹介するので、混むのではないかと思って早めに行ったが、別に大挙して人が来たわけではなかった。そうだろうとは思っていたが、寂しくもある。

大学で化学を専攻しただけあり、初期作品はその傾向が強い。ビデオ映像で星新一のショートショートとのコラボレーションがあって、ちょっと面白い。
展示の最後まで見てから、最初に戻ると、ミクロ(極小)とマクロ(極大)を同じ視点でとらえていたことがよく分かる。

いくつか印象に残った写真について書いてみる。
・月夜の盆踊り
恐山での婆さんばかりの盆踊りだが、岡野弘彦の「またひとり顔なき男あらはれて 暗き踊りの輪をひろげゆく」という歌を思い出した。
この歌では男女が踊っているところが、内藤の写真とは違うが、やはり死者が戻ってきて、生者の踊りの輪に交じっているだろうなと思わせるところで通じている。
・踊る老婆
この婆様は、生者なのだろうが、没我の境地にいるようでもあり、踊りのなかではこの世とあの世はつながっているのだろうか。

そういう目で見ると、
・ホテルニュージャパンの火事
の写真は、タイトルを見たら肝が冷えた。ニュースでの大惨事の様子は覚えていたが、就職してから赤坂見附付近で仕事をしていたら、まだホテルの焼け跡の一部が残っていた。生者が我が物顔で往来しているように見えるが、じつは死が裏打ちされていることを再認識させられた。現実に、あの火事の現場ではあの世の釜のふたが開いていたのだった。
そのなかで、
・花見をする浮浪者
は、花に囲まれた世に埋もれたる賢者のような風情で、心が和むところがあった。
・流れ灌頂
は、知らない言葉だったので調べてみた。
「出産で死んだ女性の霊をとむらうために、橋畔や水辺に棒を立てて赤い布を張り、通行人に水をかけてもらう習俗。布の色があせると亡霊が成仏できるという。地方によっては水死者のためなどにも行い、供養の仕方にも違いがある。」(大辞泉)
なにか悲しいことがあったんだろうな。

この調子で書いていくとキリがない。

・遠野物語・出羽三山
については、素晴らしいので誰もがふれるだろうから、あえて書くまでもない。
それでも、
・神々の異界
には、やはり言葉にならぬ心の動きがあった(体も、かな)。どの写真も宇宙観、生命観、歴史観、様々なものが重層的に重なりつつ、一つの写真として成立している。巨大プリントにして、佐倉のDIC川村美術館で、マーク・ロスコのとなりに並べて見たいものだ。
そのなかでも、
・御来光 月山山頂
はブロッケン現象で内藤自身のシルエットが映っているが、半分くらい神というか、あの世に身を移しているようにも見えた。

最終コーナーの、
・内藤正敏の軌跡展
での、いろいろな時代の写真を並列に並べ、テーマは異なっているようだが、本質は同じものを追及しているということが如実にわかる展示は、それだけの価値がある。ここを見てから、また最初から見直すと、そのへんがよく分かる。

一番最後に、
・聖地
という写真があり、川辺に動物のフンらしきものが映っている。山のけもののフンだと思って見ていたが、図録を見ると、内藤自身のくそであった。
これを見ていたら、文化人類学者である西江雅之先生の本にあった「人は、天と地のあいだにあるくそである」というアフリカの言葉を思い出した。
内藤は、岡本太郎の写真をプリントした仕事があるが、岡本太郎はマルセル・モースに師事した文化人類学者でもあった。また内藤自身は民俗学者でもある。
相通ずるところがあるからだろうか、この言葉を思い出した。
内藤は、天と、地と、地の底の、三つでありながら一つでもある世界を、一見土俗的に見えながらも、scienceの視点を以て、写真という化学的技法を用い、かたちとして定着させているように思う。
そしてその撮影する主体である内藤自身は、天と地のあいだでは、とるにたらない「くそ」でもあるが、写真のタイトルにあるように「聖地」に生きてあることを自覚する、別格の「くそ」でもある。
とはいえ、撮影する際は主体・客体という意識を超えたところにあるのではないかとも思う。

万人向けではないかもしれないが、見るべき写真展だと思う。

浅草を散歩

ちょっと時間があいたので、浅草まで足を延ばしてみた。
かなりの人出。神谷バーの2階でいつものように電気ブランとビールを飲もうと思ったら満席だった。
浅草寺にお参りし、早田カメラをのぞいたりして時間を潰していったら、いい塩梅にすいていた。
隣の和服姿のおじさん2人が席を立った後のテーブルの上に、割りばしの包み紙で作った鶴の箸置きが置いてあった。
着物姿といい、なんとなくそれらしい好ましいかんじであった。

そういえば、先日来た時には、となりのおじさん2人がお酒を飲みながら定食を食べていたが、ご飯に手を付けていない。
で、お店の人を呼んで、カレールーだけ(実際にはカレーライスを頼んで、ライス抜きにしてもらったようだ)もらって食べていた。
なんだか楽しそうだったな。
(というか、となりで急にそういう交渉をしだしたので、ちょっと見てしまった)

世界中から善男善女が集いて、この日も浅草は賑やかでした。

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20180403shunjuku01.jpg これは新宿

小さくて美しい本

先日、横浜美術館で石内都展を見てきた。
なかなか言葉にしがたいのだが、行ってよかったと思う。けっして自分から写真集を買おうと思ったりするタイプの写真家ではないのだが、今回は行かなくてはならないという気持ちがあり、多少無理して時間を作ったが、行って正解だった。

横浜美術館のグッズ売り場に行くと、関連する写真集など、さまざま置いてあった。見ていると、lixil出版の「背守り」という本があった。
しばらく前だが、これをテーマにした展示があるという記事を見て、行きたいと思ったまま忘れていたことを思い出した。
手にすると、写真展で魅かれた半纏の写真があり、それがどういう意図のものであるか記されていた。というか、この展示の写真は、石内都が撮影したものだった。
さっそく買って帰ったが、美しく、内容も切々たるものがあり、解説も充実していて、とてもいい本です。めぐり合ってよかった。

このへんを見ていたら、似たような小さな本を思い出した。
アラーキーには名作写真集がいろいろあるが、なぜか好きなのが河出書房新社の「花の町」である。解説は田村隆一で、これがまた良い。

共通点は、おれが好きな本であること以外、あまりないが、どちらもしみじみとしたいい本だと思っている。
機会があれば、多くの人に手にとってもらいたい。

六田知弘さん「記憶のかけら」展

ある秋の良き日、ファーンという一声とともに、はや東海道線快速は走り出でぬ。六田知弘さんの「記憶のかけら」を見るため、伊豆の国市大仁(おおひと)の知半庵(ちはんあん)まで出かけた。この記事の基本情報はこちらから。
http://www.muda-photo.com/publicity/index.html#T170929-1
http://chihan-art.com/category/news/

そもそも「大仁」という地名が読めないくらいなので、まず行き方を考える。
調べてみると、東京駅発なら東海道線(リッチなら新幹線)で三島まで行き、伊豆箱根鉄道に乗り換えて大仁下車。このルートで来てみたが、三島駅はJRの管轄が違うのでSuicaでは清算できぬ、要注意。料金は2,720円だった。時間は2時間半くらいはかかる。
もしくは新宿から小田急で小田原へ行き、JRに乗り換えて三島→大仁という行き方もある。一番安いかも。1,994円です。
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大仁の駅を降りると、目の前に足湯があるので即ち裸足となる。わりとぬるい。ついでに鉱泉も飲む。熱い。
そのわきに写真展の看板と知半庵への行き方の地図がある。線路わきを進行方向に戻る道を行くのがおすすめ。
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下田街道は車が多くて歩きづらいうえに、けっこう怖い。線路わきの道は城山(じょうやま)が良く見える。岩肌が荒々しい。
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しばらく歩き、知半庵に着くと、看板が出ている。
しかし左側のくぐり戸が閉まっているので、ちょっと戸惑う。
とりあえず開けて入る。入場料は当日1800円であるが、事前に予約すれば1500円。
この入場料を高いとみるか否か。俺の場合は、半日ゆったり過ごせたので良かったと思っている。

さて、知半庵は風情のある建物。歴史的価値があるという。詳しくは当該HPへ。
中に入ると、座敷に「時のイコン」の大型プリントがいくつかある。
最初の写真はPCのマニュアルであるが、よく見ると「総務部で云々」とあり、社内用に内製したものではなかろうか。それにしても分厚い。
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奥の部屋に進むと小さいプリントがあって、手にとって見ることができる。
フォークやら、おもちゃやら、ほぼ実物大のものが写った写真を見ていると、なんだか不思議な実在感があってちょっと日常生活的な感覚とのずれが出てきたことを感じる。
さらに進むと、ハーモニカの大きなプリントと、おもちゃが写った小さなプリントのある部屋がある。
前の部屋でもそうだが、「福島県相馬市」というクレジットのある写真を見ると、目をそむけたくなる。故郷だから、こういうことが起こったことをふたたび見て確認するのがつらいんだろう。
ハーモニカの写真を見ると、吹き口のひとつひとつに、みっちりと砂が詰まっている。自然というのは妙に律儀でもあって、偏執狂的でもある。
今更ながら、あんなにしつこくものを破壊することはないではないか等とも考えたりする。

室内の白眉は、「福島原発そばの廃棄物置き場のフェンスと松」の部屋だろうか。
ガラスに貼った写真(右側)に日が差すと、もともと夕日のあたった場面の写真なので、現実なのか写真なのか、些か危うくなる。
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部屋の真ん中には袋に入ったネガフィルム。その下には昆虫の標本箱
現実から遊離しかけながら、屋外展示へ進む。 
外に出ると、広葉樹のあいだに落ち葉散り敷き、そのところどころに写真がある。
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写真に導かれるように進むと、祠のまえのきざはしに立っていた。
見上げると、柱状立石の写真が掛けられ、よく見たら蛾がとまっていた。
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奥に見える祠に一礼し、石段をのぼる。のぼりきって祠に向き合うと、自然に拝みたくなった。
祠は二つあって、少しひらけた空間になっているが、写真と相まって異世界が広がっているように思えた。
展示を撮影していいといわれていたが、祠を入れて撮影するのはなんだか出来なかった。羊歯と落ち葉に埋もれる写真は、大昔からそこにあったようだ。
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こわいような、なつかしいような気持になって、上の祠から降りてくると、なんだか現世に戻ったような感覚だった。
とはいえ、このまま室内に戻ると震災を思い出して辛い。
屋外でぼんやりとアンモナイトの写真を見たり、柿の木のあいだをふらついてみたりする。
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そうこうしているうちに空腹に気付いたので、外に出た。
大仁には美味しいものも多いらしい。温泉もある。
写真家の六田さんは、ここに来たときは近くの温泉に必ず行くそうだ。
美味しいメンチカツのある店があるというので行ってみたが、すでに売り切れていた。うまいんだろうな。

先日、遠藤賢司が亡くなって以来、どうにもなにをしても空虚であったが、ここに来たら少し気持ちが変わった。
自分の内面のさらに奥にある泉がまた湧き出してきたようなかんじがする。
ここに来ても、なにも感じない人もいるだろうが、日常の雑事の向こうにある本質に近づきたい(思い出したい)人にはいいのではないだろうか、等と思っている。

今度の週末は、玄侑宗久さんが来て話をするそうだ。
http://genyu-sokyu.com/koenkai/index.html#171118
たまたま仕事の都合で来られないのだが、今回、あまり人がいないときに来てよかったかもしれぬ。

続猫々

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猫々

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つれづれ

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