eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2017-09

つれづれ

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体育会系が時代遅れになりつつある?わけ

先日、日経関連のwebサイトを見ていたら、会社員向けの人生アドバイスのような記事があった(こういう記事はよく見かける)。
そこでは、自他ともに認める体育会系ということで頑張ってきた後輩がいて、最近元気がない。
先輩にあたる筆者が、「どうしたんだ」と飲みに誘ったら、これまでの仕事のやり方(記事からすると根性主義っぽい)が通用しなくなって、行き詰まりを感じている、とかなんとかそういう記事であった。
本当にそんなことがあったのかはしらないが、記事として需要はあるような、つまりある程度、現実としてあり得る話なのだろう。

さて、体育会系の美点はいろいろある。だから就職などでも有利だったという(俺には全く関係なかったが)。
ただ、どうもかつてほど持てはやされていないらしい。なぜか。
体育会系は、スポーツに打ち込んでいる(当たり前)。
スポーツにはルールがある(当然)。
そのルールのなかで最大限努力する(立派です)。

ところが、そのルールにあたるものが社会に確立していない状況になってきた、ということではなかろうか。
例えば、ソニーのウオークマン。音楽を身に着けるという発想と、その枠組みを作ったのは素晴らしい。
しかし、appleはiPodでルールを変えてしまった。
つまり、持ち運ぶのだから音質は落ちてもよい(mp3等)と割り切れば、いろいろな利点が出てくる。
曲単価が安くなる。通信しやすい。小さい筐体にたくさんの曲データが入る。
いわば当初のルールを変えて、違う競技を始めてしまったようなもののように思う。
しかしソニーはオーディオメーカーでもあったので、自ら音質を落とす発想はためらいがあったか?

こういったことが重なると、ルールを大事にするよりは、ルールの逸脱を考えるような発想、態度が求められる。
枠内での努力ではなく、枠自体を再検討する能力(それも頻繁に)。
そうなると、枠内の努力を重視するタイプの発想はやはり行き詰るだろうか。
まじめな人が多いだろうと思うので、気の毒に感じる。
枠にもいろいろあって、仕事関係だけでも日々の人間関係の枠、会社の枠、業務の枠等、自らを取り巻くフレームは重層的になっている。
そのなかで体育会っぽい先輩後輩関係が暑苦しくかんじられるのかもしれない。

俺自身はほんとうはどうでもいいと思っているのだが、かつてF1で日本製マシンが好成績をあげるたびに、また、オリンピックで日本選手が好成績をあげるたびにレギュレーションが変更されたことを思い出す。
いわゆる体育会的なものごとは好きではないが、時代や環境にまじめに向き合ってきた人が割を食うのは、あまりいい気がしない。

2011年に東日本で小学3年生だった人たち

先日、若い友人と話す機会かあった。
彼は東日本大震災の被災地で学習塾の仕事をしているが、数年前に会ったとき、既に「ブラック部活」の話をしていた。
それほど部活で実績もない学校なのに強豪校並みの練習時間を費やし、そのために受験勉強が疎かになってしまう。そのしわ寄せは、スポーツ特待生になるわけでもない、ごく普通の、部活に参加している生徒の進路に現れてくる(もちろん部活に打ち込むことの様々な意義は承知しているが)。
やはり現場を見ているのでマスコミよりも早く実感していたそうだ。

今回会ったときに聞いた話では、被災地で見受けられる、ある傾向のこといっていた。
現在、受験期である中学3年生くらいの生徒は、2011年に小学3年生であった。この時期は、避難生活などで落ち着かなかったためか、根本的な学習態度が身についていない子供が目立つという(全員ではない)。
もちろんどの時代でも学業不振の子供はいるのであるが、今回はそれ以前の状態で、大袈裟にいえば「まず教科書を開き、手に鉛筆を持ちましょう」というところから始めなければならないそうだ。
小学3、4年生はギャングエイジとも呼ばれ、好奇心が発達し、自我が芽生えて反抗心が出たり、集団行動をとり始めたりするような大事な節目の時期である。
この時期に、落ち着いた生活が送れなかったり、成長に必要な通過点を体験できなかったためではないだろうか、というのが友人の見立てであった。
これがどの程度、確からしさのある話なのか、当事者ではない俺にはわかりかねるが、然もありなんと思われる。
これは、東日本の場合、2011年に節目の年齢を迎えていた様々な世代(小学3,4年生以外)にも、当てはまることではなかろうか、とも心配している。

最近見に行ったもの

1.コスモスとは良いものである。
東京ステーションギャラリーの「没後40年 幻の画家 不染鉄展」に行ってきた。
lNHK日曜美術館で紹介していたような記憶があって、なんだか印象に残るものがあり、新宿で安売りチケットを見つけたのもあって見たのだが、予想以上に良いものだった。
印象に残るものが多かったが、そのなかからいくつか挙げると、
・秋色山村
山のふもとの集落を描いたものだが、中心にある銀杏?の巨木に自然と目が向くようになっている。というかこれは曼荼羅ではないか。
中央の銀杏は世界の中心であり、その木は寺の境内にあり、その前景には家々、その間を通って、画面手前から道が伸びている。その道をたどると銀杏の木のある寺に行きつく。その道を左側に進むと山に入っていく。遠景には山並みがあり、全体として円形の構図になっている。木々、家々、山々がそれぞれ仏のようであり、その中心に世界樹である銀杏がある。この銀杏は、あとで出てくる、幹のところにお地蔵さんがある銀杏と同じものではなかろうか。大きな複製画がほしい。
「奈良秋景」にも印象が似ているようにも思う。
・山海図絵
代表作にして今回の目玉だろうか。かなり大きな作品(186×210)で、真ん中に富士山が鎮座し、手前には静岡県の海と町、山野が広がり、富士山の後ろには雪景色があって、どうやらそれは日本海のようである。
これも一種の曼陀羅のようであり、中心の仏の周りに宇宙が広がっている。というか富士山を中心とした宇宙が描かれているという実感がある。
展覧会の副題に「世界(コスモス)を描いた。」とあるが、これはその代表ではなかろうか。
コスモスとはカオスと対になった言葉で、大雑把に説明すると、人が暮らしていくことができる親和的な世界のこと。その反対がカオスで、だから日本語では混沌などと言うのだろう。
人が暮らしていけるということは、ある種の調和があり、人を受け入れる環境があり、そして、そこにいると心地よいだろう。だからコスモスとは単に宇宙、世界などと言うだけでは足りなくて、基本的に人にとって良いものである。それがこの絵にはある。
なにしろ大きい絵なので、1度見ただけでは足りない。
・廃船
不染鉄の作品には、家並みがよく出てくるが、ほとんどの場合、あたたかさや人の営みが感じられる。しかし、この絵の場合は、荒廃した家並みが前景にあり、後ろには巨大は廃船がある。
昭和44年(9174)の作品であり、非常に暗い画面なのは世相を反映したものなのだろう。それ以上に思うのは「廃船=敗戦」という意味ではなかろうか。では何に負けたのか。この巨大な船を見ると、なぜか遠藤賢司の「プンプンプン」を思い出した。この歌は田中角栄が列島改造論で日本を開発しつくそうしているのを歌っていて、詩に出てくる「鉄仮面」とは角栄に代表される金儲けと自分の都合しか考えない亡者たちをさしている。
https://mojim.com/twy113358x1x10.htm
不染の他の作品では調和的世界(コスモス)が描かれているが、この作品では、そのコスモスが破壊されようとしている(鉄仮面たちへの敗戦)ことを嘆いているように思えた。

ほかにたくさん良いものがあるのだが、俺の手ではとても書ききれないので、ここまでとする。夏休み中にもう一度行って来よう。

2.荒木経惟写真展2つ
・恵比寿・東京写真美術館「荒木経惟 センチメンタルな 旅 1971– 2017–」
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これは良い。
「センチメンタルな旅」は、最近のプリントだろうか。復刻版「センチメンタルな旅」では、よく見えなかったところまで、きちんと見えて、そうすると陽子夫人の将来に思いがいってしまい、さらにものがなしい気持ちになってくる。
たかが組み写真で、しかも他人の新婚旅行なのに、なぜか一緒にセンチメンタルな旅をしていることに気付く。
「東京は秋」「センチメンタルな旅・冬の旅」「 空景/近景」「愛しのチロ」等繰り返し見た作品が多くて、作品数は多くはないが、とにかくこれは見たほうが良い。

・ 東京オペラシティ「写狂老人A」
これは好きな人だけ行けばいいんじゃないか。その割に高い。
近作中心なのは、アラーキーが元気なのが分かって、それは良いのだが、なんとなくとりとめがない。
見ものは電通時代に作った「八百屋のおじさん」のスクラップブック(複製)を手にとってみられること。
ちょっと思い出したが、大昔にここでヴォルフガング・ティルマンス展を見て微妙な気持ちになった。このときは写真自体は良いのだが、変な違和感があって、ひょっとして、ここって学芸員が勘違いしているんじゃないかという気もする。
まあ、門外漢の戯言ということで。
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暑いですな。

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あちらこちらを

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平塚あちこち

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平塚市美術館「リアル(写実)のゆくえ」展

こじんまりとしていたが、充実した良い企画展だった。
http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/art-muse/20162005_00001.html

個人的にみるべきものと思ったのは、
まずは、五姓田義松の母にかかわる3作品。
「五姓田一家之図」では、家族の肖像。
「母勢子像」は、なぜか、写真家・牛腸茂雄の母のポートレイトを思い出した。
http://storage.brisees.com/BK120424_3.jpg の左ページ。
「母勢子像」の後に「老母図」を見ると、胸が絞めつけられる。
この3作品を続けて見られるだけで、ここに来る意味があると思う。

石川寅治「浜辺に立つ少女たち」は、朝日で大西若人記者が書いていたが、植田正治とそのまま重なるような作品だった。

岸田劉生は「壺」が面白い。少し左側から離れ気味にみると、非常に立体感がある。「冬枯れの道路」は、竹橋の近代美術館に似た作品「道路と土手と塀」と比べると、路面の「盛り上がり感」ではちょっと及ばないかも。
というか「道路と土手と塀」は、生で見ると不思議な立体感があって、独特のものだと思うが、遠近感が狂っている気もする。
「壺」の絵は中央左寄りに、壺の曲面に光が当たってハイライトが白く塗られている。
近づきすぎると、そのハイライトの部分がどうしても白い絵の具に見えてくる瞬間がある。
なので、そう見えない距離に離れて見ていると、壺の曲面がよりリアルに感じられてくる。
作品自体は、細密描写というほどのものではないし、なんとなく形にゆがみがあるようにも思えるが、不思議な生々しさがあって、それは「道路と土手と塀」のも通ずるところがある。

小絲源太郎「けしの花」は、これも国立近代美術館に似たような作品があるなと思ったら「惜春賦」という作品で、これも好きである。

思いもかけず長谷川潾二郎の作品もあって、片方のひげが結局描かれなかった「猫」をみて、うれしくなった。

ぐっと、最近に近くなって、犬塚勉「梅雨の晴れ間」はやはり傑作ではないかと思う。http://inzk.net/an/p5/
ちょっと前にテレビ東京「美の巨人たち」でとりあげたばかりだったので、俺も含めて作品前は込み合っていた。
もう一つの「林の方へ」も、じっくり見ていると引き込まれる作品だった。
「梅雨の晴れ間」をある距離から(=筆の刷毛目が絵にとけこむ距離)じっと見ていると、不思議な現実感があらわれてくる。
その現実感は、自分が今からその絵のなかの茂みに向かって歩いていき、右に曲がっていくというような実感である。
というか、今回の写実特集では、写「真」的細密さというよりも、写「実」=実感を写すという意味(そういう意味の言葉でもないようなのだが)で、作品が集められているように思った。
というのは写実主義-リアリズムの定義を見ると「主観を交えず客観的に描写」とある。
しかし実感とは、客観というよりは主観そのものでもある。となると、西欧的写実と、ここにあるような写実とは、どうもかなり方向性が違うのではないか。そんなことを考えたりした。

最後の最後に、水野暁「The Volcano-大地と距離について/浅間山」がデデーンと鎮座ましましていた。
http://saihodo.com/exhibition/2016/mizuno_16.html
そうとうにサイズの大きな作品なのだが、浅間山の大きさ(見たことがないが)がよく感じられるように思った。
その大きさというのは、雄大なものに向かい合うと、近景―中景―遠景のスケール感が狂うような感覚の大きさである。
昔、郷里の霊山という山に向かいあったとき、大きいことは分かるのだが、圧倒されてしまって、どう大きいのか、もうよく分からないという状態になったことを思い出した。
水野暁も故郷の浅間山を描いたそうで、そういうところもなんだか自分に重なるところがあるように思った。

他には高橋由一や高島野十郎のろうそくの灯の絵があったり、見ものはいろいろある。映画監督の伊丹万作(伊丹十三の父)の油絵があったりして驚く。
平塚はちょっと遠いのだが、東京からでも行く価値あると思います。何年か前に見た長谷川潾二郎展も良かったな。
美術館を出たあと、しばらく歩いて高麗山(こまやま)を眺めるのが好きだ。

昭和天皇は「瘠我慢の説」を読んだだろうか。

福沢諭吉に「瘠我慢の説」という文章がある。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000296/files/46826_24771.html
http://d.hatena.ne.jp/elkoravolo/20111201/1322665564

これについては以前文章を書いたことがあった。http://eeldog.blog12.fc2.com/blog-entry-863.html
福沢は勝海舟と榎本武揚の功績を認めながらも、負けると分かっていても戦をすべき時があるし、旧幕臣が明治政府の高官になったりするのはほめられたものではない。瘠我慢して、新政府には奉職すべきではなかったというような話である。
これについて、勝、榎本それぞれに反応(儀礼的な返答をした=ほぼ無視)したというところで、この話は終わっている。

勝海舟に言わせれば、徹底抗戦せずに江戸を無血開城したからこそ、西欧列強につけ込む隙を与えずに政体を変革することができたわけで、国内が決定的に分裂するよりはましだったと言いたかったのではなかろうか。
その後の田舎侍(薩長)のおぼつかない政治を見捨てておけず、徳川家の名誉回復のため、また旧幕臣の軽挙妄動を防ぐ意味もあり、乗り掛かった舟ということで新政府に出仕したようである。
また、この文章が公開されたとき、すでに彼らは高齢であり、当事者同士での本格的な議論も起こらぬまま、それぞれ世を去っていった。

ところで、福沢の以下の文章を読むと、いろいろと言いたくなる。
「左れば当時積弱(せきじゃく)の幕府に勝算なきは我輩も勝氏とともにこれを知るといえども、士風維持の一方より論ずるときは、国家存亡の危急に迫りて勝算の有無は言うべき限りにあらず。いわんや必勝を算して敗し、必敗を期して勝つの事例も少なからざるにおいてをや。然るを勝氏は予め必敗を期し、その未だ実際に敗れざるに先んじて自から自家の大権を投棄し、ひたすら平和を買わんとて勉めたる者なれば、兵乱のために人を殺し財を散ずるの禍をば軽くしたりといえども、立国の要素たる瘠我慢の士風を傷うたるの責は免かるべからず。殺人散財は一時の禍にして、士風の維持は万世の要なり。これを典して彼を買う、その功罪相償うや否や、容易に断定すべき問題にあらざるなり。」
(大意:当時、幕府に勝ち目がないのは、勝氏も自分(福沢)もよく理解していた。しかし侍の気風を守るためには、勝敗は度外視すべきである。しかし勝氏は幕府が負けるのを見越していたから、無用の犠牲を少なくするため戦う前に降伏した。死人が出たり、町が破壊されたりするのは一時のことに過ぎないのであるから、むしろ士風の維持の方が大事ではなかったか。)

文中「瘠我慢の士風」とある。
その「士風」=侍の気風を守るために江戸の町が焼ければ、侍以外の庶民が苦しむわけだが、それでいいのだろうか。これこそ「容易に断定すべき問題にあらざるなり」と言いたくなる。
また「殺人散財は一時の禍」とあるが、当事者にとっては死んでしまったらそれが全てなので「一時の禍」とはとても言えないだろう。
福沢はたしかに武士としては立派であろうが、それを他の人に押し付けたり巻き込んだりするのは承服しにくいことだと思っている。

ところで、仮定の話であるが、昭和天皇は福沢の痩せ我慢の説を読んだとしたら、どうだったろうか。
スケールの違いはあるが、江戸城無血開城と日中~太平洋戦争の無条件降伏は重なる部分があるようにも思う。
昭和天皇は、福沢のように「必敗を期して勝つの事例も少なからざる」と、本土決戦を考えただろうか(軍部はヤケクソ気味にそう考えたかもしれないが)。そうではないだろう。
ポツダム宣言、原爆投下後にも戦争継続すれば、犠牲者の増大は避けられない。
例えばその後の歴史を見れば、ベトナム戦争の北ベトナムのように本土決戦→ゲリラ戦に持ち込めば、国内の被害は甚大だろうが米軍は苦しむだろう。
しかし、昭和天皇はそれを避けたということのようだ。
つまり、士風ではないが「大和魂」のために人が死ぬことについて「殺人散財は一時の禍」とは考えなかったのではないか。

ありえないことではあるが、福沢が昭和20年に生きていたとしたら(そうならば105歳)、昭和天皇に「立国の要素たる瘠我慢の士風」を守るため、本土決戦を進めることになるはずである。
もしそうなっていたら、今の日本(というか日本国家自体)は存在していなかったのではなかろうか。

「痩我慢の説」は、いまだに論争を呼ぶ文章であり、さすがに福沢の文章はいまだに生命力を保っているのは素晴らしいことだと思う。
しかし昭和天皇と「痩我慢の説」を関係づけて考察したような文章は、なかなか見つけられなかったので、つたないながらも自分なりにまとめてみた。

諸星大二郎とBurning Man

「Burning Man – Art On Fire」(玄光社)という本(写真集)を見ていたら、なんだか強烈に諸星大二郎のことが思い浮かんできた。

この本の内容を以下に引用する。
https://www.genkosha.co.jp/gmook/?p=11600
「毎年8月の1週間、芸術的表現を賛美するために、何万人もの参加者がネバダ州の荒涼としたブラックロック砂漠に集まる。“プラヤ”と呼ばれるこの広大な荒地が、バーニングマンの会場である。世界じゅうから訪れる7万人を越す熱狂的な参加者が、そこにかりそめの街を創り出す。アートとコミュニティに捧げられた街を。参加者の多くは、自然の猛威をものともせず、人々を喜ばせ、刺激し、魅了し、驚かせるために、想像力溢れるアート作品を生み出す。1週間の終わりに、作品の多くは燃やされ、街は解体されて、圧倒的なイメージと忘れがたい記憶以外、痕跡はまったく残らない。『BURNING MAN ART ON FIRE バーニングマンアート・オン・ファイヤー』は、バーニングマンの素晴らしい作品を集めた公式アート集です。」(後略)

※1.バーニングマンについて
https://ja.wikipedia.org/wiki/バーニングマン
※2.諸星大二郎については、これが簡潔にまとまっている。
http://festy.jp/web/posts/6719

以前、テレビでこのアートイベントをとりあげていて、最後に巨大な人形が燃えるシーンが強烈であったので、この本を手にとってみた。
芸術としてみた場合、作品のレベル・内容は玉石混交だろうが、砂漠という舞台とそこにおかれた作品を見ていると、なんだか幻のように思えてくる(実際に、ほとんどの作品はそこで燃やされ、ごみも残さずに撤去されるそうだ)。

このなかで、砂嵐にかすむバーニングマン(巨大な人形)は、「カオカオ様」に見えてこないだろうか(本書27-28ページ)。

また、砂漠の中に立つ奇妙な建物や乗り物、インスタレーション等は、やはり諸星の漫画の中の風景が実体化したようにも見える。

諸星大二郎に、このイベントに参加してほしいなあ。
それとは別に、いつかぜひここに行ってみたい。あまりこういうことは思わない方なのだが。
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