eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2018-05

二種類の「氷川清話」

勝海舟の座談をまとめた「氷川清話」という本がある。
坂口安吾の堕落論あたりに、父の勝小吉「夢酔独言」とともに書名が出ていて、最初に読んだのは角川文庫版だった。のちに講談社学術文庫版を読み、このなかで江藤淳やら松浦玲やらが、先行本(角川版のようだ)を不正確だとかなり攻撃していた。
俺もその通りだと思っていたが、最近古本でまた角川版を手に入れて読んでいたら、ある考えに至った。
勝は人気(じんき)、呼吸、気合を重んずる。となると、正確さを重視した講談社版よりも、(おそらくは勝自身も調子こいて語ったと思われる)講談社版のほうが、間違いが多くても勢いが感じられて、なにやら本人の気分が伝わってくるようで面白い気がしてきた。
もともと、勝は福沢に攻撃されたりするくらいで、いろんな方面からいい加減な奴だと揶揄されてきたわけで、その勝の言葉に正確さを求めても、あんまり意味がない。
たしかに、角川本は編著者の意図による改編もあって問題は多いのだが、そもそも勝自身がホラ拭き味だったことは、当時の読者も心得ていたところもあったのではないか。
となると、正確さよりも、勝の息遣いが感じられるような、より生々しさのある角川本も捨てがたい。というか、角川本では勝部真長(かつべ みたけ)のわりと感情的な評伝がなかなかの読み物だったりする。
ということで、また角川本を読み飛ばしている。
困ったことがあると手に取りたくなる本です。
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浅草を散歩

ちょっと時間があいたので、浅草まで足を延ばしてみた。
かなりの人出。神谷バーの2階でいつものように電気ブランとビールを飲もうと思ったら満席だった。
浅草寺にお参りし、早田カメラをのぞいたりして時間を潰していったら、いい塩梅にすいていた。
隣の和服姿のおじさん2人が席を立った後のテーブルの上に、割りばしの包み紙で作った鶴の箸置きが置いてあった。
着物姿といい、なんとなくそれらしい好ましいかんじであった。

そういえば、先日来た時には、となりのおじさん2人がお酒を飲みながら定食を食べていたが、ご飯に手を付けていない。
で、お店の人を呼んで、カレールーだけ(実際にはカレーライスを頼んで、ライス抜きにしてもらったようだ)もらって食べていた。
なんだか楽しそうだったな。
(というか、となりで急にそういう交渉をしだしたので、ちょっと見てしまった)

世界中から善男善女が集いて、この日も浅草は賑やかでした。

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20180403shunjuku01.jpg これは新宿

小さくて美しい本

先日、横浜美術館で石内都展を見てきた。
なかなか言葉にしがたいのだが、行ってよかったと思う。けっして自分から写真集を買おうと思ったりするタイプの写真家ではないのだが、今回は行かなくてはならないという気持ちがあり、多少無理して時間を作ったが、行って正解だった。

横浜美術館のグッズ売り場に行くと、関連する写真集など、さまざま置いてあった。見ていると、lixil出版の「背守り」という本があった。
しばらく前だが、これをテーマにした展示があるという記事を見て、行きたいと思ったまま忘れていたことを思い出した。
手にすると、写真展で魅かれた半纏の写真があり、それがどういう意図のものであるか記されていた。というか、この展示の写真は、石内都が撮影したものだった。
さっそく買って帰ったが、美しく、内容も切々たるものがあり、解説も充実していて、とてもいい本です。めぐり合ってよかった。

このへんを見ていたら、似たような小さな本を思い出した。
アラーキーには名作写真集がいろいろあるが、なぜか好きなのが河出書房新社の「花の町」である。解説は田村隆一で、これがまた良い。

共通点は、おれが好きな本であること以外、あまりないが、どちらもしみじみとしたいい本だと思っている。
機会があれば、多くの人に手にとってもらいたい。

まずは第二会場に入るべし。迷わず行けよ、行けばわかるさ。「仁和寺と御室派のみほとけ」@国立博物館

上野の国立博物館でやっている「仁和寺と御室派のみほとけ-天平と真言密教の名宝-」がことのほかよかったので、書いてみる。
というのは、仕事の同僚がたいそう誉めていて、しかも見る際のアドバイスまでいただいたのだが、それが有益だったので共有したいと考えた。
会期の終わりが迫っているので、かなり混むことも予想されるが、そのアドバイスは
「まずは第二会場に入るべし。迷わず行けよ、行けばわかるさ」。
国立博物館の平成館2階は左右に会場が分かれているが、第1会場は後回しにしても良い。というのは、第2会場にまみゆべきほとけがあまた御座しますゆえ、第1会場の誰かがなんぞしたというようなことはすっ飛ばすのがよろしい。時間と体力が余ったら、第1会場に戻ると良い。

第2会場に入ると、仁和寺観音堂の諸仏(この言い方でいいのか?)がずらりと並んでいて、そこで善男善女が、狂ったように写真を撮っている。ここは撮影可のゾーンなので、それも良いのだが、シャッター音がうるさくてかなり気が散る。それでもほとけさまに手を合わせている人もいて、これぞ濁世というか末法というか、此岸と彼岸の対比を見せつけられる思いがする。
ところが、この後は撮影禁止になるのであるが、その直前に写欲を使い果たすのだろうか、わりと落ち着いた雰囲気になっている。まあ人は多いけど、そのなかに自分も含まれているわけで、他の人のことは言えない。
ほとけさまを見て、何を感じるかはその人次第であるが、甘美、崇高、峻厳、優美、素朴、そういうものにまみえることができたという喜びがあった。

ところで、やはり大阪・葛井寺の千手観音様について、やはりふれておきたい。
これは会場でも最後の方にあって、力尽きてこれにちゃんと向き合えないと、もったいないと思う。
この千手観音様は、普通は象徴的に40本の手で千本あることにするそうだが、文字通り手が千本ある。その手は衆生を救う手のはずであるが、見ているうちに、むしろ救いを求める人々の手にも見えてきた。
千本の手があるということは、それだけ多くの人を救うという意志であり、またそれだけ多くの手段を持つということでもあろう。
しかし、ひるがえって見れば、千本の手を以て救うべき悲惨がこの世に充満しているわけでもある。
だから、じっと見ていると、千本の手は、観音様の背後から救いを求める手のようであり、観音様はすべてを理解したうえで、さらに祈りを為そうとしているような、なんとも言えない表情であった。崇高というよりも、為すべきことの果てしなさ向き合おうとする意志を感じるような、無理に言葉にすれば峻厳というようなお顔に見えた(左斜め前から見た印象です)。
ただし、そういうふうに感じない人も多かろうと思う。というのは、売店で売っている写真では、そのようには見えないからだ。
それと、ほとけさまのお顔を拝見するときは、正面、右から、左から、と見比べてみると面白い。見る方向によって、かなり印象が違うときがあります。
心に残ったもの、いくつか。
・阿弥陀如来坐像および両脇侍立像(観音菩薩 勢至菩薩):甘美という言葉が浮かんだ。ほっこりします。
・吉祥天立像:なんかいいですね。一木造。
・文殊菩薩坐像:理知的であり、意志的であるように見えた。
・悉達太子坐像:隣の人が「顔を見ると涙を流しているように見えないか」と連れに人に行っているのが聞こえた。たしかにそう見える。
・釈迦如来像:宮城県龍寶寺から来た。なんとなく山仕事したり、海で船方やっているおんつぁん(おじさん)のような風貌。じっさいにこういう人がいそうだ。
・菩薩坐像:神奈川龍華寺で近年発見されたという。なんとも優美。天平美人といったら不敬であるか。
・大日如来坐像:大阪金剛寺。なんとなくだが、宇宙の生い立ちをしっているようなお顔。俺のなかでは、第1会場の曼荼羅と対になっている。
・千手観音菩薩坐像:徳島雲辺寺で、眼病治癒の霊験があるという。たしかにちょっと上に向けたお顔が、目の見えない人のしぐさに見える気もする(スティービー・ワンダーとか)。知っているかぎりでは、顔が上向きのほとけさまは、あまり見たことがないので、そのような印象を持った。

ほかにもいろいろ見るべきであるが、書ききれないのでここまでとする。

出来ればもう一度行きたいが、ちょっと時間的に難しそうだ。
今日は、横浜美術館で石内都展を見てきたので、無理だった。明日は早稲田松竹でジャームッシュの映画を見る予定。もっと前から段取りしておけば、余裕があったんだが。

自分がバカで嫌になった。

池袋のジュンク堂で中井久夫先生の著作を集めて特集をしていた。
全集を刊行中だから、それに関連しているのだろう。
壁面に中井氏のいろいろなスケッチが展示してあるのだが、そのなかの1枚を見て、ああ、頭がいいというのは、こういうことなんだと感じいった。
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自分でも、仕事などでアイデアをまとめたり、頭を整理したりするのにマトリクス的な図を描く。
それはたいてい2次元的で、矢印が付いている程度の動きしか表現していない。
しかし、中井氏のそれは、3次元で考察され、ダイナミックに動き、しかもそれが関連しあっている。
なんだか、2次元的にしか考えられなかった自分が悲しくなった。
でも、いいものが見られたとも思う。

といいいながら、中井先生の全集はなかなか高いので、まだ2巻しか買ってません。
そのうち、ジュンク堂でも精進します。

遠藤賢司追悼オールナイト上映「爆音 対 カレーライス」

2月17日、新宿のテアトル新宿でエンケン追悼のオールナイト上映があったので、行ってみた。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=19&v=POCFLmhoH3Q
概要は、こんなかんじ。
『不滅の男 エンケン対日本武道館』は何度見ても良い。
『ヘリウッド』はエンケンの演奏場面だけがよくて、あとは不要。カルト映画を目指して失敗した駄作です。
『吉祥寺発赤い電車』は、当時のフォークコンサートのライブが中心。残念なことに映像と演奏がずれていて気になる。映像自体も荒い。しかも後半がない。とはいえ、エンケンのカレーライスの演奏があるのは良かった。
最後におまけとして『エンケン対日本武道館』撮影中の、エンケンが、あるお店でカレーライスを食べる場面に曲を重ねた『カレーライス』のミュージックビデオがあって、それがよかった。
エンケンは、目玉焼きをのせてカレーを食べてたな。

舞台あいさつでエンケン夫人が出ておられたが、かなりギターについて細かく語っていたのが面白かった。マーチンD-35とD-18の違いなど、普通の人にはあまり分からないのではないかと思うが、そのへんのエンケンのこだわりを話されていた。というか、分かって話されているかんじでした。
ホールには、エンケンの衣装、撮影に使用した自転車、ギターが飾ってあった。
グレッチのロックジェット(黒)は、フレットが、低音から高音部まで、まんべんなく削れていた。D-35は、照明の具合でよく分からなかった(逆だったかな)。
例の背中に背負っていたアンプは、やっぱりローランドのJC20。最小のJCアンプだが、今でも人気あるようだ。アンプのコントローラーにメモがつけてあって、トレブル、ミドル、ベース、どれもフルテンで鳴らしていたようだ。ボリュームは5、せっかくのコーラスは0。あんまりジャズコーラス(JC)使う意味なかったような。
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今回初めて知ったのは、『エンケン対日本武道館』は、『史上最長寿のロックンローラー』が下敷きになっていることだった。
名曲だが長いです。『輪島の瞳』も長かったな。
https://www.youtube.com/watch?v=Uymz-QRf0e8
この中に出てくる、エンケンらしき爺のロックンローラーは、富士山頂に住んでいて、ときどき武道館で練習するという設定らしい。そのときに富士山から自転車で駆け下りてくるので、あのおんぼろ自転車だったわけだ。
ついでに、途中でカレーを食べたりするので、前述したカレーライスのMVとなった。
エンケンは歌詞にあるように紅白には出られなかったが、そのかわりとは言えないかもしれないが、素晴らしいライブ映画を残してくれたわけで、とてもありがたい。

帰宅し、昼過ぎに起きて、やっぱりカレーライスを食べた。
夕方、家人が帰宅し「今日はカレーにしようか」と言ったので、そうしてもらった。
エンケンのおかげか、カレーにご縁のある一日になった。

ハム臭い耳と、耳臭いハムと

この話の続きである。http://eeldog.blog12.fc2.com/blog-entry-889.html
ヘッドフォンは、やはり圧迫感があるので、音楽を堪能したいときはエンクロージャーに入ったスピーカーを鳴らし、それを聞きたい。
しかし、しょぼいアンプとスピーカーだと、ある程度の音量を出さないと面白みがないが、町中では無理。
それで、両耳の後ろに手のひらでおわん型を作って聞いてみる。するといい音で聞こえる(気がする。当人比)。
しかし、両手をあげて、ずっと耳の後ろあたりに当てているのは、けっこう手がつかれる。

ということで、先日、子供用のプラ製お椀を買ってきて、半分に切り、壊れたヘッドホンの両端に付けてみた。
こうすれば、手を当てなくても耳の後ろに半円形のドームというか、おわんができる。
しかし、装着すると、どうも感じが違う。プラスチックのせいか、音が変な具合に反響しているようである。
そこで考えた。
手のひらは、肉である。だから自然な音になったのではないか。
であれば、プラのおわんの内側に何か貼ればよい。
まずは、反響を抑えるために、フェルトを貼ってみた。これはエンクロージャー内に吸音材を入れるような発想である。
しかし、音場がデッドになり、あまりよくない。
木が良いのではないかと思って試したが、木材によってだいぶ違うようである。一般に栗材のような硬い木は、反響が強すぎ(しかも加工しにくい)、朴のような柔らかい木はあまり効果が出ない。
やはり、いま一つである。
そこで俺は閃いた。肉による音質を求めるには、肉を以てすべし。しかし、やはり生肉を貼るのは変態すぎて憚られる。また、腐敗による病原菌の繁殖も不安である。
ということで加工肉を使うことにした。具体的にはハムを使うのがよろしい。それほど高価ではないし、薄いので扱いが楽(おわんの内側に貼りやすい)。
欠点は、耳がハム臭くなること。また使用後にもったいないので食べるのだが、少し温まっているのと、耳臭くなっているのが難点である。
以下は、いろいろ試した感想である。参考にされたし。
※なお、近所のスーパーで入手可能なメーカーに限定している。それぞれの地域で購入できるなかから、お好みのものを試すのも楽しかろうと思う。
・伊藤ハム:もともとは関西風のまったりした耳触りであったが、近年の経営統合で、多少の雑味が出てきた。ただし、それも好みか。今後に期待。
・鎌倉ハム:古都にふさわしい落ち着いた音場を期待したが、違和感あり。むしろ本社が日本のmotorcity・デトロイトこと名古屋であるためか、案外ハードロックなど合う。
・日本ハム:予想に反し、北海道の大地を思わせるおおらかな音。野球チームの関係か。マーラーなど合う。
・プリマハム:中庸というか、特徴のないのが特徴か。なんにでも合う。一般向き。
・丸大ハム:音に勢いがあり、わんぱくでもいいが、使用するうちにたくましくなってくる。
・ローマイヤー:どことなくハイカラな音作り。クラッシックなどに向くか。

この件、長岡鉄男亡き後ではあるが、世の識者の意見を乞いたい。

我ながらキモイ話

年末年始に「逃げるは恥だが役に立つ」というドラマの再放送があって、子供が録画していた。
駅伝の合間に、見るともなしに家族と見ていたら、けっこうおもしろくて夢中になってしまった。
このドラマが放映されていた時期(一昨年くらいか)、子供は部活やら受験やらで忙しく、子供から話題が出ない以上、このドラマを知る由もなかった。ダンスがちょっと話題になっていたか。
正月休み明けに、仕事場で女性社員(既婚者)と話をしたら、なかなか辛辣なお言葉。
「結局、男は、若くてかわいくてご飯を作ってくれる女がいいという話ですよね。上野千鶴子か田嶋陽子なら、なんて言うか」。
たしかにその通りで、女性にとっての「白馬の王子様」は、男性なら「水着のお嬢さん」だったり「家事をやってくれるかわいい押しかけ女房」だったりするんだろう。
世の中にそんな都合の良い話はないわけで。
しかし、知り合いに高齢、高学歴、そしておそらく童貞の知人が複数いる。どの人もわりとかんじのいい男性であるように思えるのだが、やりたいことがあったり、周りの環境によって、女性との出会いがないようである。
そういう人たちを知っているので、主人公の一人である津崎という男性には、なんだか感情移入してしまった。

それはそれとして、このドラマをよく見ると、いろいろと気付くところがあった。
まず、場所の設定であるが、横浜が舞台になっている。
女性主人公(みくり)の出身大学が青明大学(青山+明治か?)となっているが、なんとなく横浜から電車一本で通える場所のような気がする。となると、渋谷に出て青学あたりが想定される。
津崎の場合、京都大学出身と明示されているのに、みくりは大学院(修士のようだ)まで出ているのに、出身校が明示されないのはおかしな話で、録画したビデオをよく見ていたら、みくりの卒業写真の場面をよく見るとそう書いてあった。
もし、これが横浜でなかったらどうだろうか。
中央線沿いなら別の話になっただろう。また赤羽あたりなら、人情噺になってそれも良かろうが、世界が違ってくる。
やはり横浜あたりが、この話を展開するのにちょうどよい設定だったのではなかろうか。
また星野源による主題歌のイントロもオリエンタルなメロディーだが、横浜→中華街→中華風メロディーということで、やはり横浜が舞台であることを強調しているように思える。
終わりの方に2か所ほど入っている、ちょっとノイジーなギターのフレーズがけっこうよい。
SAKEROCKという星野源のいたバンド、聞いてみたくなった。
ちなみに、この主題歌で話題になった恋ダンスというのを見ていたら(早すぎてとても覚えられない)、どうも「生野暮薄鈍(きやぼうすどん)」というやつで、「当て振り」の部分がけっこう多いようであった。
「きやぼうすどん」とは、引用すると、
「生野暮薄鈍情なし苦なしを見るように(きやぼうすどんじょうなしくなしをみるように)」という詞章を、「生野暮」は木、矢、棒の形、「薄鈍」は臼を引いてドンと音を立て、「情なし」で錠(じょう)の形を作り、手を振って「無い」ということを表現する。
http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc11/sakuhin/gihou/p2.html
※いわゆる「口パク」、音楽に合わせて演奏するだけという意味の「当て振り」ではない。
この場合、「風たちは運ぶ」のところは、「運びつつ動く」かんじの動き。「いつも見えなくなるもの」のところは、目の前で手のひらを動かして「見えたり見えなかったり」の動き。「いつも思い出して」は、人差し指を立てて「思い出してね」の動きというふうに見える。
ちなみに舞踊的には、身体の動きが言葉をなぞっているだけということで、当て振りはあまり褒められるものではないようだ。

それと、このドラマは食事の場面が多く、また室内での座っている場面が多く、誰がどこに座るかというやりとりがあったりする。言葉使いが、きれいというか丁寧でもある。
なんだか小津安二郎の映画を思い出す。そう指摘している人もいる。
https://mint.5ch.net/test/read.cgi/tvd/1484657641/l50
https://みんなのブログ.com/nige-haji-7583/
そう思うととくに『東京物語』あたりと重なってくる(他の作品かも)。横浜→尾道=港町、坂道とか。

まあ、お話自体もいろいろあるのだが、我ながらキモイのは今から書くことである。
このドラマをよく知らないで見ていたので、続編があるだろうと思って検索した。すると、二次創作というところに行きついてしまった。そこではファンたちがドラマの設定を借りて、思い思いに妄想をぶちまけていた。
そのなかにも出来不出来があるらしく、支持数(いいね!のようなものか)100以上、300以上、500以上とランク付けされており、たしかに上位のものは良く書けている。
これを見ているうちに、人もすなる二次創作を我もしてみむとて、『東京物語』を若干パクって、二次創作してしまった。
でもオヤジの書いた文章(ラブコメ風www)は、我ながらキモイので封印することにした。
とはいえ、知人に聞いた話では、「セーラームーン」の製作スタッフ(編集者側)は、みんなおっさんばっかりだったというから、まあこういうこともあるんでしょうな。
自分のなかの乙女な部分が突如発現したようで、わしは今、非常に困惑しておるぞ。

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なかなかの奇(稀)書、『明治の御代の「坊っちやん」』(古山和夫)

著者は、リコーダー奏者でバロック音楽などを演奏しているらしい。
その著者が、『坊っちやん』を楽譜に見立て、著者なりに演奏したらこうなった、という本である。

『坊っちやん』という作品は不思議なところであって、そもそも発話者である主人公らしき男(=坊っちやん)が、いったい誰に向かって話しているのか、というところからはっきりしない。
話の内容自体の内容と、語り口によって、なんとなく面白がって読まれているわけだが、よく考えると分からないところがある。
その疑問に対して、かなり強引だが、ひょっとしてそうかもと思わされる解釈(字口、駄洒落による読み替え)がされていて、かなり面白く読んだが、まじめな漱石ファンや学者は怒るかもしれない。

なるほどと思う点をいくつか。
・能楽との結びつきについては、熊倉千之先生の考えと重なるところがあって興味深い。
・日露戦争については『草枕』や『三四郎』で、漱石はさらっと触れているが、やはり当時は国の存亡がかかるとともに、一般人にとっても出征、戦病死等身近な問題だったはずで、その重大さに気付かぬ漱石ではなかったろう。それについてなるほどと思うところがあった。
・坊ちゃんは、四国(死国、じつは日露戦争の舞台であった清国/満州)から引き揚げてから、街鉄(路面電車)の技師になったとあるが、なんだか唐突な終わり方だと思っていた。街鉄(がいてつ・まちてつ)を地口で「がいてつ=外鉄(外国鉄道)」もしくは「みちてつ=満鉄」と読むと、たしかに日露戦争で得た南満州鉄道につながってくるところがあり、漱石の意図が感じられる。

この本がどういう評価を得てるのかよく分からないが、いとうせいこう氏がtwitterで取り上げているようだった。なかなかの内容を持った本だと思います。
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