eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2017-07

暑いですな。

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あちらこちらを

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平塚あちこち

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平塚市美術館「リアル(写実)のゆくえ」展

こじんまりとしていたが、充実した良い企画展だった。
http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/art-muse/20162005_00001.html

個人的にみるべきものと思ったのは、
まずは、五姓田義松の母にかかわる3作品。
「五姓田一家之図」では、家族の肖像。
「母勢子像」は、なぜか、写真家・牛腸茂雄の母のポートレイトを思い出した。
http://storage.brisees.com/BK120424_3.jpg の左ページ。
「母勢子像」の後に「老母図」を見ると、胸が絞めつけられる。
この3作品を続けて見られるだけで、ここに来る意味があると思う。

石川寅治「浜辺に立つ少女たち」は、朝日で大西若人記者が書いていたが、植田正治とそのまま重なるような作品だった。

岸田劉生は「壺」が面白い。少し左側から離れ気味にみると、非常に立体感がある。「冬枯れの道路」は、竹橋の近代美術館に似た作品「道路と土手と塀」と比べると、路面の「盛り上がり感」ではちょっと及ばないかも。
というか「道路と土手と塀」は、生で見ると不思議な立体感があって、独特のものだと思うが、遠近感が狂っている気もする。
「壺」の絵は中央左寄りに、壺の曲面に光が当たってハイライトが白く塗られている。
近づきすぎると、そのハイライトの部分がどうしても白い絵の具に見えてくる瞬間がある。
なので、そう見えない距離に離れて見ていると、壺の曲面がよりリアルに感じられてくる。
作品自体は、細密描写というほどのものではないし、なんとなく形にゆがみがあるようにも思えるが、不思議な生々しさがあって、それは「道路と土手と塀」のも通ずるところがある。

小絲源太郎「けしの花」は、これも国立近代美術館に似たような作品があるなと思ったら「惜春賦」という作品で、これも好きである。

思いもかけず長谷川潾二郎の作品もあって、片方のひげが結局描かれなかった「猫」をみて、うれしくなった。

ぐっと、最近に近くなって、犬塚勉「梅雨の晴れ間」はやはり傑作ではないかと思う。http://inzk.net/an/p5/
ちょっと前にテレビ東京「美の巨人たち」でとりあげたばかりだったので、俺も含めて作品前は込み合っていた。
もう一つの「林の方へ」も、じっくり見ていると引き込まれる作品だった。
「梅雨の晴れ間」をある距離から(=筆の刷毛目が絵にとけこむ距離)じっと見ていると、不思議な現実感があらわれてくる。
その現実感は、自分が今からその絵のなかの茂みに向かって歩いていき、右に曲がっていくというような実感である。
というか、今回の写実特集では、写「真」的細密さというよりも、写「実」=実感を写すという意味(そういう意味の言葉でもないようなのだが)で、作品が集められているように思った。
というのは写実主義-リアリズムの定義を見ると「主観を交えず客観的に描写」とある。
しかし実感とは、客観というよりは主観そのものでもある。となると、西欧的写実と、ここにあるような写実とは、どうもかなり方向性が違うのではないか。そんなことを考えたりした。

最後の最後に、水野暁「The Volcano-大地と距離について/浅間山」がデデーンと鎮座ましましていた。
http://saihodo.com/exhibition/2016/mizuno_16.html
そうとうにサイズの大きな作品なのだが、浅間山の大きさ(見たことがないが)がよく感じられるように思った。
その大きさというのは、雄大なものに向かい合うと、近景―中景―遠景のスケール感が狂うような感覚の大きさである。
昔、郷里の霊山という山に向かいあったとき、大きいことは分かるのだが、圧倒されてしまって、どう大きいのか、もうよく分からないという状態になったことを思い出した。
水野暁も故郷の浅間山を描いたそうで、そういうところもなんだか自分に重なるところがあるように思った。

他には高橋由一や高島野十郎のろうそくの灯の絵があったり、見ものはいろいろある。映画監督の伊丹万作(伊丹十三の父)の油絵があったりして驚く。
平塚はちょっと遠いのだが、東京からでも行く価値あると思います。何年か前に見た長谷川潾二郎展も良かったな。
美術館を出たあと、しばらく歩いて高麗山(こまやま)を眺めるのが好きだ。

昭和天皇は「瘠我慢の説」を読んだだろうか。

福沢諭吉に「瘠我慢の説」という文章がある。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000296/files/46826_24771.html
http://d.hatena.ne.jp/elkoravolo/20111201/1322665564

これについては以前文章を書いたことがあった。http://eeldog.blog12.fc2.com/blog-entry-863.html
福沢は勝海舟と榎本武揚の功績を認めながらも、負けると分かっていても戦をすべき時があるし、旧幕臣が明治政府の高官になったりするのはほめられたものではない。瘠我慢して、新政府には奉職すべきではなかったというような話である。
これについて、勝、榎本それぞれに反応(儀礼的な返答をした=ほぼ無視)したというところで、この話は終わっている。

勝海舟に言わせれば、徹底抗戦せずに江戸を無血開城したからこそ、西欧列強につけ込む隙を与えずに政体を変革することができたわけで、国内が決定的に分裂するよりはましだったと言いたかったのではなかろうか。
その後の田舎侍(薩長)のおぼつかない政治を見捨てておけず、徳川家の名誉回復のため、また旧幕臣の軽挙妄動を防ぐ意味もあり、乗り掛かった舟ということで新政府に出仕したようである。
また、この文章が公開されたとき、すでに彼らは高齢であり、当事者同士での本格的な議論も起こらぬまま、それぞれ世を去っていった。

ところで、福沢の以下の文章を読むと、いろいろと言いたくなる。
「左れば当時積弱(せきじゃく)の幕府に勝算なきは我輩も勝氏とともにこれを知るといえども、士風維持の一方より論ずるときは、国家存亡の危急に迫りて勝算の有無は言うべき限りにあらず。いわんや必勝を算して敗し、必敗を期して勝つの事例も少なからざるにおいてをや。然るを勝氏は予め必敗を期し、その未だ実際に敗れざるに先んじて自から自家の大権を投棄し、ひたすら平和を買わんとて勉めたる者なれば、兵乱のために人を殺し財を散ずるの禍をば軽くしたりといえども、立国の要素たる瘠我慢の士風を傷うたるの責は免かるべからず。殺人散財は一時の禍にして、士風の維持は万世の要なり。これを典して彼を買う、その功罪相償うや否や、容易に断定すべき問題にあらざるなり。」
(大意:当時、幕府に勝ち目がないのは、勝氏も自分(福沢)もよく理解していた。しかし侍の気風を守るためには、勝敗は度外視すべきである。しかし勝氏は幕府が負けるのを見越していたから、無用の犠牲を少なくするため戦う前に降伏した。死人が出たり、町が破壊されたりするのは一時のことに過ぎないのであるから、むしろ士風の維持の方が大事ではなかったか。)

文中「瘠我慢の士風」とある。
その「士風」=侍の気風を守るために江戸の町が焼ければ、侍以外の庶民が苦しむわけだが、それでいいのだろうか。これこそ「容易に断定すべき問題にあらざるなり」と言いたくなる。
また「殺人散財は一時の禍」とあるが、当事者にとっては死んでしまったらそれが全てなので「一時の禍」とはとても言えないだろう。
福沢はたしかに武士としては立派であろうが、それを他の人に押し付けたり巻き込んだりするのは承服しにくいことだと思っている。

ところで、仮定の話であるが、昭和天皇は福沢の痩せ我慢の説を読んだとしたら、どうだったろうか。
スケールの違いはあるが、江戸城無血開城と日中~太平洋戦争の無条件降伏は重なる部分があるようにも思う。
昭和天皇は、福沢のように「必敗を期して勝つの事例も少なからざる」と、本土決戦を考えただろうか(軍部はヤケクソ気味にそう考えたかもしれないが)。そうではないだろう。
ポツダム宣言、原爆投下後にも戦争継続すれば、犠牲者の増大は避けられない。
例えばその後の歴史を見れば、ベトナム戦争の北ベトナムのように本土決戦→ゲリラ戦に持ち込めば、国内の被害は甚大だろうが米軍は苦しむだろう。
しかし、昭和天皇はそれを避けたということのようだ。
つまり、士風ではないが「大和魂」のために人が死ぬことについて「殺人散財は一時の禍」とは考えなかったのではないか。

ありえないことではあるが、福沢が昭和20年に生きていたとしたら(そうならば105歳)、昭和天皇に「立国の要素たる瘠我慢の士風」を守るため、本土決戦を進めることになるはずである。
もしそうなっていたら、今の日本(というか日本国家自体)は存在していなかったのではなかろうか。

「痩我慢の説」は、いまだに論争を呼ぶ文章であり、さすがに福沢の文章はいまだに生命力を保っているのは素晴らしいことだと思う。
しかし昭和天皇と「痩我慢の説」を関係づけて考察したような文章は、なかなか見つけられなかったので、つたないながらも自分なりにまとめてみた。

諸星大二郎とBurning Man

「Burning Man – Art On Fire」(玄光社)という本(写真集)を見ていたら、なんだか強烈に諸星大二郎のことが思い浮かんできた。

この本の内容を以下に引用する。
https://www.genkosha.co.jp/gmook/?p=11600
「毎年8月の1週間、芸術的表現を賛美するために、何万人もの参加者がネバダ州の荒涼としたブラックロック砂漠に集まる。“プラヤ”と呼ばれるこの広大な荒地が、バーニングマンの会場である。世界じゅうから訪れる7万人を越す熱狂的な参加者が、そこにかりそめの街を創り出す。アートとコミュニティに捧げられた街を。参加者の多くは、自然の猛威をものともせず、人々を喜ばせ、刺激し、魅了し、驚かせるために、想像力溢れるアート作品を生み出す。1週間の終わりに、作品の多くは燃やされ、街は解体されて、圧倒的なイメージと忘れがたい記憶以外、痕跡はまったく残らない。『BURNING MAN ART ON FIRE バーニングマンアート・オン・ファイヤー』は、バーニングマンの素晴らしい作品を集めた公式アート集です。」(後略)

※1.バーニングマンについて
https://ja.wikipedia.org/wiki/バーニングマン
※2.諸星大二郎については、これが簡潔にまとまっている。
http://festy.jp/web/posts/6719

以前、テレビでこのアートイベントをとりあげていて、最後に巨大な人形が燃えるシーンが強烈であったので、この本を手にとってみた。
芸術としてみた場合、作品のレベル・内容は玉石混交だろうが、砂漠という舞台とそこにおかれた作品を見ていると、なんだか幻のように思えてくる(実際に、ほとんどの作品はそこで燃やされ、ごみも残さずに撤去されるそうだ)。

このなかで、砂嵐にかすむバーニングマン(巨大な人形)は、「カオカオ様」に見えてこないだろうか(本書27-28ページ)。

また、砂漠の中に立つ奇妙な建物や乗り物、インスタレーション等は、やはり諸星の漫画の中の風景が実体化したようにも見える。

諸星大二郎に、このイベントに参加してほしいなあ。
それとは別に、いつかぜひここに行ってみたい。あまりこういうことは思わない方なのだが。

バベルの塔(ブリューゲル)は、神の怒りがなくても崩れる。

先日、上野の都美術館でブリューゲルの「バベルの塔」(ボイマンス美術館所蔵)を見てきた。
http://babel2017.jp/
藝大でCG化した映像、およびそれを使った拡大模写版バベルの塔も見ごたえがあってよかった。

ところで、このバベルの塔の絵を見ていて気付いたのだが、この塔は、画面右側に河口もしくは港らしきものがあり、かなり水際まで土台部分が迫っている。
また、よく見ると画面下部中央右側に、塔内に入り込む水路らしきものが見える。
こんな水際に巨大な塔を建てたら地盤が軟弱で、じきに不等沈下を起こしそうである。
下部が傾いたら、ピサの斜塔のように全体が傾き、いずれは崩壊しただろう。
※と思ったら、似たようなことを考えた方がおられたのでURLをはります。
https://www.s-thing.co.jp/column/cat333/post_38.html

また、大友克洋が塔の内部(断面図)を描いているが、塔の構造を内部に空間のある円筒形で想定していた。
http://www.asahi.com/articles/ASK4761G7K47UCVL02M.html

塔本来の目的は高さを追求することにあるのだろう。
高さ自体によって、遠方の見張りであるとか、権勢の誇示などができる。
例えば日本の五重塔の内部空間は、使い道があるのだろうか。あまりなさそうな気がする。

しかし、ブリューゲルのバベルの塔の場合、あれだけ巨大な建築物であれば内部空間の活用を考えるかもしれない。現に作品では教会らしきものも描き込まれている(大友克洋)。
もし内部空間を使いたいとなれば、奥の方は日が差さないので照明が必要になるが、電気がない時代なので人工的な照明には限界がある。
となると、内部を空洞にすることにより建物の下や中まで、日が届くようにしそうではある(なんとなくローマのパンテオンの天井の丸窓を連想している)。

ちなみに大友克洋の断面図では、塔の内部に水路が入り込んでいた。大水や嵐のときには水が入り込んで、塔の躯体自体が相当の損傷を受けるだろう。
ということは、神の怒りがなくてもいずれ塔は崩壊する、かのようにブリューゲルは描いたのではないかと思ったりした。


ところで、この作品を見ていると、なんだか不思議な気持ちになってくる。
というのは、塔の中層辺りをみていると、どうにも立体感と現実感のある描写で、不思議な現実感がある。
その現実感は、額縁の向こう側にも、つまり絵の世界の中にも、こちら側とは違う別の世界が確かに存在しているという印象を持たせるものだ。
たとえて言えば、額縁を窓として、塔のある風景を見ているようなかんじだろうか。
絵であることを知りながらも、しかもあきらかに額縁の向こうにも世界の実在を感じさせるところが傑作のゆえんか。
会期もまだあるので、もう一度見たい気がする。

不思議な一日(後編) 六田知弘写真展「宇宙のかけら」@御所市

大阪会場は19日までか。もう一度行きたいが、明日は仕事があるし、週に2回も大阪に行くのは俺の財布には荷が重い。
18日には六田さんによるギャラリートークもある。是非行くべし。
https://www.facebook.com/events/164472997402794/


さて、話を戻して、当日の御所市・赤塚邸でのギャラリートークのあと、六田さんはこの日、東京に戻るというので、一緒に帰ることになった。
六田さんの車に乗せてもらったのだが、「今回は時間がなくて葛城山や金剛山に行けなかったので、機会があれば次は是非行きたいものだ」などと言ったら、六田さんが「時間があるので寄っていこう」と言ってくれて、急遽、葛城山に向かうことになった。
車で葛城山方面に走っていくと、山頂に縦の虹が出ているのに六田さんが気付いた。
R0018229.jpg ※中央右側です。
思えば、赤塚邸の「高天」と題された写真にも、虹が写っていたが、なにか不思議な符号を感じた。これから向かうのは、その高天である。
車はどんどん山道に分け入るように走って、高天彦神社に着いた。高天の写真は、この神社の参道の並木を撮ったものだという。
神社の前に出ると、手水鉢があり、蛇口から水が滔々と流れ出ていた。手を清め、口を漱ぎ、ちょっと飲んだが冷たく、うまい。これは山の清水だろうか。
さっそくお参りをしたのだが、なにか気圧されるような雰囲気があり、冷気というか霊気というか、身震いするような空気を感じた。
わりとこういったことには鈍いほうなので、どこへ行っても何も感じなことが多いのだが、どうもここは違うらしい。
有難くもあり、畏れ多くもあり、すぐに社の前から立ち去ってしまったが、あの水の旨さからすると、人に対して親和的なのではないかという気もする。
六田さんに、感じたことを言うと、ここはそもそもそういう場所なのだという話であった。
そのあとに、高鴨神社へ向かった。ここは高天彦神社と違い、なんだか親しみやすい空気を感じた。京都の賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)のルーツだという。
ここもさっそくお参りする。見ていると、六田さんは深々と頭を下げていた。
ここは、親密感のある神社ですね、などと言っていたら、この神社でも絶対にカメラを向けないところがあるそうで、でも、それがどこ(何)かは聞かなかった。怖いからね。
大阪会場、御所会場に写真があった、高鴨神社の池のほとりを歩くと、写真と同じ枝ぶりの木があった。
末社というのか摂社というのか分からないが、小さな社が池のほとりに並んでいて、どれも小さいながらも立派な茅葺屋根で、こういうのは初めて見た。
亡き父たち(義理と実父)はどちらも酒が好きだったので、お神酒を買ってみた。

帰り道、葛城山のふもとから奈良盆地を見ると、低い山々(大和三山)が、ぽこぽこと町に食い込むようにあり、これも不思議な風景であった。
そこから、六田さんのご実家のある方面へ向かったのだが、進行方向に赤く大きな月がのぼっていて、それがずっと視界から外れなかった。なんなのだろうか。こういう経験はあまりない。
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※28ミリの広角レンズなのであまり大きな感じはしないが。


六田さんの御所市の写真を見ていると、どうも地霊?のご加護があるように感じられ、それは高天の神、つまり日本神話の神なのかもしれず、はたまたその土地に根差した山としての神(葛城山、金剛山は修験道の始まりの地でもある。御所市は役小角の生地)なのかもしれず、よそから来たものにはっさっぱりわからないのであるが、なにか只ならぬもの、ただし人間とは峻厳たる断絶があるわけではない、そのようなものがあることだけは感じられる。
水木しげるが出雲の神々に守られていたという話に似ていると思ったりもしている。

もっとも不思議というかラッキーであったのは、帰りの新幹線で、六田さんの生い立ちやら、写真を撮りはじめたきっかけやらを聞けたことだろうか。
日帰りではあるが、濃密な体験だった。

不思議な一日(中編) 六田知弘写真展「宇宙のかけら」@御所市

(前編より続く)

近鉄に乗って御所市へ向かう。
昼過ぎに着いて、碁盤目状の古い街並みを会場である赤塚邸目指して歩いてみた。しかし、行くに径(こみち)に由るhttp://eeldog.blog12.fc2.com/blog-entry-890.html 俺としては、まっすぐ向かわずにふらふらとわき道にそれたのであった。
すると、前方から手を振っている人が近づいてきて、よく見ると六田さんであった。いずれ会場ではお会いできるかとは思っていたが、路上で会うとは思いもよらなかった。ちょっと不思議なかんじがしてきた。
六田さんは食事に行くところだというので、そちらには付き合わずに、まずは会場の赤塚邸へ向かった。
15時30分からギャラリートークをするというので、町歩きもするつもりだが、その時間には会場にいますと答えた。
赤塚邸は、ずいぶんと風格のある建物で、見るからに歴史を感じる。

靴を脱いで、まず最初の座敷に入ると、正面に衝立があって、これは大阪会場にもあった高鴨神社の池の写真である。見ると右手のふすまには、大阪会場の最初にあったような木立のカラー写真(後で聞いたら大阪会場にもあった高天の写真で、よく見ると木立の上に虹が出ている)。左のふすまはもともとのふすま絵かと思ったら、モノクロの靄のなかの木立の写真であった。
※反対側のふすまにも写真がある。
この部屋には座卓があって、まずはそこに座って、しばし呆然と衝立とふすまを眺めた。どうもここは、こういうふうにちょっと座って膝を崩して見るのが良いようだ。
天井には明かりとりの窓があって、それもなんだか好ましく思える。
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呆然としていてもきりがないので、次の間に移る。

次の間には床の間があって、小さな中庭に面している。
くだくだ書いても、けっきょくは実物を見るに如かずと思うので、思いつくものだけを書いていくことにする。
床の間には、大阪会場にあった櫛羅の滝の一番下の写真で、蝶が写りこんでいるものが掛け軸にされていた。よく見ると、軸の装飾(写真の枠の部分)にも蝶らしきものがあしらってあったが、これは一種の洒落であろうか。
庭が見える窓にトンボの写真があった。
あとで六田さんのギャラリートークを聞くと、思い入れのある写真であることが分かった。さらに自分なりに調べると、御所市の土地柄に根差していることが分かってきた。
写真のトンボはちょうど交尾を終え、産卵の直前だということで、独特の尾を丸めた姿勢で飛んでいる。
トンボは別名「秋津」ともいう。その理由は、wikipedeiaによれば、
『日本書紀』によれば、山頂から国見をした神武天皇が感嘆をもって「あきつの臀呫(となめ)の如し」(トンボの交尾のよう(な形)だ)と述べたといい、そこから「秋津洲」の名を得たとしている
とある。
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ちなみに御所市には神武天皇社があり、国見をしたのは、御所のあたりだったのかもしれない。トンボと御所というのは昔からの組み合わせなのだろうか。
※一般には橿原神宮が神武天皇の墓所といわれているが、別の話もある。
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/0f15ecfc3677f0a0d3dd26c73f89b4b1

この部屋では、反対側の椿の写真を見ながら、横になりたかったな。
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隣の部屋に進むと、その奥に仏壇があるのが分かり、ちょっとしんとした心になる。
が、障壁画である白象(象を見たことがない人が描いた象の絵)と虎(猫的)の絵を見て、その気持ちも薄らぐ。この部屋は写真と、もともとの表具類が混然一体となって、なんとも面白い状態になっていた。
左の廊下に進むとそこにも写真があるが、左の部屋に入ると炬燵があって、つい入ってしまう。こたつに入ってぼんやりと雪景色の写真を眺める。
さらに隣の部屋に入ると、山腹と靄の巨大な写真がある。なんだか禅寺の障壁画のようである。この写真の右手には、大阪会場にあった蝶と蜘蛛の巣にかかった葉っぱの写真があった。六田さんの説明では、撮影していたらたまたま揚羽蝶が飛んできて、たまたま正面を向いた時の様子が撮影できたということだった。
つまり蝶は蜘蛛の巣にかかっていなかったわけで、なんだかほっとした。

さて、一通り見たが、ギャラリートークまでまだ時間があるので、少し足をのばして、役小角誕生の地とされる吉祥草寺に向かった。
吉祥草寺は六田さんが子供のころに遊んでいた場所という。
小一時間、散歩がてらに行き来して、六田さんのギャラリートークを聞いた。その内容は、これまでの文章に組み込んでいる。
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ちなみに、吉祥草寺では不思議なことはありませんでした。役小角が産湯をつかった井戸があったな。

不思議な一日(前編) 六田知弘写真展「宇宙のかけら」@御所市

大阪と御所市で六田知弘さんの故郷、御所市をテーマにした写真展があるので、先の日曜日に思い切って行ってみた。
http://gose-muda.jp/
けっこう交通費もかかるので、数週間迷っていたのだが、図録(があったとしても)で見ても、展示会場で見る写真にはかなわないし、御所市というのは特徴のある町だという話も聞いていたので、日帰りで行ってみることにした。

早朝、といっても7時の新幹線にこけつまろびつ飛び乗って、着いて来るは新大阪。中心地なる中之島に地下鉄で乗り付け、即ち大阪会場に這入った。
http://gose-muda.jp/osaka/
会場は地下鉄の駅の一部で、コンクリート打ちっぱなしのモダンな空間であった。

いくつか印象に残ったものを。
・杉?木立のうえに不思議な雲というかフレアがかかっている。撮影地は「高天」とある(その意味はあとで分かった)。
・蜘蛛の巣にかかった葉っぱと、蝶(パンフレットに使われている)。この蝶は蜘蛛の巣に捕らえられたか、それとも自由に舞っているのか、そこのところで解釈が大きく違うように思った(これはたまたま飛んできた揚羽蝶で、蜘蛛の巣にひっかかっていたわけではないとのこと)。
・金剛山と葛城山のパノラマ(5枚)。これは会場で見なくては意味がない。鳥が何羽か映りこんでいる。中央の峠らしきところの上に夕日が浮かんでいる。ある意味、宇宙的でもある。
・櫛羅(くじら)の滝。滝の全景を3枚の写真で構成している。一番下の写真は滝壺らしいものが写っていて、ここにも蝶が写りこんでいる。
・夜の葛城山頂。ススキの原のうえに、ぼんやりと浮かぶ雲。なんということもないが気になるところがある。
・風、水、空、地、火の縦位置5枚の組写真。大きいのでこれも会場で見ないと意味ない。
・高鴨神社の池。瑞々しい緑と水面。これもパンフレットに使われている(御所会場にもある―後述)。
・伏見 菩提寺の法起菩薩像。五眼の菩薩で、役の行者(役小角)に関係がある。ファインダーを通して、五つ目に対峙するのは俺はできないだろうな。
・櫛羅の滝。これも瑞々しさがあっていいかんじである。
詳述するときりがないので、あとは省略するが、御所の街並みを組み合わせた写真は、なんだかかわいいかんじであった。

全体の印象は、モダンな空間に、非常に風土性の強い写真群が展示されていて、とくに自然を写したものは、六田さんの他の写真(水ノ貌等)とくらべて、人との親和性が高いように思えた。やはり故郷だからだろうか。
虫や鳥が、いくつか写真に写りこんでいるが、あれは六田氏自身ではあるまいか、とも思った。

とりあえず交通費分の元はとれたという感もあり、御所市の資料をもらって、まずは退出。

向かいの大阪市立東洋陶磁美術館で「台北 國立故宮博物院―北宋汝窯青磁水仙盆」展も見る。この「人類史上最高のやきもの」といわれる北宋の汝窯を代表する青磁水仙盆の写真を六田さんが撮影しているので、これも見逃せない。ただし、ここの話を書くと収まらなくなるのでふれないが、この独特の青は「雨後天青」というらしく、雨の後の、雲の切れ間からこぼれるような青を目指したという。
ちなみに六田さんは、物撮りをするとき必ず触って、触感を確かめてから撮影するそうだが、まさかこの青磁水仙盆にも触ったのであろうか。
http://www.moco.or.jp/exhibition/current/?e=366

昼前に一通り見たので、大阪から御所市に向かうことにした。
※まだ不思議な話にはなりません。
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