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eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2019-12

また落とし物をしてしまった話(@新宿、Walkman A16)

午後から新宿に出かけて、ふと上着のポケットに入れていたはずのウォークマンに手をのばしたら、見つからなかった。
またやったかと思って、他のポケットをまさぐったがやはりなかった。
家から新宿まで歩いて出掛けて、しかも、あちこちふらついたから、どこで落としたか見当もつかない。
明日、それらしいお店など電話で聞いてみようと思うが、けっこう電話を掛ける所が多くなりそうで、ちょっと鬱である。
落としたのは、ここ4,5年使っていたかなり型遅れのWalkman A16というやつで、黒の外装は使い古したカメラのように角は剥げ、ディスプレイのガラスは傷だらけなので、金銭的な価値はほとんどないであろう(そもそもアウトレット品だった)が、愛着も、音楽データもあり、些かショックである。

ショックの理由というのは二つあって、一つは、ここ数年、冬場にちょっとしたものを落としている。
買ったばかりの手袋とか(すぐ買いなおしたが)。
で、買いなおしたその手袋をまた落としたり(これは近所の家の塀に引っ掛けてあったので、手元に戻った)。
冬場は、コートとかマフラーとか、いろいろ見に着けるものが多くて、取り紛れてしまうのかもしれない。ポケットの数が多くなると混乱する。
以前はそういうことはなかったのだが、これも老化現象か。

このへんはしょうがないとは思うが、二つ目は、どうも落とし物をしそうなときには、うっすらと予感があって、でもやっぱり落としてしまうのだ。
先日は、ノートにはさんだ赤ペンが、いかにも落ちそうだと思いながら、やっぱり落とし、しかしすぐに気づいて拾ったが、またしても落としてしまった。
再度拾った時に、ノートにはさまずにきちんとしまえば良かったのだが、なぜか、大丈夫だろうと思って、そうしなかった。
今日のWalkmanも、上着のポケットの入れたときに、なにかみょうな予感があったという記憶はあって、でもそのまま出かけて、案の定なくしてしまった。
日中暑くなって、上着を脱いだときに、ちょっと気を付けようと思ったりもしたのだが、このときもなぜか大丈夫だろうと思ってしまったわけだ。
128GのマイクロSDカードには、ライトニン・ホプキンスやカンやビートルズやジミ・ヘンドリックスのbootlegやケイト・ブッシュやら、音楽好きならそれなりに楽しめそうな音楽データが入っているので、落とした人が楽しんでくれたらそれでも良いとは思うが、見かけがボロボロなので、そのまま捨てられてしまいそうに思う。

同時に、こんなことも考えた。
ハードウエア的には、まだ使用できるが金銭的にはほとんど無価値、おそらく普通の人は買い替えるだろうという品物であったので、あきらめもつかぬではない。
中身についてはどうか。けっきょく音楽データはすべて元のデータが別にあるので、それほど困らない(が、どんな曲を入れていたかは、うっすらとした記憶しかないので、元の中身を復元するのは難しい)。
これはデジタルデータの強みで、オリジナルというものがないので、というか、既にデータ化された時点で、コピーもオリジナルも区別はないので、データがどこかにあれば復旧はできる。
例えば、これが誰かから借りたアナログのLPだったりしたら、取り返しがつかない気がする(LP自体に思い入れがあったら、代わりのLPを買ってきても済まないだろう)。
LPというのは市販品であるが、万一、手作りの品や一点物だったりしたら、目も当てられない。

ということは、音楽データに限らす、デジタルデータ化可能なものは、手元のSSDやらメモリーやらにデータをいれておくよりは、ネットワーク上にデータがあれば、ハードウエア自体は交換可能なので、今日のように落とし物をしてもまだ傷は浅い(だろう)。
また、ネット上にデータをおけば、ほぼ永遠?に保全されるのかもしれない。
というのは、ネット上の(サーバ)のデータは、サーバーのバックアップがあるはずなので、手元に置いておくよりはより壊れにくく、失われにくいだろう。
この特性がある故に、リベンジポルノなどは問題が厄介になるという面もある。

別の言い方をすれば、アナログなものがオリジナルとしてある場合、デジタルデータ化という一種の破壊と再構築のプロセスを経れば、デジタルであることの利便性を享受できるが、しかしそれはおそらくすでにオリジナルとは別物であろう。
ただし、実用の際には、データ化の前と同じく、たいていは前以上に扱いやすくなるので、むしろ問題はないが、それを良しとするかどうかは、人によって違う(それとも世代か?)。

そうなるとgoogleドライブ等にデータを載せておくことを思い浮かべるが、どうも個人の情報を勝手にみられているようで、嫌な気がする。もちろん、俺のような砂粒的個人の情報は無意味であるが、ある場合には勝手にビックデータ等と取りまとめられるのも、違和感がある。ビッグデータの収集とドライブ内データは切り分けられているはずなのであるが、どうも信用できない。
まあ時代についていけないというのはこういうことだな。

最近、サブスクリプションという言葉があって、定額制のサービスが流行ってきたようだ。わざわざ所有せずとも、常時それが使えれば、問題ないといえば言える。
考えてみれば、所有するといっても、人生の時間には限りがあるので、じつは一時所有に過ぎない。
手元においても数十年も使用に耐えるようなものはほとんどなくて、それだったら、買い取ってまで所有する必要があるであろうか(俺にはあるけど)。

さらにいえば、そもそもものに執着するのが良くない。愛別離苦というのは、基本的には人間関係に言うのであろうが、愛着のあるものには、そんな言葉を使いたくなる(けっこう、傷深いんだろうね、じつは)。
先日の台風で、郷里もだいぶ被害を受けた。
亡くなった友人の母の家は川沿いで、おそらく取るものも取り敢えず、避難したであろうから、友人ゆかりのものは、流されてしまったのかもしれない。
そう思うと、帰省したいという気持ちも薄らぐ。
ものに注目するから、そう思うので、身から剥がせないもの(こと?)こそ大事にすべきではないか。
判断力、語学力、知性、技量、体力等は、身一つになっても残るものだ(なんだか大袈裟になってきたな)。
であれば修練あるのみ、といっても、家に帰って本を読んでは考え、ギターの練習をするくらいしかないが。
好きな音楽なら、頭の中で再現出来ればそれでいいではないか。だいたい、常時耳鳴りしてるんだし。

こんなことを、新宿駅地下のベルクでホットドッグブランチ(ビール付き)を食べながら考えて、自らを慰めておりました。
さてどうしよう。
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サインが欲しくなる理由

どういうわけか、何人かの著名な方のサインを持っている。
著名といっても、俺にとっての、という意味で、多くの人にとってはあまり意味はないかもしれぬ。
桑原甲子雄、荒木経惟、遠藤賢司……、田中長徳なんて人のもある。六田知弘さんのもあったな。
最近ではスピッツのサインが増えた。

ふと考えた。なぜサインが欲しいと思うのだろうか。
ファンだから、と言えばそれまでだが、熱烈なファンであってもサインは別にいらないという人も多かろう。

どうも、いろいろ考えると、ベンヤミンに行き着くような気がする。
先ほど名を挙げた人たちは、基本的に複製芸術の世界で生きている(いた)。というか、桑原やアラーキーのオリジナル・プリントには値段からして、とても手が届かない。エンケンはさいわいにも東京にいたのでライブを見ることができた。そうでなければCDで聞くしかなかった。
写真集もしくはCD(LP)という複製芸術のかたちで、彼らの作品を十分に堪能しているわけだが、やはりそれだけでは寂しく思うのだろう。
となると、オリジナルだけがもつはずのアウラ(そのときに、その場だけに存在する)に準ずるもの・つながるものが欲しくなるのだろうか。

複製芸術であろうとも、例えば楽譜から演奏するように、自分の中で鑑賞・観応というかたちで再創造できることは可能であると考えている。なかなか困難なことではあるが。
しかし、それだけでは足りんのでしょうな。
だから、ライブに行ったり、写真展に行ったりして、そこにしかないもの・ことを体験しようとする。

作家が自らの手で書いたサインというものは、間接的に作家に近づけるような気がするものだ。
そういうかたちで、複製芸術のなかに唯一性を取り戻そうとしているのだろうか。
そういえば、昨年、牛腸茂雄のネガから友人の三浦和人氏(だったかな?)が焼いたプリントを買った。
大昔に四谷三丁目のMoleで売っていたもので、たしかに写真の裏にMoleの名前が残っている。牛腸のオリジナル・プリントには手が出ないが、牛腸が直接手を触れたネガから焼かれたプリントなら買えなくはない。

そのプリントをそれほど見返したりしたりはしていないが、自分の中に欠けている何かを確実に補ってくれているような気がする。

シタールギターの理由

パット・メセニーには「Last Train Home」という名曲がある。このところ、よく聞いている。
ジャコ・パストリアスが亡くなったときに捧げた曲だと聞いたことがある。
この曲では、シタールギターが使われているのだが、とくに理由も考えなかった。


今日、散歩の途中で楽器屋に立ち寄ったら、シタールギターを試奏している人がいて、独特の音を聞いていたら思い立つことがあった。
ジャコ・パストリアスはフレットレスベースを弾いていたが、その音と、シタールギターの独特のビビり音が似ているように思う。
だから、メセニーはわざわざこの楽器を使ったのではないかと思った。

ギターについて最近知ったこと(70年代ストラト編)

家に70年代後期のフェンダー・ストラトキャスターがある。
ボディはアッシュ材で非常に重い。メープルネックであるがフレットが非常に薄くて弾きにくい。また、純正のアームを付けて弾いていたら、根元で折れて取り出せない状態になっている。
そんなこともあり、あまり弾かないで漫然と家に置いていた。弾いていたのは、もっぱらフェンダージャパンのジャズマスターだった(80年代に買ったもので、フジゲンが作っていたころらしい)。

先日、某所で同じ年代のストラトが、売れないらしく18万→15万円台に値下げされて売っていた。
弾いてみると、フレットは打ち直し済みで、それでも7割くらいの残り具合であるが、家にあるストラトよりは弾きやすい。
全体に色あせているが、致命的問題もなさそうということで、家にあるストラトを下取りに出して、このギターを購入しようと思い立った。
査定してもらうと、差額は10万円。高いとみるか安いとみるか。
俺にとっては10万を超える買い物は、日常的にはめったにないので、多少逆上気味だったかもしれない。
金を準備して、改めてその楽器を弾いてみて、さらに自分の楽器を弾いてみた。
なんだか、自分の楽器のほうがボディの鳴りも良く、良い楽器のような気がしてきた。
改めて考えた。10万あるならば、問題のネックをリペアできるのではないか。費用は10万はしないはずで、結果として弾きやすい状態のネックと、鳴りのよいボディ、塗装もまだきれい(一部剥げはある)な楽器にできるはず。
そこで、楽器屋のお兄さんに謝り倒して、何度か行ったことのあるリペア屋(中野Pine)に行って相談した。
そこで分かったこと。
70年代はフェンダーの経営も行き詰っており、品質にも問題があった(バラツキもあり)。
問題のネックとフレットであるが、未熟練の作業者が、とりあえずめいっぱい塗装したということで、フレットが埋まるくらい塗料を載せたということらしい。また、ハイフレットのほうは、ほとんどフレットレスギターのような状態であったが、これは塗料を乾かすときに、ヘッドを上にするため、下(ハイフレット側)に塗料がたまったからだという。
他の楽器屋で同じ話をしたら、ふつうに弾きすぎてフレットが削れたんだろうと言われたが、やはりそうではなかった(というか、削れるほど弾いてないし)。
ボディが重いのは、ギブソン、とくにレスポールに対抗するため、わざと重くしたらしい。

この年代のストラトは、ヘッドが大きい、重い、ネックが三点止め(他は四点止め)等、いろいろあってあまり人気がないようだが、年代的にはかなりボディも枯れてきており、ボディの鳴りが直結するようなサウンドなので、本来ならば人気があってもいいのではないかと思うが、そうなると俺の手元には来ないはずでもあった。
最近は、リペア済みのこのギターばかり弾いています。

ギターについて、ここ最近知ったこと(ギブソンJ45編)

しばらく前から、ギターについて考えることが多くなった(就業中もwww)。
きっかけはなんだったか。ジミヘンの素晴らしさに今更ながら気付き、フレーズを弾くことの 意味がやっと分かつたのかもしれぬ。

ということで、(カメラではなく)ギターが欲しくなってきた。
とくに野村ヨッチャンのギターコレクションを見ると、うらやましくて失禁しそうになる(嘘。

で、最近は中古カメラ屋に行くときは、楽器屋(ギター屋か)にも必ず立ち寄るので、いろいろ知らなかったことがあったので、忘備録的に書いてみる。

・ギブソンJ45という、アコースティック・ギターがある。有名な楽器である。
・発売時に45ドルだったからだという(1942年)。
・細野晴臣が星野源との対談で誉めていたので、ちょっと試奏してみたくなった。
・新宿の島村楽器に行ってみたら、ちょうど2000年代初めごろの中古品が2本あった。値段は20万に行かないくらい。
・まず1本弾かせてもらった。ネックの握りはちょうどよい。音は低域は浅く、中域が豊かで、高域はそれなりの、全体としてカリッとした音であった。
・この楽器は、サウンドホールにボリュームはついていなかったと記憶しているが、ピックアップ付きであった。アンプを通した音は自然な音であった。
・だが、家にあるヤマハFG400Dは低域がボッタリと分厚い音なので、それと比較すると少し軽すぎるように感じられた。
・楽器屋のお兄さんの話では、輸入当時は30万円代くらいで、時間がたって、楽器ごとに音も安定してきているころであるという話だった。
・その後、お茶の水へ行ったり、渋谷へ行ったり、あちこちで試奏させてもらった。といってもあまり高額なのは、万一欲しくなっても自分が困るので、漠然と20万以下しか触らないようにしていた。
・その中で分かってきたのは、ギターというのは型番が同じでもそうとうに個体差(音、弾きやすさ等)があるが、このギターはとくにそうらしい。
・あちこちの楽器屋で弾いてみたが、制作年代や、前の持ち主の弾き方次第で、かなりの差がある。ということは、好みの音と出会うまでは、いろいろ試奏するしかないらしい。
・また、アコースティック・ギターといえば、まずはマーチンが思い浮かぶ(エンケンもそうだった)が、最近は流行らないらしい。
・というのは、マーチンはPAが未発達な時代から愛用されていたが、その理由は音が大きかったからだという。しかし、最近はレコーディング機器も発達し、PAも充実してくると音が大きすぎて、他の楽器とのバランスが悪くなるということで、相対的に人気が落ちたらしい。
・いろいろ見ていくと、だんだん自分が欲しいのが分かってきた。
・まず2000年頃より前のものは、ピックアップがついていない。俺としてはピックアップはありたきもの。
・最近のものは、シングルカッタウェイのものがある。ハイポジションがかなり弾きやすい。しかし年式が新しいものが多く、なんとなく好みの音ではなかった。どうも10年以上経って、ある程度落ち着いた音が自分の好みらしい。
・ちなみに、昨年末、お茶の水で好みの音のJ45を見つけた。ザックリ系の音だが、わりと低音が豊か。しかし税込みで20万を超えるので、とても無理と思っていた。
・しかし正月セールで多少安くなるだろうと思い、金を準備して店にいったら、もう売れた後だった。1週間前にはあったのに。
・今は、J45への執着は薄らいだが、それでも出物があればほしいと思う。

今更ながら、windows ムービーメーカーをインストールする。

これまで仕事用に簡便に作ってきたビデオ映像が、そこそこある。
そのなかには部分的に修正して、また使うものもあったりするのだが、お金をかけたくないのと、高度なことはまったくやらないので、windowsおまけのムービーメーカーで作りとばしていた。
先日、また一部修正をしようとして、新しいPCにムービーメーカーをインストールしようとしたら、いつの間にやら、マイクロソフトでは配布終了になっていた。
いろいろ調べると、下記にインストールの仕方など、縷々書かれている。
https://kaoruya.org/blog/moviemaker/
大変参考になりました。ありがとうございます。

さっそく紹介されている通りに英語版をインストールしようとしたら、(書いてある通りに)NGであった。
NET Frameworkを更新するとよいとあったが、手元のPCでは、すでに最新版であった。
自分なりにさらに調べると、どうやら英語版のインストールファイルは、OSも英語版でなければならいようだ。
そこでOSを日本語から英語(米語)に切り替えたところ、見事にインストールされた。
言語の切り替えはここに詳しい。
https://pc-karuma.net/windows-10-change-display-language/

その後、追加した英語版設定を削除しても、ムービーメーカー自体は作動しているので、あまり深く考えずに、これで良しとしている。

どなたかのご参考になれば。

マイケル・ケンナ写真展@東京写真美術館

恵比寿の東京写真美術館で、マイケル・ケンナ展をやっているので、さっそく行ってみた。
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3104.html

貧者吾としては、まずは新宿に出てチケット屋で安チケット探す。1,000円のところを650円で入手、ついでに「建築 × 写真 ここのみに在る光」も350円で見つけて、これも行ってみた。

マイケル・ケンナは独特の叙情があって、写真集を買うほどではないが、好きな写真家である。
ほとんどの作品は、一種の「ケンナ節」とでもいうべき、いつもの調子でそれはそれで満足した。
驚いたのは、「Impossible to Forget」という連作で、内容は以下の通り。
「1988年からは約12年の歳月をかけてナチスドイツの強制収容所28ケ所の撮影を敢行、300点のプリントとネガをフランス政府に寄贈し芸術文化シュヴァリエ章を受章しています。今回、特別展示として、この連作「Impossible to Forget」を日本で初めて展覧」したというもの。

通例、写真の展示はプリントの上にさらにガラスなどでカバーしてあるのだが、この作品群は作家の意志により、カバーなしで直接、額に収められている。
例によって人物は写っていない(骸骨や遺髪は写っている)が、まったく知らなかった作品であり、見る価値があると思う。
一方、ヌード写真もあったが、これはまあ俺の趣味ではなかった。というかヌード写真自体に興味がないわけで。

いい写真展だと思います。

有名人と出会った話

誰でもあることではないかと思うのだが、与太話で「どこそこで有名人にあった」という自慢合戦?をすることがある。
曰く「学生食堂で吉永小百合が食事していたが、みんな気を使ってほっといてあげた」とか、「ゴールデン街で中上健一が暴れていた」とか。
家人の例であれば「伊勢丹のエレベーターの中で、ロバート・プラント(レッド・ツェッペリン)と乗り合わせた」というのがある。なかなかのものである。すごく大きくてライオンのような印象だったそうだ。
俺の場合であれば、「地下鉄有楽町線で、目のぎらぎらした小柄な白人」が前に座っていて見たことがあると思って調べたら、『ブリキの太鼓』(映画)のオスカーだった。この時期、日本で舞台があって、東京にいたということだ。
友人の場合は、学生時代にえらく出来のいい人がいて、あとで気付いたら文芸評論の安藤礼二だったというのがあるが、この友人が、これまで聞いたなかでいちばん敵わないと思ったのが、この友人のそのまた知人が「ナレコレプシーで倒れている(寝ている)阿佐田哲也・色川武大」を見たことがあるそうで、なるほどこれには文学史的にもゴシップ的にも敵わないと思うが、そう思わない人もいるだろう。
それにしても、我ながら、出てくる人がみんな古いな。

レンズをつけるとシャッターの切れないオリンパスPEN-F

オリンパスの名機PEN-F(フィルム用ハーフカメラ、と念のため補足)の有名な不調で、純正レンズをつけるとシャッターが切れないというのがある。
ちなみにレンズを外すと、シャッターは切れる。
原因は、ボディとレンズの絞りとの連動部分の動きが悪かったり、ボディ側のシャッター部分が経年劣化で不調になったりというもの。
しばらく前に、知人からそのような状態のPEN-Fをいただいた。
ちゃんと触るのは初めてで、そのメカメカしさに惚れてしまった。
しかし、ちゃんと使えないのはさびしい。といって素人修理も多少行ったが、根本的には解決しない。
けっこう細かい作業なので、おそらくとどめを刺すだろう。
修理に出すと、たぶんメンテナンス済みのカメラが買えるくらいの金額になるだろう。
なかなか考えてしまう。

ということで、ニコンFマウントレンズアダプターを調達して、PEN-Fボディにニッコールレンズをつけて撮影していた。
撮影結果はさすがに満足のいくものだったが、やっぱり重いし、純正レンズも使いたい。
予め絞りボタンを押すと、絞り連動部分との負荷が減るらしく、純正レンズも絞り5.6くらいからなら使える。
昔のカメラとおなじで、自動絞り以前だと思えば苦にもならぬ(と言えばウソか)。
しかしそれだと標準38ミリレンズの開放F1.8が使えない。

ふと閃いて、レンズをボディにはめるとき、しっかりとカチンという音がするまで=ロックするまで回転させる。
それを途中で停めてみた。つまり、レンズは、はまっているがロックされていない状態で、しかしピント合わせなどはできる。
しかも、そのままシャッターも切れる。
ただし、ピント合わせを普通に行うと、レンズが外れるときがあるので、そろそろとヘリコイドをまわすことが必要だ。
パーマセルテープでも貼っておけばよいか。
ちなみに、絞りの連動をずらしてあるので、自動絞りではなく絞り込みで撮影となります。それでも開放から使えるのはありがたい。

これで撮影テストをしてみようと考えているが、テスト待ちのカメラがほかにもあるのであった。


世田谷美術館 東京スケイプ展

10月21日までの会期で、世田谷美術館で、写真の収蔵作品展として「東京スケイプ Into the City」を開催している。
https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/collection/detail.php?id=col00101

じつは開催しているのを、全く知らなくて、先日慌てていってきた。
作家は、濱谷浩、桑原甲子雄、師岡宏次、高梨豊、荒木経惟、平嶋彰彦、宮本隆司と大好物の人ばかりである。
忘備録を兼ねて、ちょっと書いてみる。
まずは、濱谷浩。好きな作家である。残像潜像なんかも良かったな。今回は、町の職業図鑑という趣であるが、発想的にはアッジェやザンダーにつながるところがあるかもしれない。

桑原甲子雄はサインを持っているのが、ひそかな自慢。写真はおなじみのものであるが、改めて見ると、いろいろ気付く。
226事件の写真は、大きく引き伸ばしても十分耐えられるものであった。画面中央左側の「〇」は、やはり雪か水滴だろうか。
http://digitalmuseum.rekibun.or.jp/app/collection/detail?id=0210009659&sr=%8D%8D%92%AC&sk=%8C%4B%8C%B4+%8D%62%8E%71%97%59

世田谷ボロ市の写真も何度も見ていたのだが、無意識に、自分がかなり真似をして写真を撮っていたのに気づいた。このblogでもボロ市の写真は公開している。

「下谷区上野公園山下」という写真があって、幼い姉妹が都電の停留所で道を渡ろうかと迷っている風情であるが、右背景には日の丸行列がある(盧溝橋事件関係?)が、それよりは姉妹を優先している。なんとなく、桑原の心根が透けるように思えた。
http://digitalmuseum.rekibun.or.jp/app/collection/detail?id=0210009672&sr=%89%BA%92%4A

「渋谷駅前」という写真では、ハチ公像の周りで人待ち顔の人たちが映っている。今みると帽子率が高い。
http://digitalmuseum.rekibun.or.jp/app/collection/detail?id=0210009714&sr=%8F%61%92%4A&sk=%8C%4B%8C%B4+%8D%62%8E%71%97%59

師岡宏次の銀座空襲後のパノラマ写真は初めて見たように思う。銀座のしゃれた写真を撮っていた人だから、さぞつらかったろうと思う。

アラーキーは「さっちんとマー坊」のスクラップブックが展示されていた。大きさはA2くらいか? そこに見開きでA1くらいの写真が貼ってあるわけだが、内容、質、量ともに素晴らしく、天才は最初から天才だったことが分かる。
また、80年代以降の陽子夫人を亡くす前後は、異常なクオリティーを持っていて、見厭きることがない。
チラシにも使われている新宿西口公園の写真、車いすの老夫婦、ベビーカーの若夫婦、少女がたまたま通り過ぎた瞬間らしいが、その瞬間に生老病死を含む人生のすべての面が焼き付けられているように思う。
https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/collection/detail.php?id=col00101
ロバート・フランクのバスの写真(The Americansの表紙)をなんとなく思い出す。
https://www.amazon.co.jp/Americans-Robert-Frank/dp/386521584X

宮本隆司、高梨豊は今回は飛ばすことにして、平嶋彰彦のことを書きたい。
平嶋は、西井一夫との共著「昭和20年東京地図」で見て、初めて知った。いい写真だと思い、この本は正続を買ったが、いかんせん紙質がざらついているため、写真がクリア―ではない。
今回の展示では、モノクロ写真がしっかりしたプリントで見ることができたのは、大きな収穫だった。他に「神田を歩く」という本も入手したが、この人は、あまり本格的な写真集がないようだ。個人展もやっているのか、どうか。だから、今回の図録がほしかったのだが、図録は作成しなかったようで、残念だ。
ちなみに、ちょっと調べいたら、早稲田大学写真部のページを見つけた。
https://tomonphoto.com/intro_about/history-2/
ここで早稲田界隈の写真を掲載しているのだが、俺がよく知っていて、写真を何度の撮影したところが多くて、うれしくなった。同じようなところに興味をもっているのかもしれない。
入場料200円というのは、安すぎると思う。

帰りに写真を撮りながら帰ってきたが、なんとなくストリートフォトグラフィー風になってしまった。
我ながら影響受けやすいのう。
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