fc2ブログ

eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2022-10

松村雄策と小林信彦のビートルズ論争の印象

松村雄策が亡くなって、いろいろとネット上で追悼の文章を読んでいたら、小林信彦とのいわゆるビートルズ論争についてふれているものがあった。
Wikipediaに経緯が書いてあるが、すでに30年も前の話であり、今さらという感もあるが、論争に関する様々な文章を読むと、自分が思っていたものとは違うところもあるので、思い出しながら書いていきたい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E8%AB%96%E4%BA%89
本来であれば、当時のロッキンオンや新潮誌等を見ながら書くのが良いのだが、実家に置いてきたロッキンオンはもう捨てられており、新潮を図書館で探してくるのもなかなかできないので、「印象」というタイトルにした。

さて、当時ロッキンオンの読者であった俺の記憶では、渋松対談で例によって松村がビートルズ関連で戯言的に(というかこの対談のお決まりのパターンで片方が愚痴り、一方が揶揄する)、小林の小説について語っていた。
口調としては小林がビートルズを題材(の一部)にして小説を書いたけれど、詰めが甘いところがあるんだよね、というかんじであり、渋松対談自体が軽い読み物なので、それほど深刻なものの言い方ではなかったように思う。
本来ならば、文壇で地位を占めている小林は、出版界の離れ小島である(独立系出版社の)ロッキンオンの、しかもおじさん二人の戯れ的な文章など無視しても良かった。
たとえビートルズ来日当時の風俗や時代考証が多少違うからといって、小説自体の内容、面白さ等に問題を引き起こすようなものでなければ無視しても、誰も何も言わなかったろう(しいて言えば、翌月の渋松対談のネタになるくらいか)。
しかし律儀にも小林は渋谷陽一に連絡をとって、問題点の指摘を依頼した。ここまでは特に問題はない。
で、松村はいくつかの指摘をした(前座については記憶違いもあった)。
これに対して、「なぜか」小林は非常に感情的な反応をした。
はっきりいって、小林と松村では文壇および社会的知名度など比べるべくもないもので、俺としては小林が大人の対応をせずに感情的に反論しているのを見て、かなり奇異に感じた。

さて、書き遅れたが、俺自身はじつは以前から小林は好きな作家で子供のころはオヨヨ大統領シリーズを小遣いで買ったり、大人になってからはマルクス兄弟のファンになったので中原弓彦名義の『マルクス兄弟のおかしな世界』等は愛読したものだ。だから、小林の異様な反応に少し困惑した。
(ただ『ぼくたちの好きな戦争』(朝日の新聞小説1986)でちょっとひっかかるところもあり、その後関心も移ってしまい、その頃はほとんど手にすることもなくなっていた。)

一方、松村と渋谷は意外にも落ち着いた対応であった。
とくに渋谷陽一はわりと論争好きで、ミュージックライフを叩いたり、今野雄二をののしったりしていた。
渋谷はこの件で小林にとばっちり的な批判を受けていたが、わりと冷静でとくに目立った対応はしなかったように思う(実際のところは分からないが)。
渋谷自身はこの件についてはどうでも良さそうなかんじに見えた。

今思えば、渋谷も松村も文壇的出版界とは別のところに小さいけれどそれなりの地位を得ていたし、なにより2人はビートルズを実際に体験したという確信があったので、対応も落ち着いていたのだろう。
それに対し、小林は「あの小説については、ビートルズに詳しい連中にチェックさせたので自信を持っている」と言っているそうで、図らずも自らがビートルズを直接体験した世代ではないことをいっているように思える。
世代的には小林信彦は1932年生まれ、松村は1951年であり、1966年のビートルズ来日時に松村は15歳、小林はすでに34歳で、ビートルズから受け取ったものはそうとう違うだろう。
ちなみに松村によれば、当時ビートルズのファンは後年言われるようにたくさんいたわけではなく、疎外感、孤独感を味わった。
だから、あとになってビートルズは、当時から現代のように広く認められ大人気だったというようなことをいう人は信用できないといっていた記憶がある。
このへんから、小林の小説に対する指摘が出てきているのだろう。
※そういえばThe PoliceにBorn In The 50's(50年代生まれ)という曲があり、そのなかでビートルズについてふれている。ちなみにAndy Summersは40年代生まれで、歌詞にそぐわないと揶揄されていたような記憶がある。

今となって思えば、小林はそのへんを自分の弱点と感じたのだろうか、俺が思っている小林像とはかけ離れた激しさで松村を非難しているのは、かなり奇異に感じた。
いまだになんで小林信彦はあれほど逆上したのか、ちょっと不思議だなというのが、この論争全体の印象である。

これとはまた別の印象を思っている人もいるだろうとも思う。
スポンサーサイト



メルケルの菱形(メルケルの斜方形 Merkel-Raute)

先日テレビを見ていたら、引退したメルケル元首相をとりあげていた。
そのなかで、メルケルがよくお腹の前(というか胸の下あたり)でひし形を作っていたことの理由として、次のように言ってた。
会議が長引くと、(飽きてしまって?)つい体が前に傾いてしまう。それを防ぐために、手であの形を作って、姿勢を正すようにした、とのことだった。
※諸説ありますが、その番組ではこういう説明だった。

ということで、日頃姿勢の悪いおれ自身も、ひし形を作ってみた。
たしかに背筋が伸びます。これは骨格と筋肉の関係によってそうなるのを、科学者であるメルケルは知っていたのだろうか。
とはいえこのポーズはけっこう目立ちますので、やる場所を選びますなあ。

ちなみに、菱形のシンボリックな意味はいろいろあるが、縦型の場合には女性器の含意があったりする。
その気になってみると、あのポーズには、許容と同時に産出する力のようなものもありそうで、なんとなくクールベの「世界の起源(The Origin of the World)」も思い浮かび、まあ普通の政治家では歯が立たない人だったんだろう。

以上、年明けにも関わらず、妄想をたれ流してしまいました。
申し訳ございません。

「フェンダー vs ギブソン」(2021 DU books」

「フェンダー vs ギブソン」(2021 DU books ※ディスクユニオンの出版部)が非常に面白かった。
多少気になるところもあるが、内容的にはかなり豊かで読みごたえがある。

・タイトルはむしろ「(レオ)フェンダー vs レス・ポール」のほうが適切かもしれない。ただし、もともとのタイトルには、人名が入っている。
The Birth of Loud: Leo Fender, Les Paul, and the Guitar-Pioneering Rivalry That Shaped Rock 'n' Roll
タイトルからなんとはなしにthe birth of bluesという曲を思い出したりする。
・レオ・フェンダーはギターが弾けなかったこと等、すでに知られていることも多いが、今はもっぱらビグスビー・アームで知られているビグスビーの先駆的エレキギター(レス・ポール的なボディとフェンダー的なネックヘッド)や、レス・ポールのログ(試作的なギター)等の関係について、詳細に書かれているのが面白い。
ある年代に、同時発生的に似たようなアイデアが出ているようだが、ギブソンやビグスビーのような工芸品(本来の高級楽器)路線ではなく、合理化、簡素化により一種のモダニズムを選択したフェンダーが大衆的人気を得た事情も詳しい。
・ジミ・ヘンドリックスがウッドストックで歴史的演奏をした「星条旗」のギタープレイと歌詞内容が密接にシンクロしていることを初めて知った。当たり前といえばそうなのだろうが、なんとなくメロディーに合わせて、極端にオブリガードをいれたらああなったように漠然と思っていた。
・ちなみにリッケンバッカーはイギリスのメーカーだと思っていたが、なんと昔からアメリカのメーカーだった。これもこの本で初めて知った。
・エレクトリックギターのビンテージ志向が、かなり早い時期からあったことを知った。レス・ポールは売れ行き不振で生産中止後に人気が出たため。またフェンダーはCBS期に品質が低下したために、以前のギターにより人気が集まった。
・クラプトンがなぜ偉大なのか、ということもやっと分かった。クラプトンを知った時には、すでにかなりの年配者で、昔はGODと呼ばれたが、ジミヘンに負けてレイドバックしたり、懐メロやったりしている人という印象だった。
クラプトンがレス・ポールとマーシャルアンプで生み出した歪音で「すべての音に自分の人生がかかっているような弾き方」をしたことが、その後の大衆音楽史に大きな影響を与えたのだろう。もちろん、ジミ・ヘンドリックスにも。
・じつはエレクトリックベースのほうが、エレクトリックギターよりも独創性があるかもしれない。エレクトリックギターにはすでに発明の下地があった。
エレクトリックなスチールギターと、ソリッドボディのギターがいずれ結びつくことは今から思えば必然だった。
しかし、アップライトベースから、フェンダー・プレジションベースへの飛躍は、非常に大きい。リズムという音楽の半分の要素を本質的に変えたのかもしれない。

音楽好きなら一度読むといいと思う。

ジェフスキ、岩舘洋

新聞を見ていたら、ピアニストのフレデリック・ジェフスキが亡くなったとき記事があった(6/30付け、朝日)。
ジェフスキの『不屈の民』変奏曲はLPで買って、何度か聞いていた。
元々はといえば、竹田賢一氏のA-Musikが演奏しているのを聞いたのがきっかけだった。
そのあたりのことは、このページに非常に詳しく載っている。素晴らしいです。
https://yoo-gto.com/2021/04/15/a-musik%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%82%AF-%E3%80%8Ee-ku-iroju%E3%82%A8%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%80%8F/

で、ちょっと検索したら、Charlie Hadenへのトリビュートバンドが演奏していた。
Octobre : The people united will never be defeated
https://www.youtube.com/watch?v=JsoGpoF1oQo

彼のオーケストラで好きな曲があるので調べてみたら、
Charlie Haden & the Liberation Orchestra - Sandino
https://www.youtube.com/watch?v=z-dAWxiX0hM
この革命家にちなんだ曲名らしいことが分かった。
https://en.wikipedia.org/wiki/Augusto_C%C3%A9sar_Sandino

さてこのページに戻りつらつら眺めていたら、岩舘洋という名前が目についた。
https://yoo-gto.com/2021/04/22/a-musik-%e3%80%8e%e7%94%9f%e3%81%8d%e3%81%a6%e3%81%84%e3%82%8b%e3%81%86%e3%81%a1%e3%81%ab%e8%a6%8b%e3%82%89%e3%82%8c%e3%81%aa%e3%81%8b%e3%81%a3%e3%81%9f%e5%a4%a2%e3%82%92%e3%80%8f/
彼は、大学が同じで音楽好きだったことから、なんとなく話をする人だった。
小島美子先生の音楽の授業に一緒に出ていたな。
彼は、元々北海道の人でコメが嫌い(昔の北海道米は旨くなかった)とかいって、食も細い人で非常に痩せていた。
モダンジャズのサークルに入ったとき、「パーカーが好き」といっていたが、チャーリー・パーカーではなく、エバン・パーカーだったという笑い話がある。
そのころはソプラノサックスを吹いていて、すでに相当のレベルのフリーミュージックをやっていた。
卒業後、会わなくなったのでどうしていたかと思ったのだが、一連で検索しているうちに「サックス奏者の岩舘洋さんが亡くなって今年で7年(6月27日)ですね。」という一文が目に入り、ショックを受けた。
https://twitter.com/hi_doi/status/1266970361117077504
さらに調べると、不破大輔率いる渋さ知らズにも参加していたようだ。
渋さは、フェダインが徐々に解体しつつあるころに(リーダー不破がライブをさぼったりしていた記憶がある)、西荻かどこかで、ごく初期のライブ(発見の会で2回くらいやって、そのあとの初回で芝居がらみではない)を見たことがある。
それを考えれば、どこかで会えていたのかもしれないが、すれ違っていたようだ。
いまさらながら、とても残念です。
いろいろあって暇がないのだが、これだけは書き留めておきたいと思った。

Fender FS52 ラップスティールギター

しばらく前から、ラップスチールギターが欲しくなって、いろいろと物色している。
とあるところで、Fenderのラップスチールが安めの値段で出ていた。
さっそく入札しようと思ったが、一応調べてみるといろいろと分かってきた。
型番はFS52 という6弦のもの。
見たところFenderでよくあるクリーム色っぽいボディで、かなりいいかんじ。

ここにいろいろと参考になることが書いてあった。
https://bb.steelguitarforum.com/viewtopic.php?t=199341
・中国製(これはよくあるので、管理されていれば問題ない)
・フレットボードが鏡面で、6弦が12弦に見える。
・ブリッジがしょぼい。
・ブリッジの下が、大きくえぐってあってサスティーンがない。
・マイクもしょぼい。
改めて、ネット上での取引例などを見ると、今回の出品よりもだいぶ安い価格で出ている。
結果として、焦って買うこともないということになり、またしばらく出物を探そうと思う。

というか、現在いじっているボディがあるので、それを仕上げないとな。

正体不明のスチールギター

正体不明のスチールギターを安価に入手した。
ボディ形状からすると、かつてsoundhouseで出していたLS100と同じのようだ。
https://www.soundhouse.co.jp/news/detail?NewsNo=3238
https://rittor-music.jp/products/2011/03/2457
※LS100のスペックは以下のとおり。
●ボディ:マホガニー●ネック:マホガニー スルーネック●指板:ローズウッド●ピックアップ:ソープバータイプシングルコイル●コントロール:1ボリューム、1トーン●ブリッジ:オリジナルフィックスドタイプ

しかし、ピックアップなどのコントロール部は、格安スチールギターのこれと同じようだ。
https://blog.goo.ne.jp/goomatt/e/e4937868362e1b69c0e520afaeacb904

どちらも中国メーカーのようで、ひょっとして工場は同じ系列だろうか。LS100のボディにartisanのコントロール部をとりあえずくっつけたというもののようである。
これをメーカーでやったのか、個人がやったのかは不明だが、わざわざ格安の楽器を掛け合わせるような人もいないのではないかという気もする。
しかし、塗装のムラなどを見ると、出来は素人レベルではある。他の細工も同じ。

とりあえず仕上がり状態が気に入らないので、塗装をはがすところから始めた。
紙やすりですぐに落ちるので、あまり苦労はないが、下地に残っているサンバーストがきれいなので、残したい気持ちもある。
ボディはマホガニーとのことで、細工は粗いがしっかりしているので、手のかけがいがある。しばらく楽しめそうだ。

若松丈太郎先生のこと

若松先生が4月21日に亡くなっていたことを、昨日知った。
先生には、高校時代に現代国語を教えていただいたのがご縁で、その頃、入院したときにお手紙をいただいたこともあった。
2011年の福一原発事故以来、『神隠しされた街』という詩が予言的だったといわれたりもした。
2014年の冬に、先生にお会いする機会をいただいたので、そのことを書きたいが、うまくまとまらないので、とりとめもなく書くことになりそうだ。

原発事故から数年たった頃、むしょうに先生の話が聞きたくなった。しかし高校卒業以来数十年経っており、単なる一生徒であった俺のことを覚えているはずもない。そこで、まずは手紙を出し、届いた頃にお電話した。
先生は「覚えていないが会いましょう」と言ってくれた。
当日、約束の13時に先生宅を訪問した。どこの馬の骨ともしれぬ俺(もしかしたら先生の詩風に反対する暴漢かもしれぬのに)にドアを開けて招き入れてくれた。
先生に会って、まずは教え子であった証拠として、先生からの手紙をお見せした。
「こんなことも書いたっけかな」などと言われて、でも確かに教え子であったらしいと分かると多少打ち解けたような空気になった。
さて話をしようとすると、俺はなぜか涙がこぼれてしまい、しばらく話ができなかった。
思い返せば、震災と原発事故以来、自分なりに考えてきたことや学んだことを人に説明することや、他の人からいろいろな話(嘆き、悲しみ、怒り、諦め等々)を聞かされることはあっても、自分の心の底にあるものを他の人に語る機会はなかった。
唯一、そういうことを話せる友人がいた(今は故人)が、そういつでも会えるわけでもない。
やっと自分の思いを分かってくれそうな人に会えたという気持ちで感極まったのだと思う。

少し落ち着いてから、こんなことを話した。
以前から広瀬隆の本などを読んで、そこから自分なりにいろいろと本を読んだりして原発の危険性は分かっていたはずなのだが、けっきょくどうにもならなかった。出来なかったし、しなかったまま2011年を迎えてしまった。
これからどうしていけばよいのかと考えずにはおれないが、考えたからといって答えが出る話ではない。どうしたらいいのか分からない。

先生は、こんなふうに話された。
原発についての警告の詩は書いてきたが、まさか現実に起こるとは思わなかったところがあったのだろう。本当にそう思っていれば、なにかもっと行動していたはずで、今となってはどこか真剣ではないところがあったのかもしれない。
また、自分の詩が原発行政批判に引き合いに出されたりもするが、本来は非政治的人間である。本来の関心は政治にはない。
詩が予言的であったともいわれるが、どうすべきであったか、どう考えるべきであったのか、答えが出ないまま、宙ぶらりんのままである。

話が途切れたときに、持参した六田知弘さんの写真集『時のイコン』をお渡しした。
http://eeldog.blog12.fc2.com/?q=%E6%99%82%E3%81%AE%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%B3&charset=utf-8
この写真を発表前に、六田さんから「この写真を見て傷つく人がいるかもしれないから、発表しないほうがよいのではないだろうか」という相談を受けたが、「もしそうであっても発表したほうが良い、理由を言葉にしきれないが、そういう確信がある」とお伝えして、写真が世に出る一端に関わることができたという話をした。
先生曰く、「自分の詩にも現実の人物が登場している。ひょっとして傷つけるかもしれないと思うところはある、でも発表した」と言われた。
そのほかにアンゲロプロスの映画の話などもした。

2時間半ほどお邪魔して、ご自宅を辞した。
このころ原町駅(南相馬市)には特急ひたちが震災以来、停めたままになっていた。そこだけは2011年3月11日のまま変わっていないように見えた。


若松丈太郎先生のご冥福をお祈りします。
このことを話し合える友人が一昨年亡くなったことも、さびしい。


若松先生についての文章
・園子温と若松丈太郎 数えることhttp://eeldog.blog12.fc2.com/blog-entry-700.html
・恩師とはありがたきものなり http://eeldog.blog12.fc2.com/blog-entry-857.html
・【再掲】核災という言葉 http://eeldog.blog12.fc2.com/blog-entry-897.html


※日経2016年3月17日記事「震災で置き去りの特急4両、5年ぶり撤去 福島・南相馬」
https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG17H4G_X10C16A3CR0000/
JR東日本は17日、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で、福島県南相馬市の常磐線原ノ町駅構内に5年間取り残されていた特急「スーパーひたち」の車両4両の撤去作業を公開した。
この特急は2011年3月11日午後3時9分に原ノ町駅を出発し、上野駅に向かう予定だったが、出発前に震災が発生したため発車を取りやめた。常磐線は一部区間が津波の被害や原発事故の避難区域となったため、特急を動かすことができず、原ノ町駅に止まったままになった。
この日は約30トンの特急の先頭車両を、クレーン2台でトレーラーに積み込んだ。車両は長い間、外に置かれていたため、雨垂れの黒ずみが残っていた。
車両は、同県郡山市にあるJRの施設に運ぶ。老朽化しているため再利用は困難という。〔共同〕

中国宮廷料理のご紹介 鯨料理についての一考察

昨今、様々な方面で中国の躍進が著しいが、過去に遡れば大国でなかった時代はないので、元に戻っただけかとも思う。
青木正児という中国学者がいたが、そのなかに中華帝国らしい気宇壮大な料理が紹介されていたような記憶があるので、おぼろげながら紹介したい。
たしか鄭和が海外遠征したときに持ち込んだ料理とのことで、大明帝国の最盛期であり、それらしい料理が好まれたのだろう。
永楽帝が編纂させた書物に記載があったと思うが、このへんは読者諸賢のほうがよくご存知かと思う。
以下、レシピの紹介をしていく。

●白長須鯨の姿煮
・素材は大きいものでは30メートルを超すものもあるが、料理する場合には15メートルぐらいのものが適当である。
・扱う素材が大きいので、調理具の準備から始まる。
・まず、入江にクジラを追い込む。入江は封鎖する。
・1カ月程度放置し、絶食させ、胃袋の中をきれいにする。
※内臓を掃除したり、三枚におろしたりするのは手間がかかるので、肉が痩せるが仕方がない。
・その間に、内陸部に池と水路を作る。この池は調理具になる。
・池の底は粘土にて十分に水止めをする。水路はあとで封鎖する。直径20~40メートル前後が多い。
・この時の粘土の選択で味に雑味が出たりするので、慎重に選ぶ。良い粘土が大量に使用されるので、景徳鎮窯等はかなり嫌がったようである。
 また、その際、近隣には森林が多いと好都合である(後述)。
・弱ったクジラを力士3000人にて(素材の大きさによる)、池に追い込む。実際には綱と網で引っ張り込む。水路は封鎖する。
・絶食させると体力が落ちているので、暴れ方が少ないという利点もある。
・調味料が莫大になるので、海水の塩味だけを下味にして煮込み始める。
・煮込む方法としては、大石を集め、その周りで焚火をして、十分に熱する。つまり焼石を準備する。薪が膨大に必要なので、はげ山がいくつもできるくらいである。
※ちなみに万里の長城以来最大の環境破壊という後世の評価もある。
・素材の大きさに合わせ、焼石を3000程度準備して、順次力士たちが池に放りこむ。
・池が熱するにつれて、クジラが暴れることがあるが、かまわず焼石を投入する。
 熱湯を浴びた力士が亡くなることもあり、そのことを批判した詩もある(李卓吾「力士哀歌」)。
・素材が大きいため、調理具の中で裏返すことができず、半身が生煮えの可能性がある。そのため、一種の落し蓋を準備し、蒸し煮様にする。
・落し蓋は巨大な綿布を準備し、上から伐採した薪についていた葉を三寸ほどの厚さになるように上からかける。香りのよい葉を使うのが望ましい。なお、蓋をかけるタイミングは池が煮立つ前であるが、ときに熱湯に落ちた力士が亡くなることがあり、(以下略)。
・十分に火が通るには1週間ほどかかるが、素材が小さい場合は3日ほどそのままにする。
※この際必要な熱量について詳細なカロリー計算をした文献もあるが、今は手元にない。たしか石はかなりの高温が必要だったはず。
・中に火が通り、粗熱がとれたら、落し蓋をはずし、クジラの体を見栄え良く整え、皇帝をお呼びする。
・美味の追求というよりも、版図の象徴としての意味が強い。つまり大きなものを尾頭付きで調理するところに、主たる目的があったようだ。
よって実際に食するのはごくわずかな部分だけである。
・すなわち、小舟を池=鍋に浮かべ、調理人と武人が刀を振るい、舌(いわゆるサエズリ)、尾の身、それと心臓から肉を切り出す。
※心臓まで達するのは至難の業であり、事前に穴をあけておいたとも言われている。
・薄い塩味がついているが、特別のタレを準備したらしい(書物散逸により不詳)。
・なお、それ以外の部分は下民共に下賜される。

結局は魚の香草煮のようなものであろうか。
規模からいうとなかなか試食することもかなわぬ。味は想像のみとなるのが聊か残念である。
機会があれば、一度ご自宅にて調理されるのも一興かと思う。

もう石灯籠はやめたほうがいい(地震多発地域)

昨日の地震でまた東北南部太平洋側で被害が出た。
さいわい死者は出なかったようなのだが、今回も墓石や石灯籠が倒れた。
昼間で、そばに人がいたら、ただでは済まなかっただろう。
・福島県相馬市中村神社参道
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210214/k10012866461000.html
・宮城県松島瑞鳳殿
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210214/k10012866321000.html
・福島市福島稲荷神社
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210214/k10012866211000.html
とくに3番目の場合、駐車中の車を直撃しており、人が乗っていたらただではすまかったろう。

たしかに、風雨にさらされたり苔むしたりした石灯籠は、風情があって良いものである。
しかし地震の多い国である以上、危なくてしょうがないので、もう廃止にしたらどうかと思う。
灯籠は石でなくてもいいわけで、高田馬場の穴八幡神社ではスチール製らしき丈夫そうな灯籠になっている。
https://ameblo.jp/unonosarara0206/entry-12334880232.html

2011年の震災以来、地震が起きやすい時代に入ったという話を聞いた記憶もある。将来、被害が出る前に出来るだけ置き換えるべきである。
どこから手を付けたらいいんだろうか。

亡き友の夢

明け方くらいだろうか。
田舎の駅の跨線橋の階段の裏手で、俺と亡くなったはずの友人がいて、手を取りながら、なぜか俺は「ぜったい死ぬな」と泣きながら言っている。
友はまだ若いころの雰囲気で、泣きながらうんうん頷いているという夢で、どうも夢を見ているときに少し声が出てしまったらしく、その自分の声で目が覚めたようだ。涙がこぼれていたような気がする。
夢のなかで、友に対面できたのは初めてかもしれない。

前回は9月1日で、初めて友の夢を見た。
誰かがポリスのロクサーヌを歌っているのに合わせて友は一緒に演奏しているようなかんじであった。俺もギターを弾いて合わせようとしたが、12弦ギターしかなくて、チューニングに手間取っている間に、目覚ましが鳴って目が覚めてしまった。
そのときは、友の顔や姿は、自分が舞台袖?にいたため見えていなかった。
いかにも夢らしいオチだったが残念で仕方がなかった。

夢で逢いましょう。
人気ブログランキングへ

 | HOME |  »

MONTHLY

CATEGORIES

     

RECENT ENTRIES

RECENT COMMENTS

RECENT TRACKBACKS

APPENDIX

鰻犬堂

鰻犬堂